今地球を揺り動かしている100年来の地殻変動は、米国の衰退と中国の台頭という「パワーシフト」(大国間の重心移動)をもたらしている。それを「米中新冷戦論」から解釈する言説が横行する。激しさを増す米中対立の表層と深層をチェックしながら、「新冷戦論」のワナにはまる危険を指摘したい。
米ソ冷戦と「新冷戦」
「新冷戦論」が横行するようになった契機は、ペンス米副大統領が2018年10月4日、米保守派シンクタンク「ハドソン研究所」で行った演説だった。彼は中国の経済政策だけでなく政治体制から宗教、台湾との関係、「一帯一路」「内政干渉」まで、多岐にわたって中国との争点を列挙した。
「新冷戦」とは、「鉄のカーテン」(チャーチル元英首相)によって世界を二分した「米ソ冷戦」のアナロジーだ。ではかつての「米ソ冷戦」とは、どのようなものだったのか。その特徴を振り返る。
(1)世界が資本主義陣営と社会主義陣営の2 ブロックに分かれて 「体制の優位」を競い合うイデオロギー対立だった。
(2)冷戦の対立構図が各国の内政にそのまま投影され、国内の政治対立・抗争をもたらした。
(3)米ソは軍事的衝突を避け、代わりに衛星国に「代理戦争」を押し付けた。
朝鮮戦争をはじめベトナム、アフガニスタン、アフリカでの戦争は代理戦争だった。他にも核軍拡競争による「恐怖の均衡」もあるが、ここでは省略する。
こうした特徴を並べてみると、1989年の米ソ冷戦終結によって、地球が経済的には一つになったことの意味は大きい。情報をはじめヒト、モノ、カネが国境を越え移動する時代。いくら人為的に壁を築いても、「鉄のカーテン」で遮断するのは不可能な時代になったのである。
「チャイナ・スタンダード」などない
では、「米ソ冷戦」の特徴として挙げた(1)~(3)を念頭に、現在の米中関係を見てみよう。
(1)について言えば、対立はしているが体制の優位性までは争ってはいない。(2)のように対立が各国の内政にそのまま投影されているわけでもない。(3)代理戦争も行われていない。
こうして見ると、米中関係は、「新冷戦」と言うより、米中パワーシフトに伴うアメリカによる「対中抑止」と見るほうが正確であろう。米一極支配を維持するため追い上げる中国の頭を叩く、そんな図式である。
筆者が「新冷戦」という言葉を否定するのには理由がある。それは、米中関係を新冷戦と規定すると、米国が築いてきた国際秩序を中国が自国中心の世界秩序に変えようとしているという、「二項対立」の構図に、われわれの意識が誘導されてしまうからである。これは、「米国か、それとも中国か」という選択を迫るトリッキーな「落とし穴」である。
「現実を見れば、米国か中国か、じゃないの?」という反論もあるだろう。その認識が妥当かどうかのポイントは、北京が、果たしてワシントンが築いてきた「アメリカン・スタンダード」に対抗して「チャイナ・スタンダード」による世界支配を目指しているのかどうかである。確かに、習近平・国家主席は、中国を今世紀半ば(建国100年の2049年)に「世界トップレベルの総合国力と国際的影響力を持つ強国」にする「夢」を描いている。だが、普遍性を持った「チャイナ・スタンダード」を提起しているわけではない。
相互依存の世界で「二択」は不可能
習は「人類運命共同体」という世界観も掲げている。しかしそれも、欧米の統治システムに代わる統治システムを想定したものではない。ここで想定されている国際的秩序は「多極化」と「内政不干渉」である。
欧米の中国問題専門家の見方も紹介しよう。18年7月までトランプ政権の国務次官補代行を務めたスーザン・ソーントンは、「中国が結果的に米国を追い抜く可能性はあるだろう。しかし、中国が米国に取って代わろうという目標を持っているとは思わない」(「朝日新聞」18年11月3日朝刊)と見る。
フランス国際関係研究所の中国問題専門家アリス・エクマンは、米中間の大きな違いによって「世界は分極化した」と見るが、同時に「グローバル化で相互関係が強まる現代では、(世界の国々が)米中のどちらの側につくのか、明確な立ち位置を示すのは難しい」(「朝日新聞」19年3月4日朝刊)と指摘する。「経済的に地球が一つになった」意味はここにある。
敵なしでは生きられないアメリカ
「アメリカ人は危険な外敵に直面していると気づいたときには団結する。そして見よ! 現れた。中国だ。米国と世界秩序にとって経済的、技術的、知的に中国が重大な脅威であることがますます鮮明になってきた」
こう書くのは、ニューヨークタイムズのコラムニスト、デイビッド・ブルックスだ(「The New York Times」電子版19年2月15日、筆者訳)。その通り。米国は「敵」なくして生きられないメンタリティを持つ国家・社会である。古くは西部劇における先住民。米ソ冷戦時代の「共産主義者狩り」を目的にした「マッカーシズム」もそうだ。旧ソ連初の人工衛星「スプートニク1号」成功の衝撃を受けての反ソ・キャンペーンも挙げたい。その後も、1980年代に台頭した日本へのバッシングに、イスラム過激派。今は中国を「敵」とみなす空気が、米社会の隅々にまで浸透している。
中国が成長すれば、やがて「民主化」「自由化」すると見てきた「幻想」が裏切られた反動もあるだろう。今や中国人留学生による諜報活動を警戒して、留学審査の厳格化を検討するほどだ。ワシントンDCでは、「中国製の地下鉄車両を導入すれば、監視装置が埋め込まれ、スパイされかねない」という「バカ話」まで、真面目に議論されている。
このエピソードを「朝日新聞」(2月24日朝刊)は一面トップで大々的に取り上げた。しかし「敵なしでは生きられない」メンタリティをきちんと説明しなければ、ただ中国のスパイ活動による脅威を煽るだけの報道に終わってしまわないか。
思考停止のまま「華為」排除
アメリカが「米国か中国か」の選択を同盟国に迫る例を挙げよう。米国は次世代通信規格「5G」から中国の華為技術(ファーウェイ)を排除する「デジタル冷戦」を中国に仕掛け、同盟国にも同調を求めた。これを受けて安倍政権は18年12月、独自調査も行わないまますんなり「排除」を決めて指針を出した。これが「わが国の外交・安全保障の基軸は、日米同盟です」(19年1月の安倍首相による施政方針演説) の内実である。
これに対して、英国やドイツは、独自の調査によってファーウェイの「安全保障上の脅威」をチェックし、その結果、「完全排除しない」方針を決めた。欧州連合(EU)の欧州委員会も3月26日、「排除の是非を加盟国の判断に任せる」との勧告を発表している。
EUや英独の“造反”の背景には、米中貿易戦争が、中国の景気後退のみならず世界経済の減速をもたらすという懸念がある。その上ファーウェイまで排除すれば、地球を二分する「経済ブロック化」を招きかねない。それは誰の利益にもならない。
結局、ファーウェイ排除は失敗するだろう。この問題は、米国の衰退を早めるかもしれない。
一方、日米同盟を金科玉条とする安倍政権は、思考停止のまま簡単に排除を受け入れた。それは米国との“心中”につながりかねない。しかし国会でもメディアでも、さして議論もなく素通りしてしまうところに今、われわれが直面している「危機」がある気がする。
自己相対化こそ必要
もう一つ。