韓国で一人目の新型コロナウイルス感染者が確認されたのが2020年1月20日のことだった。それから2カ月半以上がたち、今や新型コロナウイルスのある風景は韓国の日常となりつつある。
バスやあちこちの建物には、くしゃみと咳の際のマナー、手洗い、マスク着用という基本原則を扱ったステッカーが貼られ、消毒ジェルも随所に置かれ、手の乾くひまがない。日に数度、携帯電話には政府から一方的に緊急メッセージが送られてくる。ビーッとうるさいため、消音にしていないと寿命が縮む。
毎朝11時の政府対策本部の記者会見はラジオやテレビで生放送され、新規感染者、検査数合計、死亡者、完治者などの数字が読み上げられるとともに、重要な決定事項が発表される。さらにLINEに登録しておけば、この数字は午前10時過ぎに3通のメッセージとしてグラフ付きで受け取ることができる。
ラジオでは事あるごとに「ソーシャル・ディスタンシング」、つまり社会的に距離を置こうと呼びかける。隣人と2メートル以上の距離を取ることから、外出はやめよう、仕事が終わったらまっすぐに家に帰ろうとうながす。街路樹にも、同じ内容の垂れ幕が掛かっている。
さらに物語にも事欠かない。新型コロナウイルスが大拡散した大邱(テグ)市にボランティアに行った医師や、コロナに感染したが完治した市民が自らのエピソードを語りながら「大韓民国はコロナとの闘いに必ず勝てる」と締めるコマーシャルを各自治体などが競って作り、心を揺さぶる。ソウル都心の政府庁舎にも「コロナに勝とう!」と巨大な垂れ幕が下がる。
原稿を書いている4月8日午前0時時点での感染者は1万384人。累積検査人数は46万6003人、完治6776人、死亡者200人だ。
この原稿を日本の読者に向けて書くにあたって、何をどう書くのか散々迷った。ただ、筆者は普段から韓国社会の現象や問題を時に眺め、時に体験し、さらには分析して生きている人間である。このため、新型コロナウイルス拡散によりあぶり出された、いくつかの韓国の姿のうち最も大切で政府や人々がプライドを持っている部分、すなわち「開放的かつ民主的に感染拡大を抑えている」という部分を整理してみたい。
韓国政府の「原則」
「開放性と透明性、民主的で自発的な参加」
これは今や、韓国政府お気に入りのフレーズとなった、韓国の新型コロナウイルス対応における大原則だ。
3月27日、「中央災難安全対策本部(中対本)」の第1次長を務める朴凌厚(パク・ヌンフ)保健福祉部長官は、世界保健機構(WHO)がテレビ電話で開催したコロナ19定例会議に参加し、WHOの加盟国に対し韓国の防疫体制の現況やその間の経験について説明した。
この場で朴長官は、「世界化と多元化を基盤にする、民主主義国家に符合する韓国の感染病対応の体系の特徴」をアピールし、自国の対策法を売り込んだ。そして「何よりも開放性と透明性に基づく市民の参加を前提とし、韓国が持つすべての力を総動員しながら、最先端の情報通信技術(ICT)などの創意的で革新的な方法でコロナ19に対応していること」を強調した。
またこれに先立つ3月9日、金剛立(キム・ガンリプ)保健福祉部次官はソウル市内で行われた外信記者クラブでの政府合同記者会見の席で、「これまでとは異なる新たな感染病対応モデルを導入中で、そのモデルの核心は『開かれた民主社会のための躍動的な対応体系』である」とした。
そしてその特徴として、(1)透明で迅速な情報公開、(2)開放的な民主主義と共同体精神を尊重する多くの市民の自発的な参加、(3)創意的な方法の模索とIT技術の積極的な活用の三つを挙げた。
政府の両高官は、当然だが政府の同じ方針を述べている。筆者は在日コリアン出身でソウルに17年以上住むなどそれなりの韓国経験を持っているが、「ずいぶん洒落た哲学でやってるな」というのが正直な感想だった。
それと同時に、「いつからこういうコンセプトを持ち始めたのか」が大いに気になった。
感染者が増えるや豪腕をふるって武漢市を封鎖した中国や、死者があふれスケートリンクに遺体を並べるスペインの姿を見れば分かるように、感染病との闘いというのはもっと現実的で泥臭いものだという先入観と、韓国の青臭い理想論は対極にあるように思えたからだ。
準備を重ねてきた韓国
実は今回の新型コロナウイルスへの対策は、韓国にとって「三度目の正直」だった。
韓国では11年前、2009年5月から新型インフルエンザ(H1N1)が大流行し、同年の年末までに約75万人が感染し、うち263人が死亡するという事態が起きた。
当時、韓国政府の対応の遅れと危機意識の低さは問題視された。特に、5月に発生したにもかかわらず、危機警報を全4段階のうち、3段階目の「警戒」に引き上げたのが7月21日、最高レベルの「深刻」に引き上げたのが11月3日と、遅れが指摘された。
初めての死者が出たのは8月、10月の時点ではすでに、1000を超える全国の学校で新型インフルエンザが拡散、休校する学校が相次ぎ小学生の死者も出ていたからだ。
韓国政府の感染病危機管理マニュアルでは、「深刻」にレベルを引き上げると、全国の学校の休校を検討し、大規模なイベントを禁止できるようになる。
状況が沈静化した後、政府の中対本はこうした失敗の教訓、中でも「情報の共有不足や患者の発生状況」「疫学調査官の不足」などの項目を明記し700ページを超える白書にまとめ、改善を誓った。
それから6年後の2015年に、韓国政府はふたたびウイルスの挑戦を受けた。
5月20日に一人目の感染者が確認され12月23日に終息宣言が出されるまで、韓国をMERS(中東呼吸器症候群)の流行が襲ったのだった。当時186人が感染し、うち38人が死亡、隔離者は1万6693人にのぼった。
日本では感染者がいなかったため大きな話題とならなかったが、韓国では当時、致死率の高さや大病院が感染元となったことなどから、少なからず恐れられた感染病だった。一部ではインスタントラーメンや缶詰などの買い占めも起きた。
だがここでも韓国政府は「失敗」し、自らこれを認めている。
韓国の保健福祉部は16年7月に『2015 MERS白書』を刊行した。副題は「MERSから教訓を得る!」。政府刊行物に似合わない「!」を使っていることからも分かるように、感染病対策を変えるという明確な目的をもって書かれた報告書だった。分量は488ページにわたる。
その冒頭で、鄭鎭燁(チョン・ジンヨプ)保健福祉部長官(当時)はこう述べている。
「5月20日から6月8日まで、政府はMERSに対する情報と専門家の不足、情報公開の遅延などで初動対処をしっかりとできなかったという評価を得た」
またしても「情報公開の遅延」である。
実際に、当時の朴槿恵(パク・クネ)政権は感染者が出た病院名の公開をすぐにしなかった。さらに感染者確認から20日たってから官民合同対策本部を発足させるなど、指揮系統が定まらず右往左往する姿を見せたことで、強い批判にさらされた。
こうした経験を踏まえ上記の報告書では、疾病管理本部の強化、地方自治団体の感染病管理組織の確保と強化、医療機関の感染管理力強化、中央と地方自治体、医療機関間のネットワーク構築、危機時の意思疎通(コミュニケーション)力の強化などを課題に挙げている。全面的な強化に他ならない。