自衛隊海外派遣の「起源」
実は、日米同盟のために自衛隊を海外派遣するというのは今に始まった話ではない。その「起源」は1980年代までさかのぼる。
アメリカは、1960年に現行の日米安保条約を締結してからしばらくは、まずは日本が自力で防衛できる力を身につけ、在日米軍が日本防衛を気にせず世界に出ていけるような状態を作り出すことに注力した。
そして、実際に日本がその力を身につけると、今度は自衛隊の活動範囲を日本の国外に広げることを求めるようになった。
最初の具体的な要求は、1970年代後半の「シーレーン防衛」であった。日本政府は、食糧やエネルギー資源の多くを輸入に頼る日本は海上交通路を自ら守らなければならないとして、自衛隊の防衛範囲を「フィリピン以北、グアム以西」の公海まで拡大した。
しかし、アメリカが日本に要求していた「シーレーン防衛」とは、日本の民間商船の海上交通路の防衛ではなく、主に米軍のSLOC(有事の際に作戦遂行のために確保しなければならない海上補給線)の防衛だった。アメリカには、自衛隊がこの海域の防衛を担ってくれれば、米軍は日本を拠点とする米第7艦隊の戦力をソ連がプレゼンスを強めつつあったインド洋やペルシャ湾に振り向けられるという思惑があった。「シーレーン防衛」の本質は、アメリカに対する軍事的貢献だったのだ。
さらに、1980年代にイラン・イラク戦争が勃発すると、今度はペルシャ湾・ホルムズ海峡への自衛隊派遣をアメリカは日本に求めた。
アメリカが要求したのは、イランが敷設した機雷を除去する掃海部隊の派遣であった。当時の中曽根康弘首相は、公海上に遺棄された機雷の除去は憲法9条が禁じる武力行使には当たらないという憲法解釈を示しつつ、「国際紛争の場所に今なっておる、そういう場所に自衛隊をはるばる派遣して、そしてそこに巻き込まれるようなおそれのある場所に行くことは必ずしも適当でない」(1987年8月27日、衆議院内閣委員会)として派遣しなかった。自衛隊の派遣がイランの反発を招き、自衛隊の掃海艇がイランから攻撃を受ける可能性を考慮しての政治判断であった。
ちなみに、タンカー護衛のためにペルシャ湾に展開した米軍とイラン軍との間では交戦がたびたび発生した。1988年4月には、護衛活動中の米フリゲート艦がイランの機雷に触れて損傷を受けたのに対して、米軍は機雷敷設の基地となっていたイランの海上オイル・プラットホームに報復攻撃を加えて破壊した(「プレイング・マンティス作戦」)。この作戦で米軍とイラン軍との間で戦闘が起こり、イラン軍は2隻の艦船と6隻の高速艇がミサイルやクラスター弾などによって撃沈された。
もし、このような状況の中で自衛隊を派遣していたら、中曽根首相が懸念したように自衛隊も紛争に巻き込まれていたかもしれない。
戦争が勃発すれば“参戦”も
イラン・イラク戦争は1988年に終わったが、2年後の1990年、今度はイラクがクウェートに侵攻。イラク軍をクウェートから排除するために国連安保理決議に基づいて多国籍軍が編成され、翌年1月に湾岸戦争が勃発する。この時もアメリカは、当時のブッシュ(父)大統領が海部俊樹首相に「一緒に汗をかいてくれ。それが日米同盟をもっと強固にする」と言って自衛隊派遣を迫った。
海部は、戦争中の派遣は憲法9条を理由に断ったが、戦争終結後の4月、自衛隊法の「機雷等の除去」を根拠に海上自衛隊の掃海艇をペルシャ湾に派遣。これが、実任務としては、1954年の自衛隊創立以来初めての海外派遣となった。
ペルシャ湾への掃海艇派遣を契機にして、自衛隊の海外派遣は拡大の一途をたどっていく。国連平和維持活動(PKO)への参加に始まり、2000年代に入ると、アフガニスタンとイラクで戦争中の米軍を後方支援するために自衛隊を相次いで派遣した。2015年には安全保障関連法が成立し、海外での武力行使が認められる集団的自衛権行使をはじめ、自衛隊の海外での任務が大幅に拡大された。
そして、今回の中東派遣である。可能性は低いだろうが、今後もしアメリカとイランとの間で戦争が勃発した場合、アメリカは間違いなく日本に協力を求めてくるだろう。安倍首相は、国会で集団的自衛権の行使が可能となるケースを問われた時、一例として「ホルムズ海峡に機雷が敷設された場合」を挙げた。仮にこのような事態が起これば、アメリカの求めに応じ、集団的自衛権を行使して自衛隊を“参戦”させるかもしれない。
在日米軍が、日本防衛の任務から解放され、アジア・中東にいつでも軍事介入ができる態勢をとることでアメリカの世界戦略を支えていることはすでに述べたが、「専守防衛」をアイデンティティにしてきたはずの自衛隊もまた、アメリカの世界戦略を支える米軍の「補完部隊」としての性格を強めつつある。
このままアメリカと軍事的に一体化していく道を進んでいけば、アメリカの戦争に巻き込まれる危険性は確実に高まっていくだろう。
「力による平和」の危うさ
たとえ在日米軍が日本防衛のために存在していなくても、そこにいるだけで抑止力になると言う人もいる。世界最強の軍事力を誇る米軍が日本に駐留し、いつでも出撃できる態勢をとっていることで、それが抑止力となってアジアや世界の平和が保たれるという考え方だ。
しかし、その世界最強の米軍をもってしても、アフガニスタンやイラクでは反米武装勢力による攻撃を抑止できていない。トランプ大統領は、その攻撃を止めるためと言ってイラクの反米武装勢力の背後にいるとみられるイラン革命防衛隊の将軍を空爆によって殺害したが、イランの反撃は抑止できなかった。幸いにも、アメリカとイラン双方の自制的な対応によりさらなるエスカレートは回避されたが、反米武装勢力によるものとみられる米軍への攻撃はその後も続いている。
アメリカは北朝鮮との緊張が高まった2017年にも、北朝鮮の指導部を武力で排除する作戦(「斬首作戦」と呼ばれている)をオプションの一つとして検討したという。仮にこれを実行していたら、北朝鮮はどういう反応をしただろうか。今回のイランのように、全面戦争へのエスカレートを回避するために人的被害の出ない反撃にとどめるという保証はどこにもない。
北朝鮮は、アメリカが先制攻撃をしてきたら、米軍基地のある日本も反撃の目標とすると明言している。国際法上も、交戦国への作戦基地の提供は武力行使と一体とみなされ、攻撃されても文句は言えない。抑止が成功すればよいが、失敗したら、最悪の場合、核弾頭付きのミサイルが私たちの頭上に飛んでくるかもしれないのだ。
今年に入ってからの中東の危機で、多くの人が「力による平和」の危うさを実感したのではないだろうか。私も、パワーバランスによって保たれる平和が存在することを否定はしない。しかし、それはちょっとしたミスや誤解で壊れてしまう「薄氷の上の平和」だ。軍事力とそれに基づく抑止力を信奉し、依存し過ぎるのは危うい。
ASEAN(東南アジア諸国連合)は昨年6月の首脳会議で、独自の外交戦略「インド太平洋構想」を採択した。今後、激化が予想されるアメリカと中国のパワーゲームに懸念を表明し、ASEANが「誠実な仲介者」になり「競合ではなく対話と協力のインド太平洋地域」の創出を目指すとうたっている。
大国による「力による平和」を、多国間の「対話と協力による平和」に置き換えていこうとする試みで、日本のこれからの安全保障を考える上でも、大事な視点だと思う。日米同盟一辺倒でアメリカに追随するだけでは、「誠実な仲介者」にはなれない。
日米同盟とて永遠の存在ではない。1月19日、日米安保条約は署名から60年を迎えた。この節目を、アメリカとの関係を冷静に見つめなおす契機としたい。
有志連合
2019年11月にアメリカ主導で発足した多国籍部隊。中東のホルムズ海峡周辺などで船舶の護衛や海上の監視等を行う。現時点でアメリカ、イギリス、オーストラリア、バーレーン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、アルバニアの7カ国が参加している。