「人生前半の社会保障」が課題
民主党がマニフェストで目玉の一つとした「子ども手当」のあり方や、子ども・若者の貧困が議論となっている。ここでは、「人生前半の社会保障」という視点から、これからの時代に求められる子ども・若者支援のあり方を考えてみたい。「人生前半の社会保障」とは、いささか聞きなれない表現かもしれない。1990年代における日本での社会保障をめぐる論議は、ほぼもっぱら「高齢者」関連のものであった。高齢者介護、高齢者医療、そして年金のいずれもしかりである。そうした傾向は実は今もなお根強いのだが、実際、社会保障全体のうち、高齢者関係給付が69.8%を占めている(2006年度)。それに対し、家族(子ども)関係給付は3.4%にすぎない。
なぜ社会保障の議論が圧倒的に高齢者中心だったのだろうか。それは人生の様々な「リスク」が退職期=高齢期にほとんど集中していたからである。その背景には、終身雇用の「カイシャ」と「核家族」という、現役時代の生活保障を強固に支える“見えない社会保障”の存在があった。
1990年代終わりから、そうした雇用と家族の構造は大きく崩れ、いまやもっとも失業率が高いのは高齢世代ではなく10~20代の若者となっている。生活上のリスクが人生の前半、つまり10~20代に始まり、人生全般に広く及ぶようになった。こうして「人生前半の社会保障」という課題が大きく浮上することになる。私たちは社会保障についての根本的な発想の転換を求められているのだ。
「将来の選択肢」を保障する
「人生前半の社会保障」が重要になるもう一つの大きな背景は、資産面を含む経済格差の拡大だ。その結果、各人が人生の初めにおいて“共通のスタートライン”に立てるという状況が大きく揺らいでいる。戦後、焼け跡から皆が一斉にスタートしたときには、「チャンス」は個々人に保証されていたともいえる。だが、格差が世代を通じて累積する中で、閉そくし“固まって”しまいつつある。そうなると、逆説的なことだが、「個人のチャンスの保障」は自由放任によっては実現されず、一定の制度的介入が必要となる。このように考えれば、「人生前半の社会保障」は、将来の選択肢の幅を確保する意味で、「自由」の保障という意義を帯びることになる。
は「人生前半の社会保障」について国際比較したものだが、日本の低さが目立っている。そもそも日本の社会保障給付費(対GDP比)全般が、先進主要国の中でアメリカと並んでもっとも低い部類ではあるのだが、先述したように高齢者関係の比重が大きいこともあり、高齢者以外を対象とした社会保障に限って見ると、一層その「低さ」が顕著である。
最大の社会保障は「教育」
ところで「人生前半の社会保障」という時、狭義の社会保障と同等かそれ以上に、「教育」が重要な意味をもつ。教育機関への公的財政支出の国際比較でも、デンマーク、スウェーデンなどが上位を占める一方、日本はOECD加盟国28カ国の中でもっとも低い水準となっている。言うまでもなく、現代の日本において、個人の人生における所得水準や、失業・貧困などのリスクに、もっとも大きい影響を与えるのは、教育ないし学歴だろう。逆に言えば、十分な、あるいは適切な教育を受けることが、その後の人生において最大の“生活保障”として機能する。こうした意味で教育は「人生前半の社会保障」のもっとも重要な要素をなす。「最大の社会保障は教育である」という新たな発想が求められているのだ。
先進諸国中で最低水準の日本の公的教育費のなかで、特に不足しているのは就学前と高等教育期である。
就学前については、教育費に占める公的負担の割合は、OECD平均が80.0%であるのに対し、日本のそれは50.0%と非常に低い。これは何を意味するのか。最近では、脳の発達の研究などを含めて、子どもの認知能力の基盤は小学校に入る前の段階でかなり決定されることが明らかになっている。経済的要因にも増して家庭環境の「文化」的要素、たとえば家にある本の冊数などが大きいというのだ。こうした点から就学前教育の質的充実とその平等など、北欧などでは早い時期からの公的対応が重要視されるようになっている。この点で、民主党政権に子ども手当以外の提案がほとんどないのは問題である。
一方、高等教育期について見ても、教育費に占める公的負担の割合は、OECD平均が75.7%であるのに対し、日本のそれは41.2%と非常に低い。
興味深いことに、“教育世界一”や国際競争力の高さで知られるフィンランドは、「イノベーション」という言葉の意味を大幅に広げる方向で再定義している。「すべての市民に対する社会保障、無料の学校教育等によってもたらされる市民のしあわせと社会の安定は“特許のないイノベーション”」であり、「福祉社会と競争力は互いにパートナー」というのだ(イルッカ・タイパレ編著『フィンランドを世界一に導いた100の社会改革』)。そして驚くべきことに同国の場合、多くのヨーロッパ諸国と同様に大学の学費が無料であることはもちろん、大学生に対して月額最大811ユーロ(約11万円)の「勉学手当」を支給している。日本では親の年収と大学進学率との間に明確な相関関係があるが、フィンランドのような社会では、経済的理由で大学進学を断念するということはないだろう。
30歳までは「後期子ども」
私は、現代の社会においては、人生全体が長くなって「高齢期」が大きく伸びたのとパラレルに、「子ども」の時期も、思春期頃までの「前期子ども」に加えて、30歳ころまでの「後期子ども」までと、長くなってきたという認識が重要と考える。この「後期子ども」期は、人生の選択に直面する重要な時期である。かつ現在では、雇用のパイが限られ雇用市場への参入が困難なために、失業リスクが最高となる一方で、支援がもっとも不足している時期なのである。私は大学で日々20歳前後の若者に接しているが、先日も学生主体での「社会起業家支援サミット」が開かれるなど、社会に貢献したいというモチベーションをもった学生はむしろ非常に多くなっていると感じており、それに呼応した改革を行っていく必要が大きいと考える。先ほどイノベーションや国際競争力という点にもふれたが、以上のような大きな視野に立ちながら、高等教育期や「後期子ども」への支援を大幅に強化することこそが、「機会の平等」を保障し、子育てへの最大の負担軽減になるとともに、「創造的福祉社会」とも言うべき社会の実現につながるものと確信している。