どんな高性能のミサイルを使っていても、誤爆を完全に防ぐことは不可能です。もっと言うなら、実際には誤爆していなかったとしても、相手国の政府が「誤爆された」と言い張る可能性だってあります。「日本の攻撃でこんなにひどい被害が出た」と主張されれば、国際社会も日本への批判に回るかもしれません。そのときに、「実は日本には誤爆被害の責任をきちんと追及できる法体系がない」なんていうことが明らかになったら、日本の立場はさらに悪くなります。先に述べたように、国際法の遵守は被侵略国にとっても義務ですから、「先に攻撃に着手したのはあっちだ」などと主張しても、何の役にも立たないのです。
PKO、尖閣諸島──問題は明日起こってもおかしくない
反撃能力の行使による誤爆以外にも、「戦争犯罪を裁けない」ことの危険性が顕在化するケースはいくつも考えられます。たとえば、PKO(平和維持活動)などで海外に派遣された自衛隊が、そこで現地の民間人を傷つけるようなことがあったら、どうなるでしょうか。
特に近年はPKOの活動自体が、以前のような「和平が成立した場所に、それを維持するために行く」というものではなくなっています。人権保護のため「中立」を踏み越えて交戦することもあり、現地の武装勢力がPKO部隊や国連職員に銃を向けてくることすら珍しくありません。そんな状況では、偶発的な衝突の中で自衛官が民間人を射殺してしまうなどの可能性は十分にあります。むしろ、これまでそうした事態が起こってこなかったのは、単なる幸運でしかなかったと言えるでしょう。
通常、PKO派遣中の事件・事故については、受け入れ国と国連との地位協定に基づき、派遣国の法律で裁かれることになります。ところが、日本には前述のとおり、戦争犯罪を裁くための法体系がありません。しかも、自衛隊員の行為が「業務上過失」だとすると、現行の国内刑法さえ適用できないという問題があります。刑法の「国外犯規定」(日本の法律が及ばない国外で起こった事件であっても、殺人罪など重大な犯罪については日本の法律を適用して処罰できるとする規定)には過失犯についての定めがなく、国外での過失犯は日本の法律で裁けないことになっているからです。
民間人の命が奪われているのに、加害者は受け入れ国の法律でも、日本の法律でも裁かれない。それでは受け入れ国が納得するはずはありません。なんとか日本の法律を適用しようとすれば、過失犯ではなく故意犯として裁くしかありませんが、そうなれば上官責任は問われず、現場で引き金を引いた自衛隊員だけが、故意の「殺人犯」として重い責任を問われるということになりかねないのです。
「こんな法制度のもとで危険な場所に行かされてはたまらない」と気づいた自衛隊幹部らの抵抗もあってか、南スーダンPKOへの派遣部隊が2017年に撤収されて以降、大規模部隊のPKO派遣はなされていません。とはいえ、現状でも南スーダンなどへの司令部要員派遣は続いていますし、海賊被害への対応のため、ジブチにも自衛隊の拠点が置かれています。そこで自衛隊の車両が事故を起こし、現地の民間人を巻き添えにしてしまうといった事態は、今日明日に起こってもおかしくないのです。
さらには、尖閣諸島の問題もあります。「近海で中国が威嚇行為を繰り返している」と言いますが、中国が派遣してきているのは正規軍である人民軍兵士ではなく、あくまで「武装漁民」、つまり民間人です。いきなり正規軍を送ったりしたら、「中国が先に軍を出した」ということになって、国際社会で非常に不利な立場に置かれるのはわかりきっているからです。
それに対して、日本も今は自衛隊ではなく海上保安庁の船で対応していますが、この先、海保では埒があかないという話になって、海上自衛隊が出動することになるかもしれません。そこで偶発的な発砲が起こって、相手の「漁民」が負傷したらどうなるか。まちがいなく中国は、「日本海軍が民間人を撃った」と言い立てるでしょう。それだけでも大問題なのに、この「民間人への発砲」をまともに裁く法体系が日本にはないとなったら、大変なことになります。
自衛隊という、世界でも指折りの規模の戦力を持ち、敵基地を攻撃する能力を持っていながら、そしてジュネーブ諸条約にも加盟していながら、戦争犯罪を裁くための枠組みさえ持っていない。これは国際社会から見れば、なんて野蛮な国だ、無法の軍事国家だ……ということになります。特に日本は第二次世界大戦の敗戦国であり、わずか85年前に南京大虐殺などの戦争犯罪を引き起こした国でもありますから、国際社会の目は厳しい。これが引き金になって、国際社会全体から孤立することすらありうると思います。
「国家よりも人を守るべきだ」が世界の潮流
さらに言えば、問題は自衛隊に関することだけではありません。
実は今、戦争・紛争時の犯罪だけではなく、平時に起こったジェノサイドなどの犯罪についても、個人の責任で済まされないような重大犯罪であれば国際人道法を適用しようというのが世界的な潮流になりつつあります。ルワンダの大虐殺などをはじめ、少し前であれば「内政干渉だ」と言われていたような事態についても、国際人道法を適用するようになっているのです。関東大震災の際の朝鮮人虐殺なども、もし現代に起こっていれば、ジェノサイドとして国際人道法が適用される対象になったかもしれません。
そこにあるのは「国家よりも人を守るべきだ」という考え方です。もちろん、パレスチナやウイグルで起こっていることなどを例に挙げるまでもなく、まだまだ不十分な部分は多いのですが、それでもこれは、人類にとっての大きな進歩だと思います。
その中で、日本は単純な戦争犯罪を裁く仕組みすら持っていない。世界の潮流から半周遅れどころではない、何周も遅れていると言えるでしょう。
以前、私はこうした状況の背景には「自衛隊は戦力ではないのだから、戦争犯罪のことなんて考えなくていい」という意識がある、だからその根幹にある「戦力不保持」を定めた憲法9条2項を変えなくてはならないと考えていました。しかし、そうして憲法問題にしてしまうと、「自衛隊は軍隊かどうか」という議論ばかりが注目されて、いっこうに物事が前に進まない。憲法問題とは切り離して、まずはきちんと戦争犯罪を裁くための仕組みを整えることを優先させるべきだと考えるようになりました。