原発事故の被災者政策で言えば、国は避難の幕引きによる被災者対応の早期終了を目指しており、被曝を避ける避難の継続を望む被災者の意向を反映させるのは難しい。だから役所内における施策の検討内容は、制度間の辻褄合わせや、公表できる範囲(裏返せば隠蔽の範囲)の特定に終始せざるを得ない。そして意思決定過程は隠され、結論だけが公表される。
しかし、公文書管理法やガイドラインは、軽微なものを除いて、経緯も含めた意思決定過程を公文書で残すよう規定しており、情報公開請求を受ければ、法律や条例で定める不開示事由に該当するものを除いて公文書を開示(公開)しなければならない。この建前があるため、役所は「この文書は公表したくない」という、むき出しの本音を公言できない。だから、情報公開請求を受けても、「公にすれば不当に意思決定の中立性を損ねる」「担当者の個人メモで廃棄済み」など、あれこれと理由をこじつけて、開示を避けようとする。
私の10年にわたる「原発戦記」を振り返ると、隠された意思決定過程を端的に可視化できる重要な情報や事実は、担当者による会議・協議の配布資料や議事録や役所間の調査・照会の報告書であることが多い。
例えば、福島県が実施する県民健康管理調査(現・県民健康調査)では報道陣や住民に公開する委員会の直前に「秘密会」を行っていた。そこでは、小児甲状腺検査で見つかった最初のがん患者について、被曝との因果関係を否定するセリフ回し(シナリオ)について話し合い、公開の委員会に備えた口裏合わせをしていた。また、茨城県は、日本原子力発電東海第二原発(茨城県東海村)の再稼働の条件となる避難計画を策定するため、まず、事故時の避難先となる30キロ圏外の市町村に対する避難所面積の照会から始めた。だが、体育館のトイレや倉庫など避難に使えないスペースを考慮せずに、機械的に割り出した面積を基に避難先自治体を割り振っていた。
こうした会議や調査などの事実を一つ一つ時系列に沿って整理していくと、すべてが一定の意図や方向性を持った、ある命題(テーゼ)に沿っていることが見えてくる。県民健康管理調査(現・県民健康調査)の真のテーゼは「被曝の証拠隠滅」であり、避難計画の真のテーゼは「事故への備えを装った原発再稼働の正当化」である。
被曝の健康影響を客観的に調べることが期待されるはずの調査が、実際には被曝の証拠隠滅を目指している。そして事故に備えた避難計画は、事故リスクを最も高める再稼働を後押しするため策定される。この冷酷としか言いようがない国策のテーゼこそ、役所が意思決定過程を隠す最大の理由だ。
国策の暴走は民主主義を破壊する
国策を担う人々は国民を欺いていることを自覚している。例えば、除染で発生した汚染土を最長30年保管するとされる中間貯蔵施設について、「最終処分場」という言葉を使わないよう「かん口令」が敷かれていたという。また福島第一原発事故後に発足した原子力規制委員会では、委員長も出席する秘密会議で安全基準を満たしていない原発の運転を止めずに済ませる方法を検討していた。
国策は官僚機構による長期にわたる情報の蓄積、いや独占がなければ進められない。国策の中で発案された施策には、時に数十年に及ぶ長く複雑な経緯があり、深刻なウソや矛盾が幾重にも積み重なっている。それを承知しているからこそ、役所の担当者は「今さら正直に言えない」「毒を食らわば皿まで」とばかりに、意思決定過程をまるごと隠し、外部からの検証を激しく拒絶している。行政の情報が隠された社会では健全な民主主義は存在し得ない。
80年以上も前、保身のため思考停止した小役人たちが昭和の戦争を引き起こした。国策が暴走した果てに待っているのは国家の破滅しかない。彼らの個人的な良心や職業倫理に頼っていては国策の暴走は止められない。彼らにとって選択肢は、良心を貫いて職を辞すか、国策を受け入れるかのどちらかしかなく、ほとんどの人は後者を選ぶからだ。国策のテーゼに沿うよう施策の辻褄を合わせ、隠蔽に手を染めていく。彼らは私利私欲にまみれた極悪人ではなく、保身のため思考停止する小役人、「凡庸な悪」に過ぎない。彼らと同じ立場に置かれたとき、良心を貫く自信がある人がどれだけいるだろうか。だからスクープを報じても批判は盛り上がりにくい。
だが、密室で検討し、国民を欺く結論を出し、検証を拒絶して押し通す国策の暴走は、間違いなく民主主義を破壊している。これは「凡庸な悪」を超えて、「真正な悪」なのではないか。だからこそ、「真正な悪」を可視化する調査報道には大きな意義があると信じている。狂暴な国策と対峙できるのは、隠された意思決定過程の解明を通じて、冷酷な国策のテーゼをえぐり出す調査報道しかない。