オバマの写真に「ヒトラーのひげ」
2010年11月2日、アメリカで行われた中間選挙で、共和党が歴史的とも言える大勝となり、民主党は下院で過半数を失った。共和党の躍進を後押ししたのが、09年1月のオバマ政権発足直後に始まった「ティーパーティー」(以下、TP)と呼ばれる運動の勢いである。オバマ政権が進める社会保障政策や景気対策を「大きな政府」路線として批判する保守運動だが、インターネットやツイッターを駆使する草の根運動の手法で拡大した。参加者のほとんどは白人である。TPが世界的にニュースの種になったのは、09年9月12日、ワシントンで行われたデモで、オバマ大統領の巨大な写真にヒトラーのちょびひげをつけたり、顔を白塗りしたもの(映画「ダークナイト」の悪役を模している)を掲げて行進して以来だ。その後、連邦議会の議場で、演説中の大統領に「うそつき!」と叫ぶ議員まで登場。カーター元大統領は「黒人大統領に反発する新たな人種差別だ」と批判した。
「新たな人種差別」という批判は、TPの隠された主張に向けられている。それは「黒人は公民権運動で膨大な既得権を積み重ね、ついに大統領の座まで獲得した。もはや彼らは被差別層ではない。差別されているのはわれわれ白人で、今や白人は少数派だ」というものである。いわば「逆立ちした人種差別」だが、統計では2040年代に有色アメリカ人が多数派に転じると推定されているから、「白人は被差別層」という主張は人種差別の新たな展開とも言える。
10年8月28日には、TPは右派の有名なTVデマゴーグ(扇動者)、グレン・ベックの呼びかけで、30万人(主催者発表)を首都に集めた。この日は、1960年代の公民権運動の指導者キング牧師の、有名な「私には夢がある」演説の47周年にあたる。公民権運動の正統性を、彼らの運動に利用したものであり、黒人から貴重な歴史遺産を奪う狙いがあったと言えるだろう。
「連邦政府廃止」の主張も
TPには連邦政府の廃止を主張する者さえいる。国防総省、司法省、国務省、財務省以外の全省庁、FBI、CIA、証券取引委員会(以後SEC)、国税庁(財務省内の機構)などの廃止である。こうした主張は、連邦を離脱して南北戦争を引き起こした南部で受け入れられやすい。しかし、例えばSECの廃止は、金融規制をすり抜けたデリバティブなどで大不況を招いた証券会社に有利、環境保護庁や国税庁の廃止や累進課税の廃止も企業に有利だ。TP参加者の大半は、下層中流白人層であり、こうした主張は、彼らにとって何の利益にもならないはずだ。2010年夏には、オバマ政権の代替燃料開発に危機感を募らせる石油産業などが、匿名でTPに寄付金を流し込んでいることが判明した。それでも、そうした資金注入だけでTPが盛り上がるはずがない。資金注入は「油」にすぎず、その前に、火元のマグマが存在しているのである。
1970年代、工場の海外逃避によって製造業などの「物品の生産」で働く中流層が没落した。後に残ったのは「情報・サービス生産」だ。「情報生産」を担うのは、メディア関連や、弁護士、学者、医師などの「専門職」であり、高学歴が前提になる。「サービス生産」も、衣食住での新たな流行のニーズを先取りする必要から、専門化が進んだ。それまでの中流と下層は、実務的な職業への誇りから培われた「体験的知性」を基盤としてきた。しかし「学歴的知性」が優先されるようになると、いわゆる「負け組」と「勝ち組」への分断が起きて、中流自身が体験的知性を卑下するようになり、不満が鬱屈(うっくつ)してきた。
南北戦争前から続く「蒙昧化文化装置」
これは世界的な傾向だが、国土が広大で、人々の常識のギャップも巨大なアメリカでは、(1)人種差別、(2)キリスト教原理主義、(3)リバタリアニズム(自由至上主義)、(4)革新側の歴史遺産の逆利用など、不満を抱く民衆を「蒙昧(もうまい)化」させる文化装置が深々と根を下ろしている。(3)は、「規制反対」で大企業とTPが一致し、前述のように前者が後者に資金提供、ともに連邦政府廃止論へと突っ走る。(2)は、例えば「地球温暖化否定派」の走狗が「神は地球を人類の勝手に任せられたと聖書に書いてある」と本気で言い張る。
(4)はTPの最大の特徴だ。TPの名前自体が、アメリカ独立革命のきっかけとなった1773年のボストン茶会事件(Boston Tea Party)に由来しており、連邦政府をアメリカ独立を阻む大英帝国に見立てたものだ。逆利用は、トンチンカンなことに連邦政府設立を定めた合衆国憲法にまで及ぶ。前述のキング演説の日にぶつけた集会もこの部類に入る。
以上の4つの「蒙昧化文化装置」は、19世紀には南部を基盤として奴隷制を支持する民主党のお家芸だった。他方、リンカーンの共和党は、奴隷制廃止を掲げて南北戦争を断行した。ところが20世紀に入ると、民主党は蒙昧化文化装置を棄てて革新政党に脱皮。すると、1970~80年代にはニクソンとレーガンを筆頭に、共和党が4つの文化装置と南部に残存する旧民主党保守勢力(TPの大先輩)を取り込んで「劣化」した。
「学歴的知性」への反発は、これら蒙昧化文化装置を貫く共通項である「反知性主義」に結びつく。レーガンやブッシュ(前大統領)が彼らの英雄になったのは、「学歴的知性」を担う専門職のにおいがせず、大統領でありながら「連邦政府は悪だ」と罵ったからだ。ずさん極まる赤字財政を放置したのも彼らだが、TPはなんでもいいから連邦政府が消えればいいのである。
インターネットが「蒙昧さを競い合える環境」をつくり、TPを一気に拡大させたことも見逃せない。大統領選でのオバマの快進撃を支えたのもネットであったことを思えば、テクノロジーはイデオロギーや知性度を選ばないようだ。皮肉なものである。
中間選挙で当選したTP系の候補は上院で6人、下院では46人に上る。共和党本体が極右のお株を奪われた形となり、民主党にかえって有利になる可能性がなきにしもあらずだが、現状ではTPの勢いを止めるには、アメリカ経済が不況から回復するのを待つしかなさそうだ。