子どもの看病で欠勤したら、クビ!?
僕が代表理事を務めるNPO法人フローレンス(http://www.florence.or.jp/)は、通常の保育所では預かってもらえない病気の子どもの面倒を見る病児保育を行っています。子どもは、小さいうちはよく病気にかかり熱を出します。僕自身も2児の父親ですが、やれ喘息だ、やれRSウイルスだ、こんどは入院させなきゃと、毎日がまるで戦いのようです。戦友たる妻と共に、日々、トラブルを解決しながら何とか乗り越えています。2002年の秋ごろ、ベビーシッターをしていた母からこんなエピソードを聞きました。「ある双子の母親が、熱を出した子どもの看病をするために会社を1週間ほど休んだら、解雇されてしまった」。子どもが熱を出すのも、親がその看病をするのも当たり前のこと。当然のことをしているのに職を失う社会なんて、おかしい。そう思ったのが、病児保育事業に取り組むきっかけとなりました。03年3月にそれまで経営していたITベンチャー企業を辞め、05年4月、フローレンスを立ち上げました。
フローレンスの病児保育は、会員の方のご自宅を訪問するマンツーマン保育で、水ぼうそうやインフルエンザなどの感染症にも対応しています。子どもは突然病気になるもの。ですから、当日朝8時までの依頼にもお応えしています。02年の調査によると、仕事と育児を両立している女性の72.2%が病児保育のことで悩んでいましたが、病児保育の機能を持つ保育所は、全国で約2%。13年の時点でも約3.5%しかありません。フローレンスでは現在、首都圏で約1400世帯の病児保育をサポートしていますが、まだまだ行き届いてはいません。あるコンサルティング会社の調査では、東京23区内では、フローレンスが助けなくてはいけない世帯はおよそ6万世帯あるそうです。病児保育を始め、子育てのインフラを整えることで、子育ても仕事も諦めないでいい社会、子育てを社会全体で見守ることが出来る社会を作っていく必要があります。
「3年間抱っこし放題」は古すぎる!
第二次安倍晋三政権は女性活用を成長戦略の一つとして位置付けました。これは高く評価できることです。日本はOECD34カ国中24位と、女性の就業率が低い国。女性が働くだけで、1人当たりGDPは4%上がるといわれています。女性の活躍を政府が推進することは素晴らしいことです。しかし、その一方で、安倍首相を始め、自由民主党の保守系議員が言っていることの古さが気にかかります。「育休3年」の提言にしても、少し考えてみてほしい。「3年間抱っこし放題」と言いますが、3年も抱っこをしていたら腱鞘炎になりますよ(笑)。安倍さん、まずはあなたが抱っこし続けてみては? と問いつめたいですね。「3年間抱っこし放題」という発想は、40~50年前の子育ての仕方をモデルにしている。古びたやり方を「あるべき子育て像」として設定するのはやめていただきたい。経済戦略と価値観を統合してほしいものです。
また、育休を3年にしたからといって、働きやすさが増すとは思えません。3年仕事から離れている間に技術や知識が古くなってしまうのでは、という懸念もあります。長期間休んでいた人材を再教育するくらいなら、1年で職場に戻れるようにした方が企業にとっても得策です。1年間の育休の後、スムーズに社会復帰できるシステムを整えることこそが先決なのです。そのためにはまず待機児童の問題を解決すること。誰でも育休後に社会復帰し、夫婦で子育てをシェアできる仕組みを作る必要があります。
待機児童問題を解決するために、フローレンスでは小規模保育事業の試みを2010年から行っています。定員が6~19人の「おうち保育園」というもので、空き物件を利用した少人数制の保育所です。待機児童問題の根幹には、「保育所の作りにくさ」があります。実は、国が定めた設置基準では、保育所は定員20名以上でないと認可されないのです。役所で理由を聞いてみたら、20人という数には特に根拠がないらしく、「数十年前から決まっていることだから」という説明を受けました。既に病児保育である程度の結果も出している僕たちにとっても、小規模保育事業の壁は厚く感じました。
しかし、民主党の鳩山由紀夫政権時に小規模保育のアイデアをプレゼンする機会を得て、厚生労働省の試験事業として運営することになったのです。待機児童の集中エリアに部屋を借りて開園した「おうち保育園」は3年で10カ所に増え、利用者からも高い満足度を得ています。その結果、おうち保育園をもとにした小規模保育所に関する法案が通り、2015年度からは小規模認可保育所という新しいカテゴリーが作られることになりました。全国で小規模保育が出来るようになりますので、待機児童の問題は、いずれ解消できると思います。
めざせ、脱「島耕作」
女性の活躍を進めるには、社会のインフラの改善はもちろんのこと、当然ながら男性にも変化が必要です。どのように変化すべきかを考える前に、まず、前提として経済環境の変化を知っておきたいと思います。総務省の統計によると、07年の30~34歳男性で最多数を占めるのは年収300万円台です。その10年前は500万円台でしたから、約200万円も下がっていることになります。また、20代で入社して60代で定年退職するまで、全員の年収が右肩上がりだった時代は遠い昔。現在、そんな恵まれた環境にあるのはごく一部の会社の正社員のみです。若い世代の多くは、20年後も年収300万円かもしれない。男性が大黒柱となって一家を支えるという古いモデルはもはや実現不可能になっています。現在の世帯年収の平均は約550万円なので、これを夫婦で稼ぎ、家事育児もシェアする働き方が当たり前の時代なのです。一昔前まではサラリーマン社会の階段を上ることが男性の自己実現になっていました。マンガ「島耕作」(作・弘兼憲史)的な生き方です。島耕作は、仕事には熱心でも家庭責任も地域責任も一切果たしません。そのくせ大上段に構えて経済や社会を語る。僕に言わせれば島耕作は社会人ではなく、会社と家を往復するだけの会社人に過ぎない。僕たちは今、「島耕作」的な古い男性像を捨て去るべき時に来ています。
かくいう僕自身も、仕事だけに全精力を傾けていた時期がありました。仕事が生活の全てだったのです。自分がいなければ仕事は回らない、と思い込んでいました。人は、自分の存在意義を仕事に求めてしまうものだと思います。自分は取り換え不可能な存在だと思いたいがために仕事をしてしまう。しかしそれはまやかしです。
ある時僕はそれに気付いて、仕事に費やしている時間を減らすことにしました。9時から18時までの9時間だけを勤務にあてることにしたのです。最初はひやひやしましたが、ふたを開けてみたら何の問題もありませんでした。集中して仕事をして、アウトプットの質を落とさなければ、長時間パソコンにかじりついている必要はありませんでした。また、2人の子どもが生まれた時には、それぞれ2カ月間の育休を取りました。長期にわたって職場を離れることには不安ももちろんありましたが、僕の仕事をスタッフに引き継いだ結果、中間管理職以下、組織全体の人材育成につながりました。誰かが休むことは、組織の中では大きなメリットにもなり得ます。
職場での自分は取り換え不可能な存在であるはずという執着を捨て、自分を取り換え可能な存在にしていくのは勇気のいることです。自分は歯車に過ぎないと、自分自身で認めるわけですから。ただし、この考え方は人の尊厳を否定するものではありません。あくまで職場で仕事を進める“機能”としての自分のかけがえのなさを否定しているだけです。自分の価値を仕事だけに置かず、「家族にとって」「友人にとって」かけがえのない自分に比重を置く。魂のかけがえのなさを優先するんです。
脱「島耕作」後の僕たちが目指すのは、仕事で成果も出すが、早めに帰宅して家族との時間も豊かに過ごし、地域にも貢献していくという多元的所属を果たす個人の姿です。