政治参加に向けた「私たちの言葉」を
こういう状況は変えていく必要がある。誰が発しているのかも判然としないような定型の「呪いの言葉」に思考を誘導されたり萎縮させられたりしている状況は、健全ではない。私たちは主権者として、みずから社会を変えていく力を持っており、社会をよりよい方向へと変えていく責任がある。
しかし、政治をめぐる「呪いの言葉」があふれている一方で、「私たちが政治に関わることが大切だ」と思わせるような言葉は、今の日本においては、とても少ない。
言葉は認識を形づくる。「政治には関わらない方がよい」と思わせる言葉が意図的に流布され、そのような言葉によって私たちが政治から遠ざけられている現状を、私たちが「おかしい」と認識でき、自分たちが政治を変えていく主体であると認識できる言葉が、私たちには必要だ。
ラッパーのECDは、2012年2月20日に「経産省別館原子力保安院前抗議行動」で、「言うこと聞かせる番だ俺たちが」とラップを披露した。
「言うこと聞くよな奴らじゃないぞ」は関係を断とうとする言葉。「言うこと聞かせる番だ俺たちが」は関係を持とうとする言葉。
と、彼は2012年12月20日にツイートしている。
2018年4月に財務省セクハラ問題で麻生太郎大臣が「はめられた可能性がある」と二次加害につながる発言を平然と行ったときには、新宿駅東口・アルタ前で「#私は黙らない0428」と題した集会が若者たちの手によって開催された。その中でフェミニストの福田和香子は、
私は、私が誰であるのかを他の者に決めさせない。
と語り、
あなたの考えは、あなたの言葉は、あなたの行動には、常にパワーがある。何かを変えるだけのパワーが、いつも備わっている。必ず覚えておいてほしい。
と訴えた。(福田和香子ブログ:fem Tokyo「#MeToo #私は黙らない0428」より)
次にあげるのは政治をめぐる文脈の中で語られたものではないのだが、政治参加を支え、促すことにもつながりうる2つの言葉を、ここに加えておきたい。私が『呪いの言葉の解きかた』の中で紹介した言葉だ。
1つは、やまだ紫が1981年から1984年にかけて発表したコミック『しんきらり』(再録として、やまだ紫選集『しんきらり』小学館クリエイティブ、2009年など)の最後の言葉だ。
「妻」「嫁」「家」「親」……そんな言葉に縛られることへの違和感を抱え続けた専業主婦のちはる。パートに出て、後にその職を失う、そういう経験のあとで彼女は、穏やかな表情で夫に向きあって、こう語る。
仕事をしてみるようになって 気が付いた……
わたしは自由だったんだ
押し付けられた役割の呪縛に苦しんできたちはるだが、実はみずからその呪縛の中にはまっていたことに、気づいたのだと私は思う。
もう1つは、海野つなみのコミック『逃げるは恥だが役に立つ』第9巻(講談社、2017年)の土屋百合の言葉だ。アラフィフの百合が親子ほども年が離れた男性の思いを受け入れて、「あなたが好きなの」と口にすることを決意するときに、彼女は心の中で、こうみずからに語りかける。
周りに遠慮せず 自分の判断で自由に生きて
失敗したらそれも ちゃんと受け止める
それが大人ってもんでしょ
あたしがなりたかったのは
そういう大人でしょう
こういう言葉を前にすると、政治をめぐる数々の「呪いの言葉」が、一挙にその効力を失う。そして、そんな呪いの言葉で思考を誘導したり萎縮をねらったりすることの卑劣さが、浮かび上がってくる。
私たちを、無意識のおびえから解放する言葉。私たちが、みずからの声を取り戻すことにつながる言葉。私たちに、見えていなかった別の未来を展望させる言葉。そういう言葉を、私たちはさらに、意識的に豊かにしていく必要がある。一人ひとりが、これは私の言葉だと思えるような、そんな言葉が私たちには必要だ。