韓国と北朝鮮の関係を取材し続ける気鋭のジャーナリスト、徐台教(ソ・テギョ)さんが『分断八〇年 韓国民主主義と南北統一の限界』(集英社クリエイティブ)を上梓した。群馬県出身の在日コリアン3世として、20年以上にわたり韓国で暮らし、取材を重ねてきた徐さんの初の著書だ。2024年12月3日の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領(当時)による「非常戒厳」に衝撃を受けた徐さんは、韓国が直面する「限界」と、それを突破する一つの「希望」を指し示している。キーワードは「分断をどう乗り越えるか」。分断の歴史に大きく関わる日本人も、朝鮮半島の人びとの選択に向き合うときだ。

徐台教 著『分断八〇年 韓国民主主義と南北統一の限界』(集英社クリエイティブ)
尹錫悦の「非常戒厳」という暴挙は、韓国の「素の姿」をあらためて見せてくれました。21世紀にこんなことができてしまうのかという韓国の危うさと、しかしそれを土壇場で体を張って食い止める韓国民主主義の底力。それが同時に見えました。
尹は自分の権力を強化するために、南北の分断と対立を最大限に利用しました。非常戒厳と南北分断は、地続きだったのです。なんでも分断の問題に還元することはできませんが、やはり「分断」を抜きに韓国を理解することはできないと、あらためて痛感しました。本書では、韓国が今、立っている場所を理解するために、歴史という縦軸と現在という横軸、南北分断という縦軸と韓国社会の行き詰まりという横軸を、それぞれクロスさせて見つめてみました。
「分断」が韓国社会を歪めてきた
「分断体制」、あるいは「分断体制論」という言葉があります。進歩派の元老的学者の一人である白楽晴(ペク・ナクチョン)が1990年代に提唱したものです。彼は、南北分断が続く中で、南北双方に、分断を再生産する仕組みができたと言います。その本質はイデオロギー的な対立ではなく、南北それぞれの既得権を持った勢力が、分断と緊張によって自らを正当化しようとするものであり、南と北が補完し合っているというのです。南北を貫く「敵対的共生」の構造です。白楽晴は、この「分断体制」は社会のあらゆる面、深い部分に影響を与えていると指摘しています。同様の主張は、やはり進歩派の重鎮学者の一人、韓完相(ハン・ワンサン)氏も行い、分断理解における一つのスタンダードとなっています。
のっけから難解な話になりますが、例えば、韓国には徴兵制がありますよね。それは、南北の分断と対立があるから必要とされているわけです。そして兵役体験が男性に暴力的な軍事文化を植え付けてしまうということが、よく指摘されるようになりました。また、韓国の代名詞となった、進歩・保守間の陣営対立にも南北分断が影を落としています。違いを認めず理念を重視する態度がそれです。このように、さまざまな次元で「分断体制」の影が差しているわけです。

在韓ジャーナリストの徐台教氏
分断体制を支える柱の一つが、「国家保安法」です。これは「反国家団体」の結成やそれへの加盟を禁止するものです。「反国家団体」とは北朝鮮政府や、それを支持する団体と判断されたものですが、その構成員と会合したり、通信したり、さらには支持したり、称賛したりする「言動」も、厳しく禁止されています。最高刑は死刑です。内面の自由とか思想・信条の自由って、人権の基本ですよね。民主主義国家では、思想や表現それ自体で罰せられることはないはずなんです。しかし国家保安法は、正面からそれを否定しているんですね。
ところが、文在寅(ムン・ジェイン)政権や今の李在明(イ・ジェミョン)政権など、「進歩派」と呼ばれる政権のもとでさえ、「国家保安法をなくそう」という国民的議論は起こらない。とてもおかしなことですが、こんな法律を、韓国社会は空気のように受け容れてしまっているわけです。南北の分断と緊張が続いているから、「そのくらいは仕方がない」と思っているのです。
なお、12月1日に与野党の議員32人が「国家保安法を廃止する法律案」を発議しています。はじめて同法律案が発議された2004年以降、過去最高の議員数となっていますが、実現する見通しはありません。