例えば、フランスの労働者層が最も支持しているのは極右政党のFNである。FNは80年代までは政治的には戦前のファシズムや植民地主義を擁護して反共主義を掲げ、経済的には新自由主義を主張するマイナーな政治勢力だった。それが90年代になって冷戦構造が崩壊し、度重なる不況とこれに伴う産業構造の変化、さらには2000年代に入ってアメリカで同時多発テロとリーマン・ショックが起きると、反グローバル化と大きな政府、移民規制を唱えるようになっていった。言い換えれば、政治的にはかつての保守勢力、経済的にはかつての社民勢力の主張を自らのものとした。そして、これはグローバル化と個人主義化という、経済と政治にまたがる「リベラル・コンセンサス」の中で相対的な敗者となっている有権者たちの支持を集めているのである。FNの支持者は、やはり移民の流入など社会の変化を歓迎しない保守的な高齢層と、社会的な居場所を見つけられない若年層だ。彼らは、不可避的に進む政治社会での変化に抵抗感を覚えるゆえに、政治的ラディカリズムを支持することになる。
戦後の平等や豊かさを再定義する必要がある
要約すれば、経済的な豊かさが失われていることへの異議申し立てのみならず、戦後政治の中で形作られてきた政治的対立軸の揺らぎが政治的ラディカリズムを各国で巻き起こしていることの理由といえる。これは、かつて1960年代から70年代にかけて先進国でみられた政治的ラディカリズムとは質を異にしていることにも留意しなければならない。すなわち、平和反戦運動やカウンター・カルチャー、新左翼など、戦後にみられた政治的ラディカリズムは、より良い世界の変革を目指す、未来志向のものだった。「革命」という言葉が同時代に叫ばれたのは偶然ではなく、社会の側が政治に革命を求め、その結果として、よりリベラルな価値観が重んじられる、アメリカの社会学者イングルハートのいう「静かな革命」が進んでいった。
しかし、現在の政治的ラディカリズムは、国民国家の枠で仕切られた同質的な民主政治とマイルドな資本主義を両輪とする、いわゆる「ケインズ主義的福祉国家」によって作り上げられてきた「分厚い中間層」の復活を求める、むしろ保守的で反革命的な性質を持っている。これは、政治の側が進めた革命が過剰になったことに対する社会の側の抵抗といってもよい。その表れこそが、トランプやサンダースや、欧州の極右・極左勢力なのであろう。
このことは、戦後に実現されてきた社会的な平等や経済的な豊かさが再定義されなければならないということも意味している。世界経済のグローバル化やこれに伴うヒト・モノ・カネ・サービスの移動はとどめようがないし、他方で社会での個人の解放や自己決定権の拡大も押しとどめようがない。しかし、これらの現象が政治的ラディカリズムを呼び込んでいるのだとしたら、私たちは戦後に実現し、獲得してきた社会的平等と経済的豊かさをどのような異なる手段で再び手にすることができるのかを、真剣に考えなければいけない時期にさしかかっているだろう。そうでなければ、これから私たちは第二、第三のトランプやサンダース、その他のラディカル政治を目撃することになる。