しかも、今回新設されることになる「デジタル庁」は、内閣総理大臣直轄の組織です。個人情報を含むすべてのデジタル情報が、総理の下に集中管理されるようになるわけですから、その権限は計り知れません。また、総理の下に置かれるデジタル大臣は、他のすべての行政機関に対して勧告ができるなど、認められている権限も非常に大きい。総理直轄の組織としては他に復興庁がありますが、時限的組織である復興庁と違って、デジタル庁は国家の根幹に関わる恒久的組織です。そのすべての権限を総理が握るというのは権力的統制であり、「デジタル独占体制」ともいえるのではないでしょうか。
また、今回の個人情報保護法改正によって、これまでそれぞれの地方公共団体が独自に条例で定めていた個人情報保護制度が共通仕様化して一本化され、個人情報保護法に統一されることになりました。自治体によっては法律よりも厳しく設定していた保護制度が後退する場合があるだけでなく、今後自治体独自の制度を設ける場合には、国に届け出をしなくてはならなくなる。ある自治体が国のルールよりも規制の強い制度をつくろうとしたら、「それは行き過ぎだからやめろ」と言われる可能性もあるわけで、地方自治の本旨(憲法92条)の観点からも、条例制定権(憲法94条)を侵害するのではないかということで、非常に問題だと思います。
チェック機能の貧弱さ──ドイツの例と比較して
そしてもう一つ、非常に大きな問題だと思うのは、こうした個人情報の取り扱いに関するチェック機能の弱さです。
今後、個人情報の取り扱いに関する監督・監視は、政府の「個人情報保護委員会」に一元的に委ねられます。これまでは民間の事業者を主な対象としていた組織ですが、加えて行政組織も対象にすることになったわけです。
この委員会は民間の事業者に対しては立ち入り調査や命令、帳簿類のチェックなどの権限が認められており、例えば今年3月、LINEの利用者情報が中国の企業によって閲覧できるようになっていると判明した問題では、立ち入り調査を行っています。しかし、行政機関に対してはそういった権限の定めがありません。立ち入り調査も命令もできず、指導や助言、勧告しかできないとしたら、あまりにも権限が弱すぎます。現状わずか150人ほどの体制を今後どうするのか、組織規模や人員確保についても不明な点が多く、十分なチェック機能を果たせるとは思えません。
ヨーロッパなどには、行政機関や警察の情報管理をチェックするための、強い権限を持った機関が設けられている国が多くあります。たとえばドイツでは、連邦政府にも各州政府にもそれぞれ個人データ保護のための機関が置かれています。2年に1回は政府の持つ電子データをすべてチェックでき、不正があれば削除も要求できるそうです。
2017年にベルリンで、州のデータ保護監察官に会ったことがあるのですが、この人は個人情報保護のために活動するNPOの理事でもありました。しかも、担当する業務を尋ねたら「当局などが“右翼過激派”としてリストアップしたデータベースから、『この人は市民運動家であって過激派ではない』という人物をピックアップし、当局に削除を要求している」というのです。そんなことまでチェック機関に権限を認めているというのがすごいなと思いました。
まだコンピュータのなかったナチスドイツの時代、ドイツ政府は国民を分類・管理するために「パンチカード」というものを使っていたそうです。一人ひとりのカードに開けた穴の位置で、名前や年齢、性別をはじめ、人種や信仰、身体的特徴や職能なども分かる仕組みで、もちろんユダヤ人弾圧にも利用されました。それが今日的なデータベースのはしりとも言われています。そういう歴史への反省が、ドイツの「データベースは必要だから作るけれど、その管理はきっちりしなくてはならない」という考えにつながっているのかもしれません。
さらなる「監視国家化」に抗うために
デジタル化がもっと進んで便利になるのであれば、少々プライバシーの侵害があっても、情報が国に流れても、そのくらい気にしないという人もいるでしょう。たしかに、今回の法律が運用されるようになっても、すぐに何か問題が起こるということはないかもしれません。
しかし、ここ数年で秘密保護法や共謀罪が成立し、監視カメラや顔認証技術と結びついて監視社会化が進む中で、今回の法律が出てきたという点はやはり警戒すべきです。マイナンバーカードを保険証や運転免許証などさまざまな身分証明書と結びつけようという政策も次々に浮上しています。政府が個人データを利用して、邪魔だと思った人を陥れる、そういう使い方がされないとは誰にも言い切れません。
また民間企業の情報もデジタル庁に一元管理されるということは、ポイントカードや交通系IC、アプリを使うために登録した情報や使用の内訳も対象になりうるということです。自分の買い物歴、移動歴、検索履歴や「いいね!」などが一カ所に集まり、まとめて第三者に提供・利用されるとしたらどうでしょうか。
「私は政府に逆らうようなことはしないから関係ない」? でも、多くの人がそう思っている間に、社会全体が「監視国家」に向けてどんどん突き進んでいってしまうかもしれません。ひたすら便利さや効率を追求していった先にあるのは、自由にものを言えない全体主義国家かもしれない──。そのことはしっかりと認識しておくべきだと思います。