この悪循環と社会的なモラルの崩壊はすでに起こっている。例えば最近、鉄道沿線別の中学受験偏差値一覧、学校選択制導入地域の中学校別人気度一覧を特集する週刊誌が急増している。不動産広告には人気小学校区・中学校区であると記載され、そうした校区に新居を求める家庭も増えている。
また、東京都足立区などでは、都が実施する学力診断テストの学校別結果を公表しているが、そのためもあってテストの成績を競い合う傾向が強まり、事前準備やテストでの不正が発覚し、問題化している。07年4月に実施された全国学力テストでも、過剰な事前準備のあったことが明らかになっている。
このように、学校選択制での生徒集めや、共通学力テストの成績を競い合う傾向が強まれば、学校の序列化・格差化だけでなく、義務教育の総合性の軽視や、成績のよくない子どもへの教育的配慮を軽視し、ゆがめることにもなりかねない(どのクラス、どの生徒が学校の平均点を下げたかという「悪者捜し」や、そうした子どもが共通テストの日は休めばいいといった雰囲気が問題化している学校もある)。
こうした傾向が拡大するなら、子どもの生活から大らかさが失われていくだろう。人生の早い段階から「勝ち組」「負け組」に選別され、前者の子は落伍しないようにプレッシャーをかけられ、後者の子は被差別感を蓄積することにもなりかねない。早期選別は「エリート候補者」の母集団を縮小するから、社会全体としても、「人材の浪費」と「エリートの質の低下」を招きかねない。それでは、子どもたちの将来も日本の未来も危ういものとなるだろう。
それでよいと考えるのか、そういう改革を進めてよいと考えるのか、いま日本の教育は重大な岐路に立っている。