そのハマスは、2006年にパレスチナ立法評議会選挙に参加し、第一政党になった。ハマスが勝利できたのは、有権者がPLOの主流派組織ファタハの腐敗にうんざりしていたためであり、またファタハが候補者を絞ることができず、候補者が乱立状態になり票が分散したためだった。ハマスは、候補者を絞り、票を無駄にしなかった。またハマスが地道な福祉活動をしていたことで支持者を獲得していた。この時、ハマスは、自治政府の立法評議会選挙に参加したのだから、オスロ合意を含むイスラエルとPLOの間の諸合意を承認するよう、改めて求められたが完全に無視した。この点で、ハマスは選挙という手段を利用してオスロ合意体制を乗っ取ったと見なすこともできる。さらに2007年にガザ内で起きたパレスチナ治安警察との武力衝突で勝利したハマスは、実質的なガザの統治者になった。この時、ハマスはガザの自治体制を武力で乗っ取った。
その後2023年10月までの16年間に、ハマスとイスラエル軍との間で大規模な武力衝突が4回起きている。状況は違うが西岸では、この種の衝突は起きていない。また住民を「人間の盾」にするのもハマスの戦術の特徴である。西岸の武装グループが、住民を盾にしたことはない。ハマスは、パレスチナ国家創設ではなく、イスラエルを武力で打倒する姿勢を強めた。これはパレスチナ自治政府と完全に異なる方針であり、むしろイランやヒズボラに近い立場である。
国際世論の支援を求めないハマス
対イスラエル闘争の中で、PLOが最も重視したのは、国際世論である。イスラエル国家に対して絶対的な弱者であるパレスチナは、単独でイスラエルと対等に争うことはできない。他方、絶対強者のイスラエルが、どうしてもパレスチナに勝てない領域がある。国際世論の支持を獲得する能力である。中東、アフリカ、アジアのイスラム諸国がパレスチナ人を支持するのは当然であるが、欧米や日本でもパレスチナ人に対して広い支持がある。こうした国際世論の支持を背景にしてパレスチナは、何とか、イスラエルと互角の議論ができる。今回のガザ戦争でも、イスラエル軍のガザに対する過剰攻撃に対する国際的な非難の高まりは、イスラエル軍に対する外交的圧力になっている。イスラエルは、国際世論を味方につけようとやっきだが、効果はでていない。
他方、ハマスには、国際世論の支持を得ようという考えは微塵もないようだ。ハマスには、国連総会、安保理などで外交的な勝利を得ようとする発想がそもそも見られない。ハマスが期待しているのは、イラン、ヒズボラ、フーシ派の支持であり、外交的な支援よりも軍事的支援を求めているようだ。ハマスは、貧弱な武装勢力であるが、いつかイスラエルを武力で倒せると考えているのだろう。
ハマスとパレスチナ自治政府PLOの戦略は、まったく異なる。この違いをパレスチナ社会内部における対イスラエル闘争路線の違いと考えることもできるが、この極端な違いは、伝統的なパレスチナ人の闘争の中に、異種の考えを持つまったく別の運動体が入りこんでいると見なすこともできるだろう。
イランの前方展開戦略とハマス
ここまで述べてきたように、ハマスは、イランの支援と影響を受けた「抵抗の枢軸」に属する組織だと見なし、ハマスはパレスチナの組織ではあるが、パレスチナ紛争の流れとは別筋の運動だと仮定した方が、ハマスの行動やイラン、ヒズボラ、フーシ派の反応について、より合理的に説明できる。
ヒズボラのナスラッラー書記長は、11月3日の演説で、ハマスの行動を称賛したが、その行動は100%ハマス独自の行動であり、地域内の他の組織は関係ないと述べた。また11月5日にイランを訪問したハマス幹部イスマイル・ハニーヤは、ハーメネイ最高指導者と会談したが、この時、ハーメネイは、ハマスから作戦についての事前通告がなかったのでイランは政治的な支援はするが直接的支援行動はとらないと述べたとも報道されている。これらの発言は、ヒズボラとイランが、ハマスを「抵抗の枢軸」の一員と見なしているための発言だと想定しないと意味をなさない。つまり、イランとヒズボラは、「ハマスはメンバーの一員であるが、今回のイスラエル攻撃には自分たちは関与していない」と主張しているのである。
また米国は、今回のハマスの行動について(イランとヒズボラのハマス支援を疑いつつ)直接関与の証拠はないとしている。それでも米国は、空母2隻を東地中海に派遣した。この対応は、イランと「抵抗の枢軸」をにらんだ動きであって、ガザ戦争への対応ではない。イランは、長年にわたり、自国が戦争に巻き込まれるリスクを排除しつつ、「抵抗の枢軸」を使って米国や湾岸の親米諸国への攻撃を行うための体制(前方展開戦略)を構築してきた。今回のガザ戦争に関連する中東域内の動きは、イランの「前方展開戦略」の構図で見れば、レバノンのヒズボラ、イエメンのフーシ派、イラクのイラン系武装組織の行動などが無理なく説明できる。
アラブ諸国が、ハマスは、「抵抗の枢軸」の一部であると見ているとすれば、サウジアラビアなどの湾岸諸国やエジプトは、イスラエル軍がハマス壊滅を進めることを内々は歓迎するだろう。今回のガザ戦争は、一義的にはイスラエルとハマスの戦いであるが、より大きな域内の枠組では、アラブ諸国の中に構築されたイランの「抵抗の枢軸」とその敵対勢力(イスラエル、米国、湾岸諸国)の抗争になる。ハマス後のガザ統治をパレスチナ自治政府が担う場合、せまい意味ではパレスチナの分裂の解消になるが、広い枠組みでは、「抵抗の枢軸」が支配する地域が一つ消滅したことを意味する。
ただこの仮説には、まだ詰めるべき点がある。課題の一つは、シーア派のイランがスンニ派のハマスを支援する宗教的な根拠の有無である。政治的に共通の利益があれば、宗派の違いは問題視されないかもしれないが、断言はできない。またハマスの母体である、イスラム教スンニ派組織ムスリム同胞団とイランの関係も確認する必要があるだろう。ハマスの憲法である「ハマス憲章」からの分析も必要になる。
隣国イスラエルとの関係
本稿では、仮定としてハマスは「抵抗の枢軸」に属する組織であると見なしたが、そうであると結論づけてはいない。そう仮定した方が、10月7日以降のガザ及び域内動向をより合理的に説明できると主張しているだけである。またイスラエルは、今回のような事件は二度と起こさせないと誓っている。仮に今回のハマスによるイスラエル市民殺害が、伝統的なパレスチナ人の対イスラエル闘争の中から出てきたやり方であると見なされた場合、イスラエルとパレスチナの関係は、未来永劫、交流が断絶した隣国関係になるかもしれない。それは、この地域の新たな不安定要因になる。他方、今回の事件が「抵抗の枢軸」に属するハマスによる行動であると見なされた場合、イスラエルとパレスチナの関係はより普通の隣国関係になる可能性は残るだろう。
ハマスが、パレスチナ社会で継続された1世紀に近い対イスラエル闘争の系譜の中に位置する組織であるのか、あるいはイランの支援を受けた「抵抗の枢軸」の一員であるのかを最終的に決めるのはパレスチナ人である。この点で、ハマスがパレスチナの組織であることに疑問の余地はない。