中華人民共和国「出生の秘密」
中国西北部、新疆ウイグル自治区の区都ウルムチで2009年7月5日から起きた暴動は、政府発表でも死者が200人近くに達する、新中国建国以来最大規模の民族騒乱になった。政府は「国外分裂勢力による計画的な暴力事件」としている。しかし、事件の首謀者と名指しされた亡命ウイグル人組織世界ウイグル会議のラビア・カーディル主席は「政府の民族差別政策が事件を招いた」と反論し、政府系メディアを除き中国内外の論調も事件は漢族とウイグル族の対立が原因との見方が主流だ。08年3月のチベット騒乱に続き中国で最近、なぜ大規模な民族騒乱が起きるのか。まず、現代中国の成り立ちから考えてみよう。中華人民共和国は満州族が支配した清朝の版図を継承したが、国民統合の原理としては辛亥革命(1911年)で清朝を倒した孫文らが提出した「中華民族」という概念を受け継いだ。清朝はユーラシア大陸の大半を支配したモンゴル帝国の統治を継承し、満州族、モンゴル族、漢族の合同政権という性格が強く、三民族の言語を公用語とし各民族の宗教、文化、伝統への干渉は最小限にとどめた。清朝が「最後の遊牧帝国」と呼ばれたジュンガルを滅ぼし新しい支配地を「新疆」と呼ぶようになったのは18世紀で、比較的新しい。
異民族の清王朝を倒し西洋列強に対抗できる国民国家の創成を目指した孫文は、清の版図に暮らす諸民族が形成する中華民族という概念を生みだし、それを継承した共産党政権が56民族から成る「大家庭」と定義付けた。中華民族という概念は、実は孫文以来、100年余の歴史しかない。中国のみならず日本でも広く信じられている、中華にあこがれた異民族が中原に進出し、漢民族とともに5000年の歴史を誇る中華文明、中華民族を形成したというストーリーは、国民国家建設に向けた物語の性格が強い。
形骸化した民族自治
人口の9割以上を占める漢族に対し、他の55民族を「少数民族」と呼ぶが、それは11億人を超える人口を誇る漢族に比べての話。少数民族の中では人口が5番目のウイグル族840万人でさえ、近接する独立国のカザフスタン(人口1542万人)、タジキスタン(674万人)、キルギス(531万人)に比べても遜色のない人口を持つ。独立国に匹敵する規模の少数民族を統治するため、共産党は民族区域自治と呼ばれる独特の方法を用いてきた。アメリカは各民族の移民を一律に扱う一方、アフリカ系など差別されてきた少数派には進学や就職で一部優遇を認めている。旧ソビエト連邦は憲法上、民族の自決権を認め、民族共和国の建設を許し連邦脱退の権利も与えた。
中国は、そのいずれとも異なり、少数民族が多く分布する地域に自治区、自治州、自治県の設立を認めた。しかし民族自決権は承認せず、自治区域も「共和国の不可分の一部」とした。建国当時から中国の指導者には、民族自決を認めるマルクス主義より、中華世界の「統一」を何より尊ぶ伝統思想(「大一統」)の影響が強かったのである。
法律上は、民族自治区域でそれぞれの言語、風俗習慣、宗教を守ることをうたい、独自の条例制定や中央政府の決定が現地の実情に合わない場合は、変更や執行の停止も認めた。自治区域の行政トップ、議会のナンバー1または2が少数民族でなくてはならないと定めている。一人っ子政策を緩和し、進学や就職に優遇措置も取った。しかし、民族自治を形骸化させてきたのも共産党にほかならない。
法律には共産党について定めがなく、各自治区域の実権を握る党書記は漢族が占め、少数民族の首長は事実上、傀儡(かいらい)化する傾向が強い。新疆の党書記はウイグル独立派の取り締まりを「生死を賭けた闘争」と表現し、チベットの党書記はチベット族の信仰があついダライ・ラマ14世を「人面獣心の悪魔」と非難し、民族感情を逆なでするのもいとわない。
経済発展で深まる民族対立
党が少数民族の反抗に強硬姿勢で臨むのは、民族自治区がすべて中国の国境に位置し、その安定が本土の安全保障を左右するためだ。少数民族地域の面積は巨大で、5自治区を合わせると国土の半分近くを占め、石油、天然ガス、希少金属、ウランなど、戦略的資源は大半がこの地域に埋蔵されている。共産党政権は戦略上の要衝である民族自治区の統治に力を注いできた。新疆の場合、建国間もない1950年代から兵士を新疆生産建設兵団として入植させ、農業生産や工業建設に従事させる一方、治安維持に当たらせてきた。ほとんどが漢族の兵団人口は約250万人に達し、ウイグル族との摩擦が絶えない。
極左的な毛沢東思想の影響が強かった時代は、党は民族主義を「反動的」と排斥した。少数民族の指導層や宗教への迫害も階級闘争の一環とされた。しかし、学生、市民の民主化運動を武力で鎮圧した1989年の天安門事件以降、党は「愛国主義」を強調し「中華振興」を国家目標に掲げるようになった。少数民族にも旧来の生活習慣を守るより、漢語を習得し沿海地域への出稼ぎによる経済的地位の向上を求めた。民族自治区には資源や観光開発を名目に漢族の流入が進み、経済活動に不慣れな少数民族を差し置いて利益を享受している。改革・開放による格差の拡大が民族自治区に持ち込まれ、少数民族の不満や反感は、かえって強まった。
中国の発展につれ高揚する漢族主導の中華民族主義は、援助や優遇措置を受けながら反抗をやめないウイグル族やチベット族に対する敵意も先鋭化させている。「中華振興」を世界に宣言した北京オリンピックの前後に少数民族の反乱が中国を揺るがしたのは偶然ではない。