伊勢崎 PKOには主に、文民行政部門、文民警察部門、軍事部門、そして非武装の軍事監視団という四つのコンポーネント(構成要素)があります。私は、文民行政部門の幹部として、東ティモールで国連PKO暫定行政府の県知事を務め、シエラレオネでは内戦終結のために民兵を武装解除し社会復帰させる「DDR(武装解除・動員解除・社会復帰 Disarmament, Demobilisation, Rehabilitation)」と呼ばれる活動の責任者を務めました。
国連平和維持軍(PKF)としての自衛隊
布施 日本が最初にPKOに自衛隊を派遣したのはカンボジア(1992~93年)でした。約600人の施設部隊を派遣し、内戦で荒廃した道路や橋の修理などの復興支援を行いました。派遣前は、国内でかなり大きな反対運動が起こったそうですね。伊勢崎 いわゆる「日本陸軍」が、第二次世界大戦後初めて海外に行ったわけです。まだ今のように自衛隊の存在自体が国民に受け入れられていない時に、いきなり600人という「陸軍1個大隊」を外国に送るわけですから、当時の日本人の感情からしたら(反対運動が)大きくなるのは当然でした。でも、政府は「これは国連の要請に基づく、国益を超えた国際貢献なんだ」ということで押し切りました。結果的に、自衛隊は一人の死傷者も出さず、活動も高い評価を受けたということで、国内での自衛隊に対する評価も高まりました。
最初の隊長としてカンボジアに行かれた渡邊隆さん(元陸将・東北本部方面総監)と親しくさせてもらっていますけど、彼は重大な事故が起こると思って覚悟を決めて行ったそうです。軍事組織は現地の武装集団にとってハイターゲットになりますから、自衛隊の指揮官としては最悪の事態を想定しないはずがないのです。
しかし、日本国内での捉え方はそうなっていませんでした。自衛隊はPKF(国連平和維持軍 Peacekeeping Forces)には参加せず、停戦合意が守られている中でインフラ整備などの非軍事的な活動を行うので問題ないと政府が説明していたからです。
これは非常に罪作りな言い回しでした。自衛隊がPKOに行けば、PKFに入るに決まっています。PKFとはPKOの軍事部門のことです。自衛隊は、軍事組織として、つまり、仮想敵から合法的な攻撃目標と分かるように軍服を着て――まあ、これは国際人道法上の義務なんですが――武器を携帯して行くわけですから、当然PKOの中のPKFになります。PKOに派遣された自衛隊員が必ず腕に縫い付けるブルーの国連のワッペンは、国連の指揮下にあるという印です。自衛隊もPKOに行けば当然、PKF現地司令官の指揮下に置かれるのです。それなのに、自衛隊が参加するPKOがあたかもPKFとは別物かのように国民をミスリードしたのです。
自衛隊はPKOでありPKFではない。このような、日本でしか通用しない言い回しによって憲法問題をクリアし、国民に受け入れさせていくということを、日本政府はずっとやってきました。しかも、それを誰も検証してこなかったことが驚きです。野党もメディアも、政府の作った土俵に乗ってしまったのです。日本のメディアは、いまだにPKOとPKFを区別して使っていますが、いったいいつまでこれを続けるのでしょうか。繰り返しますが、PKFは、PKOのコンポーネントの一つであり、武装した自衛隊はPKFしか所属するところはないのです。
布施 確かに、最初のカンボジア派遣の時に大きな反対運動が起こったのが信じられないくらい、今は「PKOは国連で中立だし、軍事的な活動ではないから良いのでは」と受け入れている人が多いように感じます。
伊勢崎 PKOは、自衛隊のイメージアップと海外派遣に対する日本人のアレルギーを取り除くために使われてきたのです。みんな、慣らされてしまった。
布施 でも、その裏では、最初から大きな「ボタンの掛け違い」があったということですね。
「中立」を捨て「紛争当事者」へ
伊勢崎 その矛盾を一手に背負って、現場で苦労するのが派遣された自衛隊員です。今度は確実に事故が起こるでしょう。これはもう自衛隊OB、特に海外派遣の指揮官も務めた人たちに話を聞いたら、わかります。むしろ、今まで事故が起きなかったのが奇跡でした。しかも、カンボジアのPKOから20年以上が経って、国連のPKO自体が大きく変わっています。変わる契機となったのは、1994年のルワンダでの大虐殺です。数カ月の間に約100万人が殺されるというジェノサイドを、PKOがいながら止められなかったということが国連のトラウマになります。
そして登場するのが「保護する責任」という概念です。99年には、コフィ・アナン国連事務総長が、住民保護などのマンデート(任務)を遂行するためにPKOは国際人道法に従って行動しなければならないとガゼット(官報)で告示しました。これは国連が中立性をかなぐり捨て、国際人道法上の「紛争当事者」になって住民を保護するということを意味します。
これを機にPKOはどんどん好戦化していきます。今や住民保護は、ほとんど全てのPKOの筆頭マンデートとなり、2010年に始まったコンゴ民主共和国のPKOでは、武装勢力が住民に危害を加える前に殲滅しろと特殊部隊を投入して先制攻撃することまでが承認されました。コンゴのPKOの現場で使われているROE(交戦規定 Rules of Engagement)は、交戦する対象に、ゲリラなどの非国家主体に加えて国軍と警察も入っています。つまり、もし国軍や警察が住民を攻撃している場に遭遇したら殲滅(せんめつ)しろと言っているわけです。良い悪いは別にして、国連はここまで来てしまっているのです。
こういう中では、「PKO派遣5原則」など成り立つはずがありません。昔と違って停戦合意が破れたからといって撤退するわけにはいかないのです。住民を保護するために送られているのに、それができないなら最初から来るな、の世界になっているのです。PKOに出すということは、最初から「紛争当事者」、つまり「交戦」する主体になるというのが大前提です。国連はそれを前提にしているのに、日本だけがそれを前提にしないで、政治家もメディアも20年前に作ったPKO派遣5原則がいまだに成り立つなんて思っているわけだから、もうどうしたらいいのかわかりません(笑)。
軍法も軍事法廷もない自衛隊のリスク
布施 南スーダンのPKOも、住民保護が筆頭マンデートになっています。2013年末に内戦が勃発して以降、少なくとも5万人が犠牲になったといいます。今年(2016年)4月末に、昨年8月の和平合意に基づいて暫定統一政府が発足しましたが、まだ予断を許さない状況が続くと思われます。国際人道法
戦時において戦争の方法や手段を制限し、文民や負傷した戦闘員などの人道的保護を確保するための条約と慣習法の総称。赤十字国際委員会の呼びかけで成立した1949年のジュネーブ諸条約と1977年の二つの追加議定書、2005年の第3追加議定書などからなる。
PKO派遣5原則
日本の自衛隊が国連平和維持活動(PKO)に参加するとき、満たさなければいけない条件。(1)紛争当事者間で停戦合意が存在すること、(2)受け入れ国や紛争当事者による受け入れ同意が存在すること、(3)特定の紛争当事者に偏らず、中立的立場を厳守すること、(4)これらの要件が満たされなくなった場合、撤収できること、(5)武器の使用は要員などの防護のための必要最小限に限ること、の5つの原則。1992年に成立した「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」(国際平和協力法)に定められている。