選挙という民主主義の現実を見た!
私はその波を静めたくない。もっともっと波を大きくしたい。何かしなきゃ、何かしたい。そう思って焦っていたけど、どうにもできないまま衆議院選挙(2021年10月)がいきなり決まった。何がどうしたとか一切考える間もなく、私は選挙期間中ずっと香川1区(香川県・高松市)、小川さんの選挙区へ滞在することにした。「そこで日記を書いてアップする」と、それだけを決め、以下詳細一切何も決めないまま、飛行機に乗ってしまった。
また私は、何も分からないまま、「日本一の激戦区」とメディアが書きたてた香川1区に飛び込んだのだ。そこでは日ごろも東京の選挙で見るような、デパートの前で小川さんが演説をして、遠くから党のエラい人がやってきて応援演説をし、それを取り囲むテレビや新聞の人たち……という選挙風景が見えた。その一方で、小川さんは商店街の一軒一軒の店先で頭を下げて挨拶し、車に乗った街宣中も手を振り、声を掛け、車から降りて話し込み……という徹底したどぶ板選挙というのを繰り広げていた。その「そこまでやるの?」っぷりに私はものすごく驚いた。これが選挙という民主主義なのか? 私にはその答えがまだ見えていない。でも、それが今の、選挙という民主主義の現実であることは間違いない。
さらに選挙事務所では多くのボランティアが出入りして、有権者に電話をかけたり、その声をボードに貼って壁に飾ったり、街宣の場に持って集まったり、SNSで発信したり、様々なことをしていた。これぞ選挙という民主主義だろう。私自身、ビラ配りから電話かけ、事務所の雑用まで、あれこれ体験させてもらい、民主主義を実践してみた。けっこう楽しくて、民主主義をやるのは面倒ばかりじゃないって分かった。
私はそういうあれこれを日記に日々綴り、ほぼ毎日アップした。それはまた、思わぬほど多くの人に読まれ、今はそれをまとめて本にするために慌ただしくしている。12月20日に『選挙活動、ビラ配りからやってみた。「香川1区」密着日記』という(長い!)タイトルで出版する。政治に、選挙に、民主主義に何か思うこと、すること、関わること、波をまた作ることを、やり続けている。
再三言うが、私が作っているのは小さな波だ。一人で起こしている波なんだから。細い棒っきれで、水面を叩いているにすぎない。でも私の本やら日記やらを読んだ人たちが何かを考えたり、言ったり、動いたり(実際、香川の事務所には私の本を読んで来たというボランティアさんがいた!)することで、波は広がる。
一人の起こした波を消さないよう、その波を横からチョイチョイっとすること、ほんと、大事だと実感している。どんな形のチョイチョイだっていい。面白がって楽しんでチョイチョイして、波を広げて欲しい。しかし今まで自分はそうしてきただろうか? 誰かが起こした波を見て、そんなことしたってしょうがないよ、どうしようもないよと冷笑してなかっただろうか? すごく反省している。
同様に、今、代表選挙が始まってからSNSを見ていると、自らリベラルを標榜し、野党を応援して政権交代を目指しているはずの有権者たちが、候補者4人をそれぞれ罵っている。ああ、私もこうしてきたなぁと改めて反省する。意見を言うのはもちろん大事。この人はこう言っているけど、こうじゃないか? この方がいいと思う――そういう建設的なものは言うべきだと思う。私たちはすぐに「こいつは~~だからダメだ」「こんな奴ありえない」と、具体的な意見を言うでなく、ただ気に入らないからと文句をつけてしまいがちだ。また政策を読みつつも、全体像を把握できないままに一部だけを切り取って「こうだからダメだ」とか、とにかく、ダメだダメだと言ってしまう。簡単にノーを言いすぎる。「政治が悪いから、政治家のせいだ」と相手任せにする。
私たち有権者が100%完璧ではないように、政治家だって完璧ではありえない。足りないところは、私たち主権者が声をあげて補っていくことが最も大切だ。だから、私たち側だって、学んでいかなければならない。私は学びをこれまでまったくしてこなかった。でも学び始めてから、今も学びを続けている(それは、ただ読書することが主だけど)。学び、意見を言う。それで初めて民主主義は動きだすんじゃないのかな? 今の政治を変えられないのはなぜか? 政権交代がなぜできないのか? それは私たちが学んでこなかったからもあると思う。
でも、そんな時間はない? それもそうだ。生活は苦しい。なのに忙しい。私もずっとそうだった。1日7時間も立ったまま働いて、帰ってきてから難しいことなんて考えたくない。新聞なんて読みたくないし、耳ざわりのいいことだけ聞いていたい。
ただ、自分が生きる土台を自分が整えなければ、誰が整えてくれるのだろう? 生活の基盤を整える、って大事なことだ。それを、少しだけ、想像してみるといいかもしれない。苦しいのは私たちのせいじゃない。そのほとんどは政治のせいだ。だから、それを変えるため、少しだけ土台を見直していこう。大きな声で、手を振り上げては言わない。小さな声で、肩をポンポンと叩いて、ね、そうしようよ、と私は言いたい。