金融界のスノーデンかアサンジか
エルベ・ファルチアーニ(44歳)。彼の存在を知ったのは2014年の春、スペインで取材をしていた時のことだ。08年のリーマン・ショック後の経済危機の中で緊縮政策を実施し、国民を苦しめる一方で保身に走る政治家や銀行にノーを突きつけ、社会変革を求めて11年5月に生まれた市民運動「15M(5月15日)」。この運動を追いかけていた私は、15Mに参加した若い世代が12年12月に生み出した市民政党「パルティードX(X党)」が気になっていた。パルティ-ドXは、「腐敗を一掃し、民主主義を実現する」という明快なスローガンを掲げ、政党登録はしているが、メンバーの名前などを一切公表することなくネット上に現れ、「バーチャルな」存在でしかなかった。しかし、その後「姿」を現わし、14年5月の欧州議会選挙に、「リアルな」候補者をたてて挑んだ。その候補者リストのトップにいたのが、ファルチアーニだった。欧州議会選挙では、同年1月に誕生したばかりで5議席を獲得した市民政党「ポデモス(私たちはできる)」に注目が集まり、パルティードXは結局、議席を得ることができなかった。とはいえ、彼らがファルチアーニを前面に出して戦ったことには、ひとつの強いメッセージが込められていると感じた。「腐敗の一掃」だ。ファルチアーニは、選挙時の記者会見で、こう述べている。「私たちが開発した、銀行の取引をモニタリングするシステムを、欧州全体に導入することを提案します。すべての銀行にその使用を義務づけることができれば、脱税を監視することができます」
モンテカルロ生まれでイタリアとフランスの国籍を持つファルチアーニは、イギリス資本の大手銀行HSBC(香港上海銀行)のシステムエンジニアとして、スイスのジュネーブに勤務していた06年11月からのおよそ5カ月間に、同銀行に秘密口座を持つ10万人以上の顧客の情報を盗み出した。それは、HSBCのプライベートバンキング部門が、世界200カ国を超える国々の顧客の脱税を幇助(ほうじょ)していたことを示すものだった。スイス当局は、彼をデータ窃盗などの罪で08年12月22日に逮捕したが、翌日取り調べに戻る条件で解放した。すると直後にフランスへ逃亡したファルチアーニは、ニースでフランス検察を通して、情報をフランス政府に提供。フランスはスイスへの彼の身柄引き渡しを拒否し、データをもとに脱税捜査を始める。データは、アメリカやスペイン、イギリスなどへも渡り、各国の脱税摘発に貢献することになる。
ファルチアーニ自身は、スイス当局によって国際指名手配され、逃亡生活を送ることになった。そして12年7月、フランスからスペインのバルセロナへ入ったところで逮捕、勾留される。だが、スペインでは金融情報の持ち出しを犯罪とは定義しておらず、また脱税という不正行為の告発に貢献するものとして、同年末に無罪放免となった。それは、「アメリカがスペインの司法制度を知った上で、ファルチアーニにアドバイスした」行動の結果だといわれる。
こうしてスペインを拠点に活動することとなった彼は、13年10月、パルティードXの腐敗対策委員会への協力者として、スペインのマスコミに再登場することになる。そして翌14年に、欧州議会選挙に出馬するわけだ。
この辺りまでの経緯は、日本ではあまり知られることがなかったが、15年2月、「パナマ文書」で有名になった「国際調査ジャーナリスト連合(ICIJ)」が同団体のウェブサイトで、ファルチアーニが提供したデータを公表すると、たちまち世界中で話題となった。欧米のマスコミは、彼を「金融界のスノーデン」とか「アサンジ」とか呼び、彼がもたらした情報を「スイスリークス」(スペインでは、「リスタ・ファルチアーニ」、つまりファルチアーニ・リスト)と名づけて報道する。
「泥棒」か「英雄」か
ファルチアーニはなぜ、逮捕のリスクまで犯して情報を持ち出し、リークしたのか? スイス当局は、彼がその情報を売却して大金を得るために盗んだとし、あくまでも「経済スパイ」や「泥棒」という犯罪者として裁こうとしている。が、本人の主張は、それとは異なるものだ。16年5月、スペインの首都マドリード郊外の町、アルカラ・デ・エナーレス(『ドン・キホーテ』の作者、セルバンテス生誕の地)で、本人が直接語ってくれた経緯は、こうだ。
「情報そのものに関心があったわけではなく、(HSBCという)大企業がついているウソ、脱税の手口を明らかにしたかったんです。そのウソに関わり続けたくなかったですし。だから、具体的な証拠を示して、例えばHSBCは麻薬カルテルのための銀行だということを、証明したかった。情報を共有することでそれを達成できたことが、一番の成果だと思っています。また、情報を共有すれば正しいことが行えるということを示すのも、リークしたもう一つの理由です」
実際、アメリカでは、この情報に基づいて麻薬カルテルの資金洗浄などに協力した疑いでHSBC銀行が司法省に告発されたといわれ、同銀行は19億ドル(約1900億円)の罰金を支払った。スペインでも、これまでに659人分の口座についての脱税調査が行われ、約2億6000万ユーロ(約312億円)の税が回収された。ちなみに日本人もリストに載っていたが、今のところ、脱税捜査の気配はないようだ。
一連の脱税捜査を巡り、ファルチアーニ自身は今、フランスをはじめとする複数の国の税務関係機関の仕事を請け負うことで報酬を得るなどして、生活している。
ローカルな闘いでグローバルな問題を解決
実は、私が16年5月にファルチアーニと会ったのは、スペインの「全国補完通貨大会」という地域通貨の普及などに取り組む市民の集まりにおいてだった。彼はその日、「フェア・ペイ(fair pay)」というテーマで、30人ほどの参加者を前に、話をしていた。地域社会といったローカルな場面での取り組みが中心の大会で、彼のような「国際的金融システムの問題に関与する」人間が何を話すのか、興味があった。青いカッターシャツできめた、案外イケメンのフランス人システムエンジニアは、聴衆にフランス語訛りのスペイン語でまず、「金儲けのためではない、社会的意味合いの強い金融手段は作れるか?」という問いかけをした。
「例えばビザ、マスターなどのクレジットカードは、顧客のためというより、むしろ企業の利益のために作られたものです。しかし、それとは逆の、市民のためのクレジットカードを作ることもできます。自分は誰に貢献したいのかを明確にし、それに合ったクレジットカードを作ることは可能なのです。要は、そのカードが信頼できるものかどうか、つまり情報への信頼が重要なので、それさえ確保すれば、何も大企業が発行するクレジットカードを持つ必要はないのです」
そう話すと、一例として、各市町村で独自のクレジットカードや電子マネーを作る可能性について、説明する。
「市民は信頼できる町(市政・町政)を築き、町が市民とともにカードや電子マネーを含む独自の通貨を発行し、その貸し付けや支払い方法などを決めて、コントロールする。そうなれば、金融サービスに関する不正は排除され、信頼できる情報のやり取りができます。タックスヘイブン(租税回避地)の問題も解消する。信頼を維持するために最も大切なことは、私たち市民がその制度についての知識をきちんと持つことです」
つまり、従来のような金融機関に自分の財産や消費行動をコントロールさせるのではなく、自分たちのコミュニティを基礎にした金融システムを築き、市民が地域行政とともに自分たちの経済をコントロールしようというのだ。
地域通貨を扱っている人たちにとって、その根底にある考え方はよく理解できるものだが、例えば「クレジットカード」のようなものは、自分の町の中だけでなく、国内外のどこででも利用できないと困るではないか、という疑問が出た。これに対し、ファルチアーニは笑顔でこう応じる。