1938年に満州で開学した幻の国立大学があった。日本・中国・朝鮮・モンゴル・ロシアの各民族から優秀な人材を集められた「建国大学」。満州と建国大学を舞台にした名作漫画『虹色のトロツキ―』の安彦良和氏と、ノンフィクション『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』と新刊『1945 最後の秘密』で同大学の卒業生たちを描いた三浦英之氏の初対談が実現。戦後80年のいま、「満州」が放つ強烈な光と影から、私たちは何を学ぶことができるのか。
安彦良和氏(左)と三浦英之氏(右)
満州建国大学との出合い
三浦 安彦さんは『機動戦士ガンダム』のキャラクターデザイナー兼アニメーションディレクターとしても非常に有名ですが、漫画家として描かれた『虹色のトロツキー』も本当に面白く、私も大好きな作品です。作品の舞台の一つとなっているのが満州建国大学ですが、私も建国大学の卒業生たちをテーマにした『五色の虹』というノンフィクションを書いて、集英社の開高健ノンフィクション賞を受賞しています。私が『五色の虹』を出版したのは2015年でしたが、安彦さんが「月刊コミックトム」で『虹色のトロツキー』の連載を始めたのは、その25年も前の1990年なんですよね。
安彦 1990年から描き始めて、満州に取材に行ったのが1991年でした。
三浦 建国大学は日本が満州国における将来の官吏(官僚)を育成するため、日本、中国、朝鮮、モンゴル、ロシアの各民族からそれぞれ優秀な若者たちを選抜し、それぞれの民族をごちゃ混ぜにして約6年間、共同生活を送らせたという、いわば戦前の「スーパーエリート校」なのですが、私が『五色の虹』を書こうとしたとき、建国大学はすでに「幻の大学」と呼ばれていて、世の中的にはまったく認知されておらず、先行研究はもちろん、資料も終戦直後に関東軍に焼却されてほとんどありませんでした。
ところがいま、安彦さんの『虹色のトロツキー』を再読してみると、登場人物の多くが実在の人物に基づいており、舞台設定とか当時の時代背景とか、歴史的史実からほとんど逸脱していないように感じます。これは本当にすごいことです。どのように建国大学を調べ、執筆を進めたのでしょうか?
安彦 漫画というのは、主人公が若者じゃないと絵にならないんですよ。それで、満州を描きたいなと思って、主人公はやっぱり若者だから、学生とかがいいなって(笑)。どこかいい学校がないか探していて、偶然見つけたのが建国大学でした。調べてみると同窓会というものがあって、その会長が坂東勇太郎さんでした。会社の社長だったので、社長室にいきなり押しかけたんです。豪放で太っ腹な人で、最初は「なんで漫画家なんてヤツが俺の前にいるんだ」っていう感じだったんですけど、話をしていたらわかってくれて、「これ持ってけ」って言って、その場でこの2冊の本をくれたんですよ。
三浦 これは……建国大学の写真集と建国大学年表ですね。
安彦 漫画だから絵的な資料が欲しいので、この写真集が非常に役に立ちました。あとこれ、「年表」って書いてあるけど、いわゆる年表じゃないんですよ。小さいことも大きいこともたくさんのエピソードが書かれていて、読んでいると非常に面白い。これで描けそうだなと思いました。
それで、1991年に現地取材に行かせてもらったんです。連載していた版元の関係で当時の日中協会事務局長が非常に親切に根回しをしてくれたものだから、至れり尽くせりの取材になりました。中国では共産党青年部の連中が案内してくれたんです。向こうとしては、勝手なとこ行かれちゃ困るから、全部フォローしてくれるわけなんですけどね。
三浦 中国ではいまも満州国を「偽満(ウェイマン)」と呼んで、存在自体を認めていませんからね。私も建国大学を取材するために一人で中国東北部を訪れたのですが、私の場合、取材ビザをとるためには事前に取材先や取材場所を開示しなければならなかったため、取材先のレストランや宿泊するホテルの部屋の前にはいつも、耳にイヤホンをさした角刈りの男が立っていました。
安彦 いや、僕が行ったときにもいたのかもしれないけど、僕の場合はまったく無頓着だから、「いや、ご親切にどうも」って(笑)。