一方ロシアはアメリカやEUからの食料品輸入停止などの報復措置を取った。ドイツを初めとする多くのEU諸国にとって、ロシアは重要な貿易相手国だ。このためロシアに対する経済制裁がEU側に与えた経済損害は1000億ユーロ(13兆円、1ユーロ=130円換算)を超えるという推定もある。
プーチンの西側に対する強硬的な態度は、彼の国内での支持基盤を固めた。クリミア併合直後プーチンへの支持率は約80%に達している。
冷戦後にロシアが味わった屈辱感
西欧の政治学者の間には「ロシアの強硬な態度の背景には、ソ連崩壊後西欧諸国が勝者のように振る舞い、ロシア側に手を差し伸べなかったことへの反発がある」という見方が強い。
冷戦終結後、アメリカを盟主とする軍事同盟、北大西洋条約機構(NATO)とEUはポーランドやチェコなど中東欧諸国を次々に加盟させ、かつてのロシアの影響圏は縮小していった。これらの国々は第二次世界大戦後に強制的にソ連陣営に編入されて弾圧されたために、ソ連が崩壊すると直ちにNATOとEUの下へ走ったのだ。特にNATO加盟は重要だった。NATOは、一国が侵略された場合、アメリカを初めとする他のNATO加盟国が反撃するという集団安全保障組織だからである。彼らはNATO加盟によって一種の「保険」を手にした。だが多くのロシア人にとって、これらの国々は第二次世界大戦でナチス・ドイツを打ち破ったことを記念する「戦利品」の一種だった。彼らの目から見ると、NATOとEU拡大は戦利品の喪失であり、強い屈辱感をもたらした。
ロシア人たちは、冷戦終結後に、西欧がポルトガルからウラジオストクまで広がる「ユーラシア共同体」を作ることをロシアに対して提案することを期待していた。しかしNATOとEUは「共同の家」を作ることを提案せず、半ば事務的に東方拡大を進めることによって、ロシア人の心を傷つけた。
最近ロシアの知識人たちと話をすると、「EUとNATOはロシアの権益を侵そうとしている」とか「ロシアは欧米諸国によって包囲されている」という猜疑心を感じる。長大な国境線を持つロシアは、歴史上の経験から外国による侵略に強い不安感を持っている。実際同国はナポレオンによる侵略(1812年)、日本によるシベリア出兵(1918年)、ナチスによる侵略(1941年)など外国軍の侵攻で辛酸をなめてきた。これらの体験が世代を超えて受け継がれ、今なお多くの市民の心に西側に対する猜疑心を植え付けている。先日ドイツで講演を行ったあるロシア人の政治学者は「90年代に西欧諸国はロシアを拒絶した。我々は欧州に再び戦争がやってくると考えて、軍事力を強化することにした」と述べ、現在の東西対立の原因は西欧側にあるという見方を強調した。彼の「ロシアは西欧に従属する存在にはならない」という言葉は、ロシア人たちの自尊心が過去30年間に深く傷つけられたことを示唆していた。
ウクライナはかつてソ連の一部だった。その国で親EU派が権力の座についたことはプーチンの逆鱗に触れた。もしもウクライナがEUに加盟したら、ポーランドやチェコのようにNATO加盟も申請するかもしれない。これはロシアにとって旧ソ連領にNATOがより深く食い込むことを意味する。
勝者はしばしば傲慢になり、敗者に対するデリカシーを欠く。冷戦後のNATO、EUの東方拡大を進める上で、欧米の政治家、官僚たちはロシアの複雑な心情に対するきめ細かな地政学的な配慮を怠った。このことが今日のロシアの専横的な態度の一因なのかもしれない。
バルト三国をめぐる緊張
もう一つロシアと欧米間の緊張を高めているのがバルト三国である。かつて独立国だったエストニア、ラトビア、リトアニアは第二次世界大戦中にソ連に強制併合された。バルト三国はソ連が崩壊する直前に独立して、2004年にNATOとEUに加盟した。これによって前の冷戦時代とは異なり、ロシア本土がNATO加盟国と直に国境を接することとなった。しかも社会主義時代にソ連はロシア系住民をバルト三国に移住させたため、ラトビア市民の約26%、エストニア市民の約25%はロシア系住民である。プーチンはクリミア半島のようにロシア系住民が多い地域を、ロシアの影響圏と見なしている。
このためクリミア半島の併合は、NATOや欧米諸国の政府に「プーチンはバルト三国の強制併合を試みるのではないか」という疑念を抱かせた。ロシアは2013年にポーランドとリトアニアと国境を接した同国の飛び地カリーニングラード周辺で、7万人の兵力を動員した大規模な軍事演習を行うなど、威圧的な態度を誇示していた。カリーニングラードは、ロシアの領土で最西端に位置し、同国にとって最も重要な軍事拠点の一つである。かつてこの町はナチス・ドイツ領の東プロシアにあり、ケーニヒスベルクと呼ばれた。だが連合国が1945年に行ったポツダム会談で、ケーニヒスベルク周辺の地域は、ソ連領の飛び地とされることが決まった。ソ連にとっては、バルト海に面し、冬にも凍らないカリーニングラードの港は、大きな魅力だった。
ロシア軍はカリーニングラード周辺に、約22万5000人もの兵力を集結させている。