その結果、政府の疾病管理本部(KCDC)は格上げされ、本部長も次官級となった。16年には緊急オペレーションセンターや感染病診断管理課などが新設され「次」に備えた。
幸運も重なった。韓国政府は昨年(2019年)10月末には「エボラウイルス」の韓国初の侵入に備えた訓練を国を挙げて行い、同年12月17日にも未知の病原体に対する検査技法を整える訓練を実施していた。疾病管理本部の幹部は今年3月のロイター通信とのインタビューで「運が良かった」と明かしている。
そして新型コロナ感染者が600人を超えた今年2月23日、韓国政府は2009年の新型インフルエンザ流行時以来11年ぶりに、国家の危機対応段階を「警戒」から「深刻」に引き上げた。そしてやはり09年当時と同じく、「中央災難安全対策本部(中対本)」を設置した。
09年と異なるのは、対応の速さだけでなかった。05年にこの制度ができあがって以降はじめて、国務総理が本部長となった。国務総理とは、行政を統括する韓国のナンバー2にあたる職務である。
韓国政府によると、中対本は「『災難および安全管理基本法』により行政安全部に設置される汎政府の最高レベルの非常対策機構であり、大規模災難の予防・準備・対応・復旧などに関する事項を統括・調整するコントロールタワー」と位置づけられる。
「開放的」とは
こうした過去の上に、先に述べた「開かれた民主社会のための躍動的な対応体系」という政府高官の発言があった。
「開かれた」という言葉から読み取れるように、そして過去の苦い経験を基に、韓国政府は今回の新型コロナウイルス対応において情報の公開に力を注いでいる。これは『2015MERS白書』でも引用しているように、世界の感染病対策をリードする米国の疾病対策センター(CDC)が「何よりも重要」と評する「大衆と政府の信頼構築」に欠かせないものだ。
だが、時にそれは「やり過ぎ」と感じることもある。
国民の携帯電話はGPSで追跡され、ショートメッセージを通じてその場所に合った感染者に関わるメッセージが届く。例えば、筆者は普段は京畿道金浦(キンポ)市に住んでいるため、金浦市や仁川(インチョン)市など付近の情報が届く。だが、ソウルの光化門に取材に行くと、携帯電話には光化門がある鍾路(チョンノ)区や隣接する恩坪(ウンピョン)区の情報が入ってくるといった具合だ。
さらに、感染拡大を防ぎ、接触者の検査をうながすために、感染者の動線がこと細かく公開されている。
地方自治体のホームページでは、その地域に住む感染者がいつどこで何をしたのかが時間単位で分かるようになっている。感染者全員には1から9000番台まで番号が振られ、誰が誰の接触者なのかの説明もあり、どこで検査を受け、今はどこに隔離されているのかも一目瞭然だ。この情報をあぶり出すために、監視カメラに加えクレジットカードや、交通カードの利用履歴などのデータが活用されているのは言うまでもない。
こうした政府の動きの根拠は「個人情報保護法」第58条1項第3号にある。「公衆衛生など公共の安全と安寧のために、緊急に必要な場合に一時的に処理される個人情報」に対しては、個人情報収集の制限から除外される。
2015年のMERS拡散当時すでに、外交部(海外渡航歴)、教育部(学生名簿)、国土交通部(移動制限)、行政自治部(住民登録番号の提供)、国民安全処(既往歴)などの情報がやり取りされていた。
さらに、2020年3月に「コロナ3法」と呼ばれる「感染病の予防および管理に関する法律」「検疫法」「医療法」が改定され、政府の権限を強化し、外国人にまでその対象を広げる措置を取った。
名前は公開されないものの、当初は確診者(検査陽性者)が住むマンション名や年齢まで出ているため、若者がラブホテルに行ったりしている情報が出ると、ネットにおもしろおかしくさらされるという動きもあった。
実際にソウル大学が2月に発表した世論調査結果によると、「自身が確診者となった時に、周辺から非難や追加の被害を受けることが怖い」とコロナ感染の恐怖について答えた人が最も多かった。
こうした動きを受け、国家人権委員会は3月9日、「感染者の内密な私生活を守る方策を考え、求めるべきだ」との勧告を出した。今は、具体的な居住地は公開されなくなっているというが、それでも地域で確診者を知らせる速報でマンション名が出たりするなど、対応はまちまちだ。
政府の情報公開を行う姿勢と、一人1台のスマートフォンから得られるデータ、さらに一人一つの住民登録番号で紐づけられる様々な社会的な足跡の記録が、「開放性」の正体だ。
「31番患者」を前に起きた専門家の論争
話を少し戻す。2月23日に政府が危機警報を「深刻」段階に移行した際、すでに韓国第4の都市・大邱市では感染爆発が確実視されていた。「31番患者」と呼ばれる61歳の女性は、高熱や悪寒などの自覚症状があったにもかかわらず、500人近くが参加する新興宗教「新天地」の礼拝に参加し、知人の結婚式に出席するなど深刻な拡散者となった。
大邱市ではちょうど、2月23日を境に確診者が大きく増え始めた。23日は310人であったが、1週間後の3月1日には2705人まで増えた。その後、大邱市さらに隣接する慶尚北道地域では、4月1日現在8000人を超える確診者が出た(大邱市6704人、慶尚北道1302人)。全体の8割を超えるため、その集中ぶりが分かる。
だが大邱市ではこの時、知られざる葛藤があったという。この時の専門家の様子を、自身も慶尚南道でコロナ対策にあたる、慶南発展研究院の李官厚(イ・グァヌ)研究員(政治学博士)は31日、筆者にこう説明してくれた。
「感染病専門家の人たちによると、『新天地』信者の31番目の確診者を見つけるとともに、大邱市だけで1000人以上の有症状者を確認した時点で、今後数千人の感染者が出ることが確実視された。この時に専門家のあいだで『この水準の拡散なら、もはや統制は不可能だ。集団感染をさせて免疫を得る方向に変えて、生き残る人を生き残らせるしかない。それが教科書に出る方法だ』という立場と、『今は教科書を見る時でなく、一人でも多くの命を救う時だ。韓国の行政リソースとIT技術を組み合わせて、5000人でも1万人でも検査をしよう。