私たちの方式でやってみよう』という立場のあいだで大論争となった。専門家たちが年齢や序列も関係なく、感情をむき出しにして論争をした。そして全数検査をすることで決まり、政府はそれに応えた。一種の冒険だった」
同様の内容を、国立がんセンターの奇牡丹(キ・モラン)教授(予防医学)も3月31日の韓国のラジオ番組で証言している。
「大邱での状況(31番確診者の存在)に気づいた時、すでに4000〜5000人の患者がいた。そしてベッドが足りない2000人の患者が家で入院待機をし、亡くなっていった」
「研修施設などを開いて患者を受け入れなければならないが、市や道(県に相当)の知事が1週間ほど決められなかった。その後、(軽症者用の)生活治療センターができて入院患者が軽減されていった。この1週間、専門家の間で『大邱は何をやっているんだ』と怒声が行き交った」(奇教授)
筆者はこれを「確診者へのこだわり」と表現したい。韓国では感染者よりも「確診者」という言葉がはるかに多く使われる。これは医学的には検査を行い、新型コロナウイルス陽性となった人を指す。筆者はこの言葉を、新型コロナ感染者を不気味な、目に見えない存在ではなく、透明で開放的な情報公開の上で社会の一員として位置づける概念とあえてとらえたい。
2月22日、韓国の丁世均(チョン・セギュン)総理は緊急会見でこう述べている。
「政府は状況を隠さず明かしている。国民も同じようにしてくれれば、ウイルスが隠れる所はない」
この言葉は、当時から日に1万人以上の検査をやり続けている韓国政府の対応を特徴づけるものといえる。ある病院やビル、教会で集団感染が発生した場合、韓国政府はすぐに全数検査を行う。一度目が陰性でも、潜伏期間を考慮し二度目、三度目と続け、情報を明かしていく。この姿勢こそが、新型コロナウイルスに対する民主的な対応を続けようとする、韓国社会の動きを引き出した。
「民主的」の妙
金剛立保健福祉部次官は3月9日の、外信記者向け記者会見でこう述べた。
「伝統的な感染病への対応体系は、封鎖と隔離を重要視し、それなりの効率性を持っているが、閉鎖性と強制性、硬直性に短所があった。これにより私たちは民主主義の毀損と、市民が受動的な存在に転落するなどの弊害も経験してきた」
これを克服するための第1段階が前述してきたような情報公開と、新型コロナウイルスに逃げ場所を与えない政府のやり方だった。
そして、社会はこれに「共同体精神」と「自発的な参加」で応えた。例えばマスク不足。一時は文在寅(ムン・ジェイン)大統領まで乗り出して、政府を叱咤するほど韓国ではマスク不足が続いたが、サムスンなどの大企業が増産支援に乗り出す一方で、政府はマスクに関するあらゆる情報をオープンにした。2月28日から今まで毎日、公的なマスク供給量を会見で明かしている。
3月初頭から一人あたり週に2枚のマスクを買える制度が導入されたが、この時にも政府が関連情報を公開したことで、市民はマスクの入荷情報が分かるアプリを開発したり、最もシェアのある地図アプリで入荷情報がリアルタイムで確認できるようになるなどの改良がいち早くなされた。
同じように、大邱での感染爆発についても政府は隠さなかった。ギリギリの状況を公開しながら2月24日の時点ですでに全国の医療関係者に協力を呼びかけた。無償ではなく派遣された民間の医師や看護師、臨床検査技士などにも報酬を支払うことを明記した。
医師には45万〜55万ウォン(約4万〜5万円)、看護師には同30万ウォン(約2万7000円)を日ごとに支払うとした。最低1カ月の勤務なので、しっかりした報酬が補償されることになる。また、派遣期間が終わっても14日間の報酬を補償し、参加へのハードルを下げた。結果、500人以上の医師や看護師、臨床検査技士などが駆けつけ、医療崩壊を防ぐことができた。そして、メディアはこうした物語を拡散した。
「自発的な参加」は、政府の内部にも存在したという。先の李官厚氏はこう語る。
「慶尚南道の場合もそうだが、今は中央や上部の指示を待って動くという雰囲気ではない。創意的なアイデアがあれば、知事が『責任は自分が取るからやろう』となる。これが中国という権威主義的国家との差だと思う。新型コロナ拡散初期に、疾病管理本部が企業と協力して検査キットを急いで作ったのも、ドライブスルー検査も同様だ。それができる土台がある」
李氏は「2015年のMERSの教訓が大きかった。権威主義ではウイルスを統制できないということだ」と続けた。4月に入り、大邱市での新規確診者は20人以下に減った。韓国は大量の死者を出すかもしれなかった大邱市の危機で国力を結集し、都市封鎖をしないまま乗り切った。
社会的弱者を想いながら
ふたたび、『2015 MERS白書』を見ると、355ページに「公衆保健危機時の個人の自由と権利制限時の考慮事項」という表があり、以下のように記されている。
一 個人の自由と権利を制限する措置が、法により提供され実行されなければならず
二 一般の善(general good)の正当な目標を持った場合にのみ留保可能で
三 そうした目標を達成するために、民主的社会で厳格に必要な水準で
四 同一な目標に向かうためには最も浸湿的(既存の規則を侵す方法)でなく制限的な手段で
五 科学的な根拠に基づき
六 任意に賦課したり差別的な方式であってはならず
七 公衆のために個人の人権と自由が制限されるとき、国家は彼らが不当に害を受けないよう保障し支援するべきだ(互恵性の原則)
注によると、このうち6つ目までは国連が定める「シラクサ原則(人権を制限する場合の詳細な原則)」とのことであるが、こうした点も考慮して準備してきた点は印象的だ。
最後に、この文章を終えるにあたって日本社会にどうしても強調しておきたいことがある。
「最も有効な被害の克服と景気改善対策は、1日も早く新型コロナ禍を終息させることだ。一旦、耐えてこそまた立ち上がれる。確診患者も耐えてこそふたたび立ち上がれる。今苦しんでいる零細企業の商工人もふたたび立ち上がれる」
3月2日、洪楠基(ホン・ナムギ)経済副首相兼企画財政部長官(財務省に相当)は国会を訪れ、追加補正予算の成立をこう訴える途中で涙を流した。別に洪長官は、取り立ててリベラルな人物ではない。どちらかといえばシビアな財政専門家に分類される。だが、こうした姿を見て人々は、政府の対応の原則がどこにあるのか判断する。
ソウル市の朴元淳(パク・ウォンスン)市長も事あるごとに、社会的弱者への支援を強調する。こうした姿勢は市民が落ち着いて、安心して暮らすには欠かせない。国家的な感染症に対する姿勢は「まず社会的弱者から」となるべきだ。
見てきたように、韓国政府の新型コロナへの対応は「感染病拡大時に最も必要な『信頼』を得るために政府が情報公開を行い、社会がそれに応えた」という原則を徹底したものだ。4月15日に迫る総選挙を政府の頑張りの理由に持ち出す人もいるが、それだけでは説明できないことが多い。その間のプロセスはこれから分析され、落ち着いた頃にやはり白書として功罪がまとめられることになるだろう。
ただ一つ言えることは、韓国政府と韓国社会は「開放的で民主的な」今回のやり方に自信をつけつつある。個人情報の取り扱いや今は支援から除外される外国人へ対応など、諸々の重要な問題も今後、この土台の上で折り合いをつけていくだろう。どれも予断を許さないものの、襲い来るウイルスに対する新たな第一歩としては、うまく踏み出せたのではないかと筆者は思う。