◆米軍少将が射殺される
2014年8月5日、カブール郊外の士官学校で、アフガニスタン政府軍の兵士が銃を乱射し、米軍の少将が射殺された。兵士の意図や背景などは今も不明だが、これほど高位の米軍幹部が任務中に殺害されるのはベトナム戦争以来であり、アメリカのアフガニスタン戦略の行き詰まりを象徴している。
米軍は14年末にアフガニスタンから戦闘部隊を撤退させる予定である。また、NATO(北大西洋条約機構)が担ってきたISAF(国際治安支援部隊)もまた、年内でその任務を終了する。だが、彼らはアフガニスタンの安定化を見届けて去っていくのではない。アフガニスタンは今や、世界でも有数の「失敗国家」と化しているのだ。
アフガニスタンでは、1979年に侵攻したソ連軍が89年に撤退して以降、いくつもの武装勢力がぶつかり合う内戦状態が続いていた。このとき、パキスタンの支援を受けて90年代以降、国土の大部分を制圧したのが、神学生を中心に組織されたイスラム原理主義勢力タリバンであった。彼らは支配地域でイスラム原理主義色の強い統治を行った。
しかし01年のアメリカ同時多発テロ後、「テロを実行したイスラム過激派アルカイダをかくまっている」として、米英軍の攻撃により、タリバン政権は崩壊した。同時に国際社会の介入の下、群雄割拠していた軍閥も武装解除され、04年には新政府が正式に発足。アフガニスタンは、国際的な支援を受けながら徐々に安定化していくはずであった。
ところが、それから10年たったアフガニスタンでは、なんとタリバンの実効支配が国土の大部分で復活してしまっている。人々は「なぜ国際社会からこれほど援助を受けながら我々は貧しいままなのか」という疑念から、カブールの政府を無能で腐敗していると見なすようになった。これに加えて、度重なる空爆がアメリカへの反感を育ててきた。いまや、南西部を中心に地域の有力者たちはタリバンになびいている。貧しさの中に放置された農民たちは麻薬の原料であるケシの栽培をさかんに行うようになり、世界のケシ栽培の9割をアフガニスタンが占めるに至った。そうした中、カブールでは、2014年6月に行われた大統領選の決選投票結果をめぐって混乱が続き、挙国一致政権で両候補が合意して新大統領にアシュラフ・ガニが選出されるまでに、3カ月もかかる状況であった。
アメリカは同国史上最長となった出兵の末、軍事的勝利を断念してアフガニスタンを去ろうとしており、タリバンはこれを追撃してかつてない規模の攻勢をかけている。そこで今、模索されているのが、「タリバンとの和解」である。
◆“タリバンは話し合える相手だ”
和解の模索は、カブール政府、アメリカ、国際社会の様々な次元で始まっている。アメリカは14年6月、タリバンとの直接交渉を通じて、グアンタナモ米軍基地に収容していたタリバン幹部と、タリバンに拘束されていた米兵捕虜を交換した。アメリカはまた、ドーハにおいてタリバンとの和平交渉を断続的に続けている。ただし、「外国勢力の完全撤退」を求めるタリバンとの距離が縮まる気配はない。
01年にボン合意の成立を主導したドイツも、タリバンとの和解に積極的だ。国連アフガニスタン支援団(UNAMA)の中に置かれる、アフガニスタン担当の国連事務総長特別代表(SRSG)をもう一人置き、これをタリバンとの交渉担当にすべきだと考えている。「タリバンはイスラム原理主義勢力だが、政治的にはパレスチナのハマスよりは話し合える相手だ」というのがドイツの見立てである。タリバンを国際社会に迎え入れることで、穏健なイスラム勢力へと着地させる「タリバンの国際化」が目標だ。
タリバンに軍事的に勝利できないことが分かった今、困難でもタリバンと和解するしか道はないのである。今のままではアフガニスタンの不安定化は避けられない。そしてアフガニスタンの不安定化は、インド・パキスタン関係、ひいては南アジア全体の不安定化に直結する。
そもそもアフガニスタン問題の起源は印パ対立にあると言っていい。わずかな数の神学生の集まりにすぎなかったタリバンが1990年代後半にアフガニスタン全土を掌握するに至ったのは、パキスタンの後押しがあったからだ。その目的は、アフガニスタンでの自国の影響力の拡大だった。インドとの対峙(たいじ)のためにそれが必要と考えたからである。
一方で、そのインドが今、急速にアフガニスタンで影響力を拡大しつつある。先日、インドに行った際、筆者がかつて滞在した大学の国際留学生寮を訪れたところ、その過半数がアフガニスタンからの留学生であった。貧しいアフガニスタンから何の援助もなしに留学生が大量にやってくるとも思えない。そこには、アフガニスタンへの影響力を拡大しようというインド政府の意図が見え隠れする。もし米軍撤退後に、インドがカブール政府に武器供与を始めるようなことになれば、パキスタンは当然、面白くないだろう。
◆パキスタンとの国境地帯が火種に
こうした構図の上にさらに危険な火種を提供しているのが、パキスタン・タリバン運動(TTP)の存在だ。アフガニスタンの南西部からパキスタン北西部にかけては、国境をまたいでパシュトゥーン人が暮らしている。彼らはアフガニスタンでは最大勢力であり、パキスタンでも一定の自治を認められている。この地域でこの数年、活発に活動しているのがTTPだ。これに対してアメリカは無人機によって攻撃を加え、誤爆を繰り返すことで住民の反米感情を育てている。
TTPは、パキスタン政府とアメリカへの攻撃を行うイスラム過激派である。ニューヨークでの爆弾テロ未遂事件に関与し、シリア内戦にも参加したという情報もあるなど、その活動はパキスタン国内にとどまらない。アフガニスタンのタリバンがあくまでも土着的な原理主義勢力である(と目されている)のに対して、TTPはグローバルな過激派なのだ。
アフガニスタンの不安定化が進むと、アフガニスタン・パキスタン国境が溶解し、ともにパシュトゥーン人であるアフガニスタンのタリバンとTTPが一体となる可能性がある。そうなれば、国際社会はより強力な過激派勢力と向き合わなくてはならなくなる。
2015年以降、米軍やISAFという緩衝材がなくなることで、アフガニスタン・パキスタン国境の両側でタリバンやTTPの掃討を続ける両国軍が直接向き合うようになることも不安材料である。アフガニスタン政府軍を構成しているのは、かつてタリバンと戦った北部同盟系の軍人が多く、タリバンを支援してきたパキスタンを当然、快く思っていない。偶発的な衝突が発生し、拡大することが危惧(きぐ)される。
タリバンとの和解が求められるのは、こうした状況があるからだ。アルカイダやTTPといった勢力と手を切って国際社会に仲間入りする方が得策だとタリバンが思うように国際社会が誘導する。出口はそこにしかない。
◆憲法9条をもつ日本だからできること
そうした中で、日本だからこそ果たせる役割があると、筆者は考える。
中東や南アジアで日本の評判はとてもよい。アメリカやイギリスなどと違って、日本はこの地域で軍事力を行使したことがない。日本は戦争をしない国だという好意的なイメージをもたれている。筆者はかつて、日本政府代表としてアフガニスタンで軍閥の武装解除を行ったが、その際も「日本人が言うことなら」と聞いてくれるのである。つまり、憲法9条によって戦争を放棄した日本という「ブランド」は、日本外交の大きな財産なのだ。
そして、そうしたブランド力をもつ日本だからこそアフガニスタンの安定のためにできることがある。自衛隊の派遣である。といっても非武装で、である。
先述したように、アフガニスタン・パキスタン国境は15年以降、両国軍が直接向き合うことになる。国境地帯そのものが、紛争の火種になりかねない。UNAMAに停戦監視業務を加えて、停戦監視団を置き、国境の不安定化と両国軍の衝突を防ぐことが急務である。そして停戦監視は軍人が非武装で行うミッションであり、憲法9条下の自衛隊にこれほどふさわしい仕事はない。