私が今住んでいるイギリスでは、政府官僚も「政府は批判されて当たり前だ」というスタンスを取ります。2019年に、ジャーナリストの権利を守ろうというグローバルキャンペーンがイギリス政府の主導で立ち上がったとき、その集会で当時外務大臣だったジェレミー・ハント氏が「メディアは我々のクリティカル・フレンド。耳の痛いことも言われるけれど、いい政治には絶対に必要な存在だ」と発言したことも印象的でした。日本政府にはそのような、建設的な批判を受け入れる度量が欠けていると感じます。
そもそも、国連の勧告は一方的な命令や非難ではなく、「対話に基づく」のが基本です。「ここがよくない」と指摘する一方で、「前回の調査のときよりここはよくなっている」と励ましたりもしながら、どうすれば人権課題を解決していけるかを一緒に考えていく。勧告された政府と対立関係に立つのではなく、同じ方向を向きながら改善を目指しているわけです。
もちろん、勧告のもとになった事実認定などが誤っていることもありますから、政府には反論する権利があります。勧告する専門家たちも、批判をそのまま受け入れろと言っているわけではありません。しかしその場合も、他の国々は勧告に耳を傾けた上で、「この点が事実とこう異なっているから、ここは違うと思う」としっかりと説明する。そうしたら専門家の側も「だったらこうすればいいんじゃないか」などと提案して、そこから対話が始まるわけですね。ところが日本政府はきちんとした説明もせずに「誤解に基づいている」「一方的な勧告だ」と反発するばかりで、対話にならないのです。
23年6月に人権理事会本会議で、「国内避難民の人権」に関する特別報告者の報告書が理事会に提出され、私も傍聴していました。22年の調査対象になったのは日本とメキシコ。調査を受けた国は報告書に対し、反論を含めたリプライ(返答)をすることができるのですが、二つの国の対応はまったく違っていました。
「私たちの国はまだまだ改善が必要なので、今回の勧告をもとに頑張ります」という態度を見せたメキシコ政府に対し、日本政府は報告書の1.5倍ほどの厚さのある反論書を作成。それも、重箱の隅をつつくような点を挙げて「ここが間違っている」「ここも違う」と書き並べただけの内容で、「こんなもの受け入れられるか」という態度が丸出しでした。現代の国際社会においては一国の人権問題は国内だけではなく国際的な関心事であること、人権というものが「国際化」された概念なのだということが、まったく理解されていないと感じます。
「人権とは何か」を理解できるような教育を
この背景にあるのは、日本ではまともな人権教育がほとんど行われていないという事実ではないでしょうか。道徳教育ではよく「思いやり」や「親切」が強調されますが、人権は個人の思いやりや親切だけで 守れるようなものではありません。
国連人権高等弁務官事務所は、人権について次のように説明しています。
生まれてきた人間すべてに対して、その人が能力・可能性(potential)を発揮できるように、政府はそれを助ける義務がある。その助けを要求する権利が人権。人権は誰にでもある。(藤田早苗著『武器としての国際人権 日本の貧困・報道・差別』より)
つまり、人権を実現するためには政府が義務を遂行しなくてはならない。そして、その義務の内容を具体的に示しているのが、各種の国際人権条約なのです。
ところが、そうしたことは学校ではまったく教えられません。「そもそも人権とは何か」「なぜ守らなくてはならないのか」を多くの人が、そしてメディアも理解していないから、政府が国民の人権を守らないような施策を進めても、政治家がとんでもない発言をしても、「おかしい」と気づけないのだと思います。
そして、人権について理解していなければ、自分の人権が侵害されても「被害を受けた」と気づけず、声をあげることができません。ジャニーズの問題でも、被害を受けた人たちが「当時は性被害だと気づかなかった」「性被害だとわかっていたら逃げ出していた」などと発言していました。その意味でも、「自分には人権がある」と認識することは重要なのです。
では、人権を理解するための教育には、何が必要なのか。まず前提となるものの一つは、しっかりとした歴史教育だと思います。私が住んでいるイギリスも、植民地支配や奴隷貿易など、過去にさまざまな人権侵害を行ってきました。ただ、日本と違うのはそうした「負の歴史」と向き合い、子どもたちにも教えようという動きが強まっていること。学校の授業の中でも、イギリス、そして欧州全体がどのような過ちを犯してきたかを振り返り、それによって自分たちが得てきた特権について考える。その上で、すべての人には生まれながらにして人権があるんだということを伝え、「その人権を守るために何ができるか考えて、行動してみましょう」と呼びかけるのです。
そうした教育を受ける中では、難民の人たちに対しても「助けなきゃ」という気持ちが自然と生まれてくるのではないでしょうか 。さらには、自分の国の中でも自分は特権を得ている側だ、だったらそうではない人を助けようという気持ちにもなるかもしれない。この国で寄付やチャリティーが非常に盛んなのは、そういう理由もあると思います。
もちろん、イギリスの人権状況が完璧なわけではありません。人種差別や女性差別もいまだに根強くあります。それでも、その状況を変えていかなくてはならないという動きがあることを強く感じるのも事実なのです。
子どもたちが普遍的な人権概念について学ぶことは、そのまま社会全体の価値観の変化へとつながります。日本でも、なんとなく「人に親切にしましょう」「差別はやめましょう」と標語のように呼びかけるのではなく、しっかりとした歴史教育をした上で、人権とは何なのか、たとえば世界人権宣言にはどんなことが書いてあって、自分にはどんな人権があるのか、守るためにどんな手段があるのかということを、子どものときから明確に教えていく必要があると思います。
各種の国際人権条約
主な国際人権条約は9つある。
経済的、社会的、文化的権利に関する国際規約(社会権規約)1966年
市民的、政治的権利に関する国際規約(自由権規約)1966年
人種差別撤廃条約 1965年
女性差別撤廃条約 1979年
拷問等禁止条約 1984年
子どもの権利条約 1989年
すべての移住労働者とその家族の権利保護に関する条約(移住労働者権利条約)1990年
強制失踪からのすべての者の保護に関する国際条約(強制失踪条約) 2006年
障害者権利条約 2006年