戦後70年を迎え、戦争の記憶は薄れつつある。しかし、「集団的自衛権を軸とする安全保障関連法等によって日本がまた戦争に向かうのでは?」と危惧する声が聞かれる。そこで、先の戦争について体験者が語る「みんなの戦争証言アーカイブス」を2014年12月に立ち上げた、ジャーナリストで「8bitNews」代表の堀潤氏に、戦争について考える重要性を聞いた。
戦争・平和を語ることへのバッシング
僕が子どものころ、1980 年代には、8月の終戦記念日が近づくと、太平洋戦争の悲惨さを伝える特別番組を各テレビ局が制作していました。特別番組だけではなく、「お昼のワイドショー」的な番組でも、戦争体験者のインタビューなどがありました。子ども心に怖いなあと思いつつ、よく見ていましたが、そうした番組がだんだん少なくなってきている印象があります。
最近はというと、戦争の話題を取り上げたり、平和について語ろうとしたりすると、すぐに左翼をカタカナ変換した「サヨク」という言葉で揶揄(やゆ)されてしまいます。先日も、ナビゲーターをしているラジオ番組で集団的自衛権や憲法9条を話題にしたところ、「出た!サヨク番組」とツイートされました。大切な問題について話し合おうとしているだけなのに、おかしな話ですよね。
レッテル貼りで言論を封じ込めようというのは、今に始まったことではありません。長年繰り返されてきた伝統的な手法、常套(じょうとう)手段です。そしてそれは、日本が太平洋戦争に向かって行く過程でも起きていました。
その終戦から今年(2015年)で70年という歳月が過ぎました。「70年前の昔と今とでは、時代が違う」と考えている人も多いかもしれません。しかし、ちょっと待ってください。本当にそうでしょうか?
たとえば、テレビや新聞に圧力をかける、言論の封じ込めのようなことが起きているとの報道を、皆さんも知っていると思います。小説「蟹工船」を書いたプロレタリア作家で、1933年、特高につかまり獄死した小林多喜二のようなことにはならないでしょうが、戦争や平和について発言することをよしとしないという空気は、たしかに存在しています。そうした意味でも、過去と今は、同じタイムラインにあると考えたほうがいいでしょう。
戦争の悲惨さ以上に、伝えるべきものとは?
以前は戦争関連のテレビ番組が多かったと言いました。僕自身、NHKのアナウンサー時代、初任地が岡山だったこともあり、8月6日には必ず広島平和記念公園の中継に行き、それに先んじて制作されるラジオの特別番組などにもかかわっていました。
ただし、多くの番組は、空襲や原爆、戦場で数多くの人々が犠牲になったという“結果”をクローズアップした内容が多かったと思います。もちろん、たくさんの犠牲者が出たことを考えれば戦争の悲惨さは大事な側面ではあります。しかし、それ以上に伝えなければいけないのは、戦争が、なぜ、どのような形で引き起こされたのかということです。
僕がいちばん興味のあるのは開戦前の状況です。
2014年12月、僕は仲間と共に、太平洋戦争の体験者へのインタビューをネットで無料公開するサイト「みんなの戦争証言アーカイブス」というプロジェクトを立ち上げました。テレビマン時代には、時間の制約からカットして伝えられないことも多く、放送が1回だけというのも残念でした。このサイトでアップしている証言は、ノーカットで、いつでも、何回でも見ることができます。
インタビューでは、「どんな本を読んでいましたか?」とか、「何を食べていましたか?」「家族でどんな話をしていましたか?」など、当時の日常生活を聞くことに多くの時間を割いています。そうしたディテールから見えてくることがあります。
たとえば、ほとんどの方が、空襲を体験したり親族が死んだりするまでは、戦争が起きているという実感がなかったと言います。戦争が、生活の中に音もなく忍び寄ってきたことが分かります。
また、日々の生活を送るので精一杯だったというお話もされています。それはそうですよね。日中戦争が始まったのは1937年ですが、日本ではその前、23年に関東大震災、29年には昭和恐慌、そして36年には二・二六事件が起きています。そんな中で、なんとか暮らし向きをよくしようと、精一杯仕事をしていたのです。なんだか今の日本と重なる部分があって、考えさせられます。
このプロジェクトを立ち上げた理由には、新聞やテレビ、ラジオなどのメディアの役割として、それらが時の権力に対する監視役にならなければいけないという思いがありました。これについては、メディアが戦後も戦前と連続した組織であることから、戦前できなかったことが同じ組織で本当にできるのだろうかという懐疑的な部分もあります。「メディアの足元がふらついているのでは」というご指摘を受けることも多く、僕自身メディアの内部にいつつ、懐疑的に見ることを忘れないようにしようと考えています。
危機的状況にある戦争証言
戦争証言の中でよく耳にするのが、これまで戦争体験を家族間で話す機会はほとんどなかったということです。体験の壮絶さから当事者は話したがらないし、家族もなかなか聞けない。積極的にお話しされているのは、よほどの使命感を持った方です。また、軍人だった方の中には「自分は生き恥をさらしている」という思いから、「話はするが名前は出してくれるな」という方もいます。
それでも、「家族である自分たちはとても聞けなかったけれど、やはり身内がどのような体験をしたのか聞きたい。うちの祖父の、うちの祖母の話を聞いてください」という依頼は結構あります。
家族が聞きづらいことも、僕らメディア関係者なら第三者的な立場で聞くことができますし、これまで培ってきた聞く力をフルに活用し、できるだけ多くの戦争証言を集めたいと思っています。
いちばん問題になるのは時間です。
当時の社会的な視点からの証言が欲しいとなると、80代半ば以上、つまり昭和一ケタ以前に生まれた方になります。いくら日本人の寿命が延びたとはいえ、しっかりと証言していただける方の数は決して多くはありません。
実は、今年4月15日に亡くなられた俳優の愛川欽也さんにも証言をご承諾いただいていました。すでにインタビューした方の中にも、そのときは矍鑠(かくしゃく)とされていたのに、翌週には認知症を発症してほとんど話せなくなった方、あるいは転倒して入院した方などもいらっしゃいます。7月31日に急逝された加藤武さんには、先日お話をうかがったばかりだったので、大変驚きました。
そうした意味では、まさに時間との戦いで、大きな危機感を感じています。
6月12日には、自由民主党員時代、政務調査会長や幹事長などの要職にあった亀井静香氏や山崎拓氏、藤井裕久氏、武村正義氏が、日本記者クラブで「安保法制に反対」という緊急会見を行い、僕も参加し質問をしました。彼らのように、戦争体験のある国会議員が今は少ないのも危惧されることです。