「日本の原子力政策に関して過去になされた数々の重要な意思決定を検証しようとするとき、われわれ歴史家が当惑させられるのは、意思決定プロセスそのものが多くの場合、不透明だということである。(中略)意思決定プロセスに関する情報が、インサイダー以外の人々に伝えられる機会は存在せず、文書の形で残されることも滅多にない。そして意思決定の結果のみが文書として公表される」
九州大学の吉岡斉教授(2018年に死去)が1999年に著した『原子力の社会史――その日本的展開』(朝日選書)の一節だ。四半世紀近くが経ち、その間には政策の破綻を表す福島第一原発事故も発生したが、原発に象徴される国策の進め方は今も何一つ変わっていない。
国策とは何か
私は10年間にわたり、毎日新聞の社会部や特別報道部の記者として、民意を無視して進められた原発事故の被災者政策、そして原発の再稼働政策を厳しく追及してきた。それ以前も、日本一の「原発銀座」、福井県敦賀市に駐在記者として赴任したのが2002年だから、原発行政との付き合いはかれこれ20年に及ぶ。
「国策」と言われて思い浮かぶジャンルは何だろう。おそらく「基地」と「原発」だろう。国策は、数十年以上の長期にわたる複雑な経緯や制度が入り組んでいるため、さまざまな矛盾を抱えながら進められている。
例えば、福島第一原発事故の発生1カ月後、政府は「緊急時」を理由に避難指示基準(被曝限度)の放射線量を年間20ミリシーベルトとした。その一方で、本来の基準である年間1ミリシーベルトを廃止せず、事故9カ月後の「収束宣言」によって「緊急時」が終わったはずなのに、20ミリシーベルトはそのまま据え置かれ、避難指示「解除」の基準にすり替わった。明らかな二重基準、もしくは単なる基準の緩和なのだが、今さら1ミリシーベルトに戻すか、あるいは1~20ミリシーベルトの間に新たな基準を設ければ、さらなる原発避難を招き、国の被災者対応が長引きかねないので、説明を変えて強引に押し通すしかないのだ。
事故発生から11年が経った。その間に政権は民主党から自公に移り、担当大臣や役所の担当者も入れ替わったが、今も年間20ミリシーベルト基準による避難解除が粛々と進められており、政策はまったく変わっていない。暴走する国策の前では、民意はおろか、為政者や担当者の良心を反映する余地は乏しい。
原発に関する個別の施策は、多くの場合、専門家や関係者を集めた公開の有識者会議で初めて公表される。役所としては、有識者会議での議論をもって適正なプロセスを経ているかのように見せ、メンバーの了承をもって関係者、ひいては国民・住民の理解や納得が得られたかのように装うのが狙いだ。
施策の内容は既に細部まで固まっており、有識者会議のメンバーが施策の撤回や基本方針の変更といった、いわゆる「ちゃぶ台返し」のような意見を言うことは予定されていないし、事実上許されない。そもそも、そんな意見を言う恐れがあるような、政策に批判的、ないしは敵対的と目される専門家は有識者会議のメンバーには選ばれない。
国策とジャーナリズム――原発調査報道の方法
そうすると、国策の暴走を監視する役割を期待されるのはジャーナリズムということになるが、これも現状はお寒い限りだ。
日本では中央省庁や捜査機関、地方自治体などの役所ごとに記者クラブがあり、新聞・テレビの各社はそれぞれに担当記者を置いている。新聞やテレビなどにおける「特ダネ」の多くは、当該の役所を担当する記者が施策の中身を発表直前に報じるもので、情報を漏らした役所(と担当者)にとってはさほど不都合にならない。それどころか、既成事実化して反対意見を抑え込む利点や、観測気球として関係者の反応を探る効果も見込める。
役所の担当記者にとって、役所(の担当者)と良好な関係を築くのは大事な仕事だ。非公表の資料を情報公開請求しようものなら、役所からすぐに警戒される。そして敵対的な記者とみなされれば、内々の情報提供(リーク)の輪から外され、自分だけが役所の決定事項を教えてもらえない、いわゆる「特オチ」に追い込まれる恐れも生じる。メディア各社は暗に役所と良好な関係を築くよう記者に求めており、国策の暴走をジャーナリズムが監視することを難しくしている。だから、役所を担当していないフリーハンドの記者が果たす役割は大きい。
私の調査報道のやり方はいつも同じだ。原発事故による健康調査や、原発事故に備えた避難計画といった、ターゲットとなる施策を定めたら、まずは発表済みの資料や国会や地方議会の議事録を網羅収集し、施策に関する公式見解の範囲を特定する。その後、関係する役所に問い合わせをかけて、発表に至るまでに行われた非公開の調査や会議を特定し、調査報告書や配布資料、議事録といった関係資料を情報公開請求する。そして開示された資料を分析して不明な点を特定し、再び役所に問い合わせる――。この基本作業の繰り返しで得られた物証を基に、施策の意思決定過程を解明し、役所が隠し通したい情報や事実を特定していく。
時に内部関係者から提供された「秘密資料」が取材の端緒になることもあるが、そうした場合も意思決定過程を解明するため取材を尽くす。内部関係者から入手した「秘密資料」についても、証拠隠滅を図られないようタイミングを見計らって情報公開請求するのだ。国策の意思決定過程はブラックボックスで、結論だけが公表されるが、公表されていない事実だけをもって直ちに「秘密資料」であると断じるのには無理があるからだ。役所の担当者が「隠蔽しています」と正直に自白するなどあり得ない。そうすると、役所による隠蔽を立証するには、情報公開請求によって本来公開するべき情報(資料)を明らかにするよう役所に判断を迫り、その対応を通じて立証していくしかない。
意思決定過程を隠す理由
「ご著書を読みました。水戸支局では部下に情報公開請求をさせていたそうですね」
私が2020年8月、30キロ圏内94万人が対象となる日本原子力発電東海第二原発(茨城県東海村)の避難計画を取材するため、茨城県原子力安全対策課を訪れた際、同課の担当者はいきなり私をけん制し、警戒感をあらわにした。
役所が情報公開請求を嫌がる理由は、意思決定過程を明らかにしたくないからだ。本来、行政における意思決定過程とは、原因→検討→判断(選択)の繰り返しだ。だが、原発のような国策は常に一方的で、隠された意図や方向性は役所内で既に定まっている。