実は「平和統一」路線というのは、韓国の圧倒的な優位という関係を前提に北朝鮮の体制を変えようとするものでした。北朝鮮の体制を変えて、韓国主導で統一を実現する。太陽政策は北に「宥和的(相手を寛大に扱い譲歩すること)」だと保守派からはよく批判されていましたが、実際は「宥和的」なのではなく「融和的(溶けあって一つになること)」だったと言えます。よく言われるたとえですが、北朝鮮を飴玉だとしたときに、砕いてのみ込もうとするのが保守派で、ゆっくり舐めて溶かしていってのみ込もうというのが進歩派だった。韓国のマネーパワーや文物が浸透していけば、いつか体制が変化するだろうと。どちらも、最終的には吸収統一の未来を念頭に置いていたのです。
でも北側は当然、韓国のそうした目論見は見抜いているわけです。韓国側は、盧泰愚のときにすでに「力の優劣で決着がついた」と言っています。北側に対して「負けを認めろ」という話です。そうした優越感は、文在寅や現大統領の李在明に至るまで韓国の保守派・進歩派ともに一貫しています。北朝鮮としては絶対に受け入れられない。だから、必死に自らの体制を守ろうとした。
そうこうしているうちに、朝鮮半島をめぐる国際情勢は大きく変わりました。アメリカ一極覇権から米中対立の新冷戦に転じ、核武装をした北朝鮮がロシアに接近しています。もはや、韓国が圧倒的に優位と言える状況ではありません。
30年間のボーナスタイムは、終わってしまったんです。韓国のチャレンジは失敗した。まずは、それを認めるしかありません。
しかし尹錫悦の非常戒厳によって、私たちは分断体制という韓国の軛(くびき)をあらためて突きつけられました。北朝鮮を口実にして権力を正当化しようとする保守派と、それを阻止しようとする進歩派の対立は激化する一方です。若者の間では極右が広がり、気に入らないものすべてに「アカ」というレッテルを貼っている。「内戦」という言葉さえ聞かれるようになるなか、社会問題の改善はいっこうに進まない。
私は不安を感じています。このままでは、本当に戦争になるんじゃないか。トランプの登場で一気に世界が流動化するなかで、韓国も一つ選択を間違ったら危機的な事態を迎えるんじゃないか。何よりも大事な「平和」が、脅かされつつあるんじゃないか。
行き詰まった分断体制を克服しないままでは、韓国の民主主義の発展も、社会問題の改善も、これ以上は望めない。そう痛感します。もう「限界」に来ているんです。
そして、私が感じているような問題意識から、最近、韓国で議論の俎上に載せられるようになってきたのが、本書で紹介した「二国家論」です。分断体制の解体を目指す、全く新たなアプローチです。
「二国家」で分断体制を解体するという逆説
二国家論とは何かというと、南北が互いに別々の主権国家として認め合おうじゃないかというものです。
現在の南北関係の枠組みは、1991年に結ばれた南北基本合意書に基づいています。これは南北の関係を、国と国の関係ではなく、「統一を志向する過程で暫定的に形成された特殊な関係」としています。つまり、お互いを国として認めていないのです。これに対して二国家論は、南北が互いに自立した主権国家として認め合おう、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国として認め合い、国交を結ぶなどまずはしっかりした共存を目指そうという主張です。
二国家論が注目を浴びた直接のきっかけは、2023年12月、金正恩が「北南関係は、これ以上は同族関係・同質関係ではない。敵対的な二つの国家関係である」と宣言したことです。これは先に述べたようなこの30年の南北関係を規定したもの、すなわち経済的優位とアメリカの一極覇権を背景に韓国が北朝鮮に改革開放を迫るという関係を、北朝鮮が最終的に拒絶したということでしょう。核武装をして、韓国にも誰にも侵犯されない国をつくって、北は北で単体の国家だと位置付けたわけです。
しかし、韓国側でも、あまり耳目を集めなかっただけで、もっと前から「二国家論」は議論に上っていました。それが、金正恩の宣言を経て、2024年9月に、任鍾晳(イム・ジョンソク)が「統一はもうやめよう」というスピーチを行ったことで大きな話題になったのです。任はもともと学生運動の指導者として統一運動に関わり、文在寅政権では大統領秘書室長を務めた「86世代」のスターです。そんな彼の発言であるため、大きな反響を呼びました。その後、今では李在明政権の鄭東泳(チョン・ドンヨン)統一部長官も、「南北は事実上の二国家」と言うようになりました。
金正恩が言っているのは「敵対的二国家論」ですが、韓国側で議論されているのは、「平和的二国家論」です。ソウルと平壌に互いの大使館を置いて、平和的な関係をつくっていく。新しいパラダイムでの平和共存です。
逆説的なようですが、南北が二つの自立した国になってしまえば、両者が平和的な関係をつくることを、どこの大国も邪魔できません。

二国家になれば、国家保安法もいらない。分断体制のもとでつくられてきた韓国社会に巣食う「自己検閲」は薄れていく。政党政治は北朝鮮への態度をめぐって対立するのではなく、深刻な社会問題への姿勢で再編されていく。平等や再分配、過度な競争の是正といった課題に政治が取り組むようになる。韓国の社会と民主主義は、もっと発展していくことでしょう。何よりも、戦争の不安から解放される。統一については、南北がそれぞれ落ち着きを得てから時間をかけて話し合っていけばいい。
もちろん、二国家を認めた瞬間にすべてが変わるわけではないでしょう。でも分断体制下でずっと抱いてきた、常に敵におびえたり、「アカ」と呼ばれないように自分で自分を検閲したり、「社会が行き詰まっている」という感覚が、徐々になくなっていくんじゃないかと思うんです。苛烈な分断の時代に、朝鮮半島の人びとは深い傷を負ってきました。今も苦しむ人が大勢いる。それを癒やす時間も必要です。