米国がシステムから中国を排除しようとすれば、中国には保有する1兆744億ドル(中国側の8月発表)に上る米財務省証券を市場に放出する「報復」の選択肢がある。しかしそのカードを切ればドルは紙くずと化し、中国経済のみならず世界経済を破滅に導く。
米ソ冷戦下で核兵器が「使えない兵器」になったように、金融システムを破断することは、21世紀型の「使えない選択」になったのである。
第三の「代理戦争」に至っては、米中間では全く見られない。
このように、米中対立は、かつての米ソ冷戦とは全く異なるのである。
米国衰退は不可避
米国の衰退についても触れておく。「中国叩き」の狙いの一つは衰退に歯止めをかけることのはずだが、トランプの振る舞いはむしろ衰退を加速している。米主導のグローバル・ガバナンスを支えてきたのは、①多くの国々の繁栄と安全を保障する「実利」②国際機関や協定を通じて多国間で決め実行していく「手続き」③共通の価値観という「原則」――だった。
トランプ政権の同盟・自由貿易軽視によって①への信頼は低下。地球温暖化防止のパリ協定、ユネスコと世界保健機関(WHO)からの離脱宣言で②も失われ、コロナ禍をめぐる大統領のデマをはじめ、黒人差別抗議デモを批判する姿は、「人権」「自由」の欺瞞性を印象付けた。もはや米国はグローバル・リーダーの地位から退場しつつあると言える。
では、米退場後に訪れる世界秩序とはどのようなものか。「米中新冷戦」ではないのか。
二項対立に思考誘導
「新冷戦論」は、米中対立の内容と性格を規定する単なるワーディング(用語)ではない。この構図で世界を見始めると、経済はもちろん政治、軍事、思想、文化に至るあらゆる領域で「米国か中国か」の二者択一を迫る「落とし穴」に、無意識のうちに誘い込まれてしまう。だが、複雑な相互依存によって成立している国際政治の世界で、「二択」を迫ること自体が、本来は無理筋というべきであろう。
中国は6月30日、香港国家安全維持法を制定した。翌7月1日付の日本経済新聞(朝刊)は、その背景と展望を分析する「強権中国と世界」と題する連載記事を掲載し、その第1回のタイトルを「民主主義への挑戦状」とした。「一党独裁か民主主義か」の典型的な二分法から、中国の強権政治を批判する内容である。
「一党独裁」の主体は中国共産党である。では「民主主義」の主体は何を指すのか。日本、米国? それとも日本を含む先進工業国? このタイトルには、「民主主義」という曖昧な概念の中に、「中国以外の国際社会」をすべて括ってしまう乱暴な論理が見てとれる。
筆者は、米国のファーウェイ排除を批判する記事を書いたことがある。この記事についてある読者は「アメリカと中国のどちらが良いと聞かれたら、アメリカが良いと言うしかないね。残念だけど」とツイートした。これこそが「二項対立」によって誘導された意識である。
「独裁か民主か」の二択を迫られれば、代表制民主に慣れた人々は「独裁」を選択するだろうか。筆者も「独裁」を選択しない。しかし、独裁と同質のガバナンスをもたらすポピュリズムを生み出したのは「民主主義」そのものであり、その内実が問われていることを自覚しなければならない。
大統領選での再選が動機
中国自身も思考の「落とし穴」をよく理解している。中国外務次官を務めた傅瑩(フーイン)氏(清華大学戦略・安全研究センター主任)は4月27日付の中国紙のインタビューで、「(米中)両国が不毛な競争を続け、さらに『デカップリング』と対決に向かい、どちらの側につくか他の国に迫るならば、世界を分裂に向かわせることになる。それは双方の利益を損なうだけでなく、世界の安定をも壊すことになる」と警告し、「世界の他の国は中米のどちらかの側につくことを望んではいない」と述べた(注1)。
米中関係はその後も悪化の一途をたどり、7月末には、米中双方がそれぞれの総領事館を閉鎖するまでに発展した。それでも筆者はこれを「新冷戦」とは呼ばない。米中デカップリングを可能にする指標は、ドルによる「グローバル金融システム」だが、それは依然として米中共通の利益になっているからである。
さらに、ボルトン前大統領補佐官(国家安全保障担当)が6月23日に出版したトランプ暴露本のさわりを見ると、トランプは習に向かって「中国史で最も偉大な指導者」と持ち上げ、新疆のウイグル族収容施設の建設を奨励、香港のデモを擁護しないとまで述べたとされる。米国では民主党を含め、反中国世論が支配的なのは事実だが、次に誰が大統領になっても、現在の歪んだ対中政策の調整は避けられない。
米国際政治学者イアン・ブレマーは、コロナ後の世界では当面「主導国なき時代」が続くと説いた。また、英「フィナンシャルタイムズ」のコメンテーター、ジャナン・ガネシュは「米国が西側諸国の感染拡大対策の陣頭指揮を執っているわけではないし、中国が自国に近い国々に感染対策を指示しているわけでもない」と書く(注2)。さらに「今回の危機の結果として、米中対立が “第二の冷戦”につながるという陰謀論的な生煮えの議論が消え去るのを期待したい」と説く。
米国も中国も世界秩序の主導権が取れない時代が続くと見ているのである。新冷戦という「思考の落とし穴」にはまることだけは避けねばならない。
(注2)
「コロナ危機で露呈、無極化した世界」(日本経済新聞デジタル版 2020年4月10日)