それだけではない。伝統的なパレスチナ刺繍には、模様のパターンが150種類ほどもあり、その組み合わせによってどこの地域で作られた刺繍なのかが分かるようになっている。パレスチナの土地や文化と、深く結び付いた工芸品なのだ。
「刺繍は、母から娘へ、娘からまたその娘へと、代々伝えられていく、パレスチナ女性のアイデンティティの象徴でもあるんです。伝統を守り受け継ぐという意味でも、女性たちの刺繍作りを応援したいと思うようになりました」
「刺繍は生活の糧であると同時に生きがいでもある」
少しずつ準備を重ね、北村さんは2013年、パレスチナの伝統工芸品を販売するショップ「パレスチナ・アマル」を立ち上げた。「アマル」はアラビア語で「希望」を意味する言葉だ。
扱う刺繍製品は、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が運営する刺繍プロジェクト「Sulafa」で作られたもの。現地の女性たちの雇用を創出するとともに、パレスチナの伝統を守り伝えていくことを目的とした、1950年から続くプロジェクトだ。北村さんが初めてガザに行ったときに買ったストールも、このSulafaのものだった。
「Sulafaの刺繍センターには、製品を取り扱うようになった後も何度か訪問させてもらいました。刺繍の作業を担っている女性たちは300人くらいいましたが、シングルマザーの女性が多かったのが印象に残っていますね。家事や育児の合間に家でも仕事ができるので、働きやすいと喜ばれていました」
仕事のないパレスチナ難民の女性であれば、基本的には誰でも就労が可能。刺繍の経験がない女性も、インストラクターに指導してもらって技術を身につけられる仕組みになっていた。北村さんが出会ったある女性は、「レバノン内戦で夫を亡くしたけれど、この刺繍で子ども2人を育てて大学まで通わせることができた。刺繍は生活の糧を得る手段であると同時に生きがいでもあるんだ」と、誇らしげに語ってくれたという。
また、何度かガザを訪れる中では、刺繍センターを運営するUNRWAが展開する、幅広い活動の様子を目にすることも多かった。
「病院や学校の運営、水や食料の配給、破壊された建物の修繕や再建、職業訓練……。本当に隅々までUNRWAの活動が行き渡っていて、それなしにはガザの人たちの生活は回らない。単なる支援機関というよりは、ガザの『インフラ』のような存在だと思いました」
破壊された日常
しかし今回の戦争は、その「インフラ」をも人々から奪い去った。24年1月、UNRWAの職員の一部が23年10月のハマスによるイスラエル攻撃に関与していた疑いがあるとして、拠出額1位の米国、そして6位の日本を含む15カ国以上がUNRWAへの拠出金停止を表明。「このままでは活動が継続できない」として、UNRWA事務局長が国連総会などで支援の再開を呼びかける事態となっている。
「活動そのものの停止が与える影響はもちろん大きいですし、失業率が50%近いガザで、UNRWAは重要な雇用先でもあります。このままではUNRWAで働いていた人たちも収入を断たれてしまうわけで、ガザの人たちにとっては、『飢えて死ね』と言われているのに等しいと思います。
そもそも、『職員が攻撃に関与していた』のが事実かどうかもはっきりしません。仮に事実だったとしても、UNRWAそのものが組織として関与していたわけではないのに、どうしてガザに暮らす200万人がその『罰』を受けなくてはならないのか、まったく分からないです。すでに拠出金再開を決めた国もありますが、日本も早く続いてほしい」
*24年4月2日、上川陽子外相は「国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)への資金拠出を再開し、2023年度内に予定していた約3500万ドル(約52億円)を拠出すると表明した」(東京新聞WEB)
さらに2月には、Sulafa刺繍センターと同じ敷地内にあったUNRWAの運営する障害者施設が、爆撃を受けて破壊されたという情報が届いた。UNRWAの公開した画像には刺繍センターは写っていないものの、すぐ隣にあった施設の建物は焼けて骨組みが露出している状態だった。センターも同じように破壊された可能性は極めて高い。
「例え建物がなくなっても、あなた方の刺繍を愛している。停戦後、再びSulafaの刺繍を手にする日を待っている。だからどうか生き延びて」。北村さんは必死の思いで、Sulafaのマネージャーたちにそうメッセージを送った。センターで刺繍をしていた女性たちの中にも、安否すらわからない人が何人もいる。そして、北村さんの知人たちも多く避難する南部の町ラファも、イスラエル軍の攻撃にさらされ続けている。
「Sulafaで働いていた女性たちは、ただ刺繍で自分たちの生活を、日常を守りたかっただけ。その日常が破壊されてしまったことが、本当に悔しいし許しがたい。その思いでいっぱいです」
私は私のやり方で
北村さんは23年12月、パレスチナ・アマルとは別に、新たにガザ支援のNGO「Amal for Gaza」を立ち上げ、寄付金の呼びかけを始めた。戦争が落ち着いてからの支援だけでは足りない。女性たちが刺繍作りに戻れるまでの間の、緊急支援の枠組みを作らなくてはと考えたからだ。
「まずは、現地にいるUNRWAの職員と調整して、Amal for Gazaに集まった寄付金を、刺繍をしていた女性たちに配れるようにしたいと考えています。Sulafaのマネージャーなども自宅を失って避難生活をしている状態だし、本当に手探りですが、できる限りのことをしたい」