仮放免が許可され、普通に生活できる期間は2カ月前後。つまり、仮放免者は2カ月ごとに東京入管(住んでいる場所によって出向く入管は異なる)に赴いて、入管からインタビューを受けるといった更新手続きを取らねばならない。
この更新の際に、仮放免が不許可となる場合がある。理由は一切教えられない。
17年11月2日、ウチャルさんは仮放免更新のためにまゆみさんとともに東京入管を訪れた。まゆみさんが待合室で待ち、ウチャルさんがインタビュー室に入ると、職員が告げた。
「更新が不許可となったのであなたを収容します」
「私がいったい何をしたのですか?」
「あなたが判っているのではないですか?」
「妻に連絡させて」
携帯電話でまゆみさんを呼び出し「まゆみ、オレ収容……」と言ったとたん、10人ほどの職員がウチャルさんの全身を確保し、床に組み伏せた。携帯電話が床に転がる。まゆみさんの電話にはガヤガヤした不穏な物音しか聞こえない。
「マモ(ウチャルさんの通称)! マモ! どうしたの!」
まゆみさんは「もしかして……」と恐怖を覚えた。果たして、ウチャルさんはまゆみさんに会うことなく、そのまま東京入管内に収容され、その後、牛久入管に移送され、18年7月6日まで収容された。
この8カ月間は「人として扱われなかった」とウチャルさんは振り返る。
夫婦であっても面会はアクリル板越しだ。互いの手に触れることも許されず、面会時間も30分だけ。一日5時間程度の自由時間以外は、5人の外国人が6畳の部屋に押し込められ施錠をされる。外出は一切禁止。いつ出してもらえるかの情報は与えられない。その環境に、多くの人が閉塞感と展望なき明日への不安から熟睡できず、睡眠薬や精神安定剤を服用する。その結果、徐々に精神バランスを崩していく人もいる。
私は牛久入管で延べ30人以上の被収容者に面会取材をしたが、素人目にも精神状態を疑える人は多くいた。視線が合わない人、口が開きっぱなしの人、体を洗わない人……。
仮放免者が辛いのは、収容生活の体験がPTSDとしてまとわりつくことだ。じつはウチャルさんも、毎日、寝る直前まで外で過ごしている。
「ダメなんです。四方を壁に囲まれていると収容の苦しさがフラッシュバックして」
まゆみさんも同様の辛さを訴えている。
「彼とは2カ月おきに東京入管に仮放免の更新手続きに行きますが、入管に入ったとたんに収容されたあの日が思い起こされ、怖くて自然と涙が出るんです」
19年7月3日、ウチャルさんは更新手続きに臨んだ。数日前から特に強い不安に襲われ、収容に備え着替えを準備した。まゆみさんも睡眠不足に陥った。幸いにもこのときは、仮放免は更新された。だが、入管職員は「難民認定の結果が不認定になったら再収容します」とウチャルさんに伝えた。
これは脅しではない。ウチャルさんは今、複数回目の難民認定申請中だ。入管は18年1月12日に「難民認定制度の適正化のための更なる運用の見直し」との方針を出し、繰り返される難民認定申請に対しては再申請を認めないということにした。つまり、複数申請者には収容か強制送還かの措置を取るということだ。
さらに、入管は新たな「指示」文書を出して、仮放免を許された者への監視を強めることを表明している。ウチャルさんにもこんなことがあった。
ウチャルさんが東京入管での更新手続きを済ませ、電車で自宅のある川口市まで戻るとき、電車の中で自分をチラチラ見る黒いジャンパーの男がいたという。
「その人、同じ駅で降りると、私が喫茶店で友だちと話していても近くにいる。そのうち、ジャンパーの開いている胸元から制服の『IMMIGRATION』(入管)のロゴが見えたんです。友だちが飛んでいって『お前、入管だろ!』と怒鳴って追い返しました」
こういった尾行のほかにも、入管の監視活動には抜き打ち訪問や抜き打ち電話などがあり、私は複数の仮放免者からその証言を得ている。
まゆみさんはこう訴える。
「私たちが安心して暮らすためには何かしらの在留資格が必要です。私たちは今後法的措置も視野に入れて闘っていきます」
施設内では死を賭したハンストが始まった!
なかなか仮放免の許可を出さなくなった牛久入管では、最近憂慮すべき事態が起こっている。これに抗議するため、最大時で約100人の被収容者が「死を賭した」ハンガーストライキを行っているのだ。
この本気のハンストが功を奏したのか、牛久入管は少しずつハンストを行った被収容者に仮放免の許可を出している。被収容者の支援団体も当初は「よかった」と胸をなでおろした。ところが、その仮放免期間はわずか1~2週間と異常に短く(通常は1カ月以上)、その後の再更新はほぼ例外なく不許可となり、期間終了しだい即日で牛久入管に送り返されるという異常事態が続いている。
水以外を口にしないハンストは、2019年5月、イラン人男性のシャーラムさんが一人で始めた。すでに2年以上も収容され先の展望が見えないシャーラムさんの「生きて出るか、死ぬか」を覚悟しての行動だった。
1週間後、シャーラムさんは体調を崩し倒れた。それでもハンストを続ける姿に徐々に同調者が現れ、集団無期限ハンストに発展。その数は最大時で約100人に膨れ上がり、牛久入管では誰かが吐血したり、昏倒する毎日が当たり前になった。
私が牛久入管でもっとも多く面会取材をしたデニズさん(40歳。トルコ出身のクルド人)もその一人。妻は11年に結婚した日本人女性だ。
デニズさんがハンストに参加したのは6月から。デニズさんはトルコで反政府デモに参加したことがある。すると警察に連行され殴る蹴るの暴行を受けた。クルド人というだけでトルコ人から差別される日常に嫌気がさし、07年5月に来日した。これまで幾度も難民認定申請をしているが、いずれも不許可となっている。
同年、デニズさんは生きるために不法就労をした。それが発覚し10カ月牛久に収容された。翌年に仮放免と2度目の収容を経験。そして(2度目の仮放免のあと)3回目の収容で、ハンスト開始。その時点で収容期間は3年にも及んでいた。
前述したように、長期収容は被収容者の体と心を壊す。デニズさんもあまりの絶望感からこれまで4回の自殺未遂を収容中に起こしている。
絶望の淵にいる夫を助けたい。その想いから、妻のA子さんは、牛久入管にデニズさんの仮放免を求めて手紙を書いた。A子さんの許可を得て、内容を紹介する。
「収容されてからの彼の精神面は心配なことばかりで、月に一度は必ず面会に行き、電話でも話をします。私の母は心臓も悪く、一人で外出もできず、車椅子で生活をしております。