NATO諸国の会議に日本代表として呼ばれたときに、「アフガンでの軍事的な勝利はもう無理だから、政治的交渉を」と述べたこともあります。そのときには現場のNATO軍司令官たちからも同様の声が出始めていて、私の意見はそれを代弁するような形だったのですが、会議に出席していた政治家たちは「何を馬鹿なことを言っているんだ」と取り合わなかった。アフガン政府の代表として出席していた女性議員たちも「あのタリバンと交渉するなんて」と強く反発し、休憩時間に唾を吐きかけられそうになったことさえありました。
バイデン政権の「歴史に残る大失敗」
そうして米国・NATO側が政治的交渉に持ち込めないでいるうちに、タリバンはますます勢力を拡大していきました。そうなると、さらに「和解」を持ち出すことは難しくなります。負けている方から言い出せば、当然ながら悪条件をも呑まなくてはならなくなるからです。
結局、米国が単独でタリバンとの政治的交渉に踏み切ったのは2019年、「アメリカ・ファースト」を掲げるトランプ政権になってからでした。世界でも突出した超大国アメリカが、非合法武装集団に過ぎないタリバンと外交交渉を始めたのです。トランプは、良くも悪くも損得のみで動く大統領でしたから、莫大な予算のかかるアフガン駐留は「無駄」としか思えなかったのでしょう。
ただそれは、肝心のアフガン政府抜きで、タリバンと直接対話するといういびつな形での交渉でした。何度か交渉を続けた後、トランプ政権は20年2月、タリバンとの間に「21年5月1日までに米軍は完全撤退する」という内容の和平合意を結びます。
ただしトランプも、一応は「責任ある撤退」にこだわって、撤退に「タリバンがアルカイダやISと手を切る」のを筆頭に、いくつかの条件を付けていた。まあ、タリバンにとっては「努力目標」にしか過ぎないのですが、バイデンはタリバンにその“条件”の成就を確認することもなく「無条件で撤退する」としたのです。さらには、撤退期限を5月から9月11日にまで延期し、しかもそれをタリバンの合意を得る前に発表してしまった。タリバンが「約束が違う」と怒るのは当たり前です。前任者トランプがつくった交渉の場さえ停滞させてしまった。でも、一方的な米軍撤退はどんどん推し進めた。あまりにも、9・11というアメリカ国民向けの政治的な演出にこだわり過ぎた結果としか思えません。
たしかに米国内では近年、長引く戦争に厭戦ムードが高まり、早期の戦争終結を望む声が高まっていました。しかし、人々が望んだのはこうした終わらせ方ではなかった。空港から飛び立つ飛行機に人々がしがみつこうとして落ちていく衝撃的な映像に、多くの人がかつてのベトナム戦争でのサイゴン陥落を思い出したはずです。この「歴史に残る大失敗」に、バイデンの国内での人気は急降下。ここから米国の政情がどうなっていくのかは分かりません。
日本はこの戦争の「当事者」だった
もう一つ、忘れてはならないと思うのは、日本はこの戦争における、「傍観者」ではなく「当事者」だということです。
「日本は憲法9条があるから戦争に加わらずに済んだ」という人がいますが、米国とNATO諸国がアフガニスタンを攻撃した「不朽の自由作戦」は、国連の決議に基づく集団安全保障措置ではなく、あくまで集団的自衛権によるNATO諸国の軍事作戦です。日本はその一部である「海上阻止行動」に、インド洋上での海上自衛隊による補給支援活動という形で参加しました。NATOの一員ですらないにもかかわらず軍事作戦に加わった、紛れもない戦争当事国だったのです。
だからこそ、タリバンがカブールを掌握した後、日本も大使館を閉めて「敗走」することになった。もし、本当に戦争に参加していなかったのなら、そんな必要はなかったはずです。実際、中国やロシアは大使館を閉めませんでした。
「日本は戦争の当事者ではなかったのだから、大使館を閉める必要はない」という声は、果たして、憲法9条を信奉する野党の政治家、そして有識者から上がったでしょうか? 私は、一切、耳にしていません。
地震や津波、あるいは内戦などによる外国人の緊急退避ではないのです。戦争の当事者である「外国」が、その戦争に負けて「敗走」しているのです。残された「協力者」たちは、タリバンから見ると、「魂を売り渡し敵の戦争に加担した裏切り者」です。カブール陥落の前に、地方では公開処刑さえ起こりました。タリバン首脳部が「復讐はしない」という声明を出したとはいえ、下部兵士への統制力がどの程度あるのかは推して知るべしです。
だから、米国・NATO諸国は、通訳など軍事活動のために雇用していたアフガン人を筆頭に、大使館や公的援助機関、そして自由主義や人権といったタリバンに対抗する思想を広めるために公的資金を投入したNGOの職員、さらには活動家やジャーナリスト、そして自国への留学経験者まで、大量のアフガン人が緊急脱出できるように、「命のビザ」の発給に躍起になったのです。本人だけではなくその家族も含めて、簡素化したウェブ上の手続きだけでビザを発給し、空路だけでなく陸路でも、可能な方法で脱出できるように手を尽くしました。それに対して、日本はどうだったでしょうか?
現在、「敗走」にあたって、日本大使館やJICAの現地アフガン人スタッフでさえ「置き去り」にした日本政府・外務省への批判が、ここぞとばかりに強まっています。思うような成果をあげられなかった自衛隊機派遣に対しては、嘲笑さえ向けられています。
たしかに、自衛隊による救出活動の「初動」が決定的に遅かったのは事実です。しかし、野党やリベラル勢力はいうに及ばず、メディア、有識者を含めて日本人全体が、これが「敗走」であることを、どれだけ理解していたでしょうか? 人道的危機において、日本のために命がけで働いてくれていた異国の人々の命を邦人の命と同等に考える発想を、どれだけの日本人が持っていたでしょうか?
9月に入り、カブール空港では民間機の就航が再開しました。ネット環境がある限り、今からでも遅くはありません。早急に「命のビザ」を発給し、「置き去り」にしてしまったアフガン人たちとその家族の救出に全力を尽くすべきです。