踊る大統領選と“安哲秀現象”
2012年12月19日の韓国大統領選挙で与党セヌリ党の朴槿恵(パク・クネ)候補が当選し、韓国初の女性大統領が誕生した。得票率は51%対48%、わずか3%差という歴史的大接戦だった。激しい選挙戦の中で印象的だったのは、朴が若者に混じってアイドルグループKARAの「ミスター」や、世界的ヒットを記録したPSYの「江南スタイル」に合わせて踊ってみせたシーンだ。元大統領の娘という出自から「お姫様」と呼ばれ、長年髪形を変えない「堅物」というイメージの朴が、公の場で初めてジーンズをはき、笑顔で踊ってみせたのは、センセーショナルな「事件」だった。朴の突然の「変身」の理由は、政治参加に積極的で、リベラルな政治意識をもつ若者世代の支持獲得のためだった。近年の韓国の選挙は、若者の投票率が高いのが特徴的だ。「デジタル世代」と呼ばれる彼らは、SNSやツイッターを武器に、自分たちの好む候補を当選させる「キングメーカー」になろうとしている。かつての韓国の選挙は地域対立が顕著だったが、今回は「世代間選挙」といわれたように、世代間で投票傾向に顕著な差が表れた。経済成長と産業化の立役者とされる故・朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の長女として、ファーストレディーも務めた朴は、50代から62.5%、60歳以上で72.3%の圧倒的支持を得た。一方、野党の民主統合党の側、人権弁護士出身で庶民派の文在寅(ムン・ジェイン)候補は、20代から62.5%、30代から72.3%という高い支持を得た(いずれも韓国テレビ局による出口調査)。
投票日が近くなると、メディアは20代と30代を合わせた「2030世代」が勝敗のカギを握ると展望した。3人目の候補で、若者の絶大な支持を集めていた無所属の安哲秀(アン・チョルス)が選挙終盤に突然辞退したことで、その支持票の動向に注目が集まったのだ。
安はコンピューターのウイルス・ワクチンを開発しては無料で提供し、財産を社会に還元したIT企業社長で「韓国のスティーブ・ジョブズ」とも呼ばれる。彼は数年前から「青春コンサート」と題するイベントを通じて、雇用不安と競争社会のひずみに苦しむ若者の声に耳を傾け、励まし続けてきた。政治とはまったく無縁だった彼が、「若者のメンター(助言者)」として大統領候補にまで担ぎ出されたことは、韓国の若者の政治意識の特異性とそのダイナミズムを如実に物語っている。
安は、保守か進歩かを問われると「常識か非常識かを判断基準とする」と答えた。また、既得権益の打破を主張し、スローガンとして「安心して結婚できる国」を掲げたが、そこには雇用、出産、育児、住宅、医療、福祉などあらゆる生活問題が内包されており、シンプルな表現が若い世代には伝わりやすかった。
朴槿恵候補の「イメチェン」にはこうした背景があった。朴はさらに「経済民主化」、格差是正、非正規雇用差別撤廃、授業料値下げなど、若者の求めるリベラルな公約を掲げた。これは明らかに「安哲秀現象」を意識したものだった。見方によっては、朴に柔軟な姿勢を取らせた若者と彼らの支持する安哲秀は、この選挙の隠れた勝者ともいえる。
自発性を重視する若者の「キャンドル集会」
そもそもこうした若者のパワーを韓国社会に知らしめたのは、08年の「BSE反対」のキャンドル集会だった。同年4月、李明博(イ・ミョンバク)政権がBSE(牛海綿状脳症、いわゆる狂牛病)感染の恐れのあるアメリカ産牛肉の輸入条件緩和を決めると、翌5月2日の夕方、「給食に使われるのでは」という不安から、これに抗議する中学生の少女たちがキャンドルを手にソウル中心部の清渓川(チョンゲチョン)広場に集まったのである。少女たちの動きは組織ではなく自然発生的なものだった。この動きはその後、ケータイやメールで徐々に広がり、参加する年齢層も拡大、数万人規模の大集会へと発展した。参加者が手に手にキャンドルを持って夕方に集まるところから「キャンドル集会」という呼び名が定着した。このキャンドル集会は従来の学生運動やデモとは性格を異にしており、ここに今の韓国の若者の政治意識・政治感覚が表れている。
その特徴は第一に非暴力と自発性(自主性)だ。若者たちは一貫して非暴力を貫くとともに、組織やリーダーから指示・啓発・説得されることを望まず、自発性を重視した。当局や保守メディアはお決まりの「左翼の陰謀」という論理で集会の「黒幕」を必死に暴こうとしたが、当の若者たちは「私の黒幕は“私”だ」というプラカードを掲げ、古い論理を一蹴した。
次にこれと関連して、若者たちはイデオロギーやナショナリズムよりも、生活に直結した具体的な問題に敏感に反応する。「反米」や「反独裁」ではなく、食の安全を訴え、英語集中教育など競争至上の教育自由化路線に反対する。ある17歳の少女が吐露していたように、集会は試験地獄や果てしなきサバイバル・レースに疲れた若者たちのストレスと不満を表出する場でもあるのだ。
彼らを支えているのは自信と自己愛だ。彼らは愛国心のような、うさんくさい公的愛よりも、率直な自己愛、個人主義を重視する。K-POP女性グループ2NE1(トゥウェニーワン)のヒット曲「私が一番イケてるの」(日本版タイトル「I am the Best」)のメンタリティーなのだ。だから自分たちを尊重してほしいと思うし、生きにくい現状に対して時に大胆に、NOを突き付けるのだ。この率直さが共感のネットワークを形成し、時に爆発的な力をみせる原動力でもある。
第三に注目すべきは、韓国の若者は、現実に苦しみ将来に不安を感じながらも、「不安型ナショナリズム」や「生活保守主義」といった保守的な方向に向かうのではなく、問題解決のためには社会を構造的に変革すべきだというリベラルな立場に立つ。いわば、「生活進歩主義」「生活リベラル」といえる。
最後に、彼らはなにより共感とユーモア、軽やかさを大切にする。キャンドル集会は平和的で楽しい「祝祭」に昇華されていた。カップルがデートとして集会に参加する「キャンドル・デート」という言葉さえあった。時に集会に共感する人気アーティストがライブを行ったりするので、本当のデートのようにもなる。そこには1980年代の韓国民主化運動のような悲壮感はない。彼らは「狂った牛はあんた(李明博)が食え!」「大統領も返品できますか?」と叫び、警官隊が拡声器で集会解散を呼び掛けると、警官に「(拡声器で)歌え!」と言い返す「ノレヘ!」コールをしたり、飲み会のように「♪歌を歌えない人は嫁さんをもらえない ああ憎い人♪」という歌を合唱する。
「父権」の反撃で朴槿恵が勝利
韓国若者の政治参加意識が高い背景には、身近な芸能人や文化人の存在もある。韓国では、人気作家や芸能人がツイッターやSNSで政治参加を呼び掛けたり、リベラルな政治的発言をすることをいとわない。カリスマ的人気を誇る女性アーティストのイ・ヒョリは選挙当日に投票所前で撮影した「認証ショット」をツイッターにアップし、他の女性芸能人との間での「投票ファッション対決」が話題になった。投票呼び掛けが功を奏したのか、2030世代の投票率は前回を上回った。投票率が高いほど政権交代の可能性が高いとされていたが結果はその通りにはいかなかった。投票呼び掛けは、若者のリベラルな政治意識に危機感を覚えた50代以上の結束をも促すという皮肉な結果をもたらしたのだ。
高齢世代からすれば、朴槿恵を「独裁者の娘」と呼ぶ若者たちが自分たちの人生を否定していると感じ、許せないのだろう。いわば新しい韓国と古い韓国のぶつかり合いともいえた。