経済も無視できない問題
戦争の原因として、避けては通れない問題に経済問題もあります。
戦時下の日本が、なぜあれだけの規模で軍隊を運用できたのかというと、東北をはじめとした貧困地域があったからです。たとえば、農家では長男以外の男子は家を継げない。小作農にはそもそも継ぐべき土地がない。そんな中で、名誉が得られ、給金をもらえる軍隊というのは憧れの存在でした。兵士志願の若者が数多く存在した根幹には、貧困というキーワードがあるのです。
内閣府の平成26(2014)年版「子ども・若者白書」の調査で、子どもの6人に1人が貧困という結果が出ました、このことに一抹の不安を感じるのは、僕だけでしょうか。
また、戦前、情報収集をする主たるメディアは新聞でした。しかし、一部のエリート層はゆっくり新聞を読む時間もあったでしょうが、それ以外の日々の生活に追われる人々には、新聞を読み解くほどの時間も余裕もなかったとも聞きます。
経済成長がしっかりできれば、そこに考える余裕のある国民が生まれます。考える余裕のある国民なら、国家の100年を語ることもできるでしょう。それが最大の安全保障だと僕は考えます。今の日本は、考える余裕のある国民が多くなるほどの経済回復はできていません。この点もまた、不安材料のひとつです。
結局、太平洋戦争も第二次世界大戦も、マネーの戦争でした。宗教戦争のように語られる中東戦争なども然り。そう考えると、経済成長が戦争回避のいちばんの策といっても過言ではないでしょう。
“空気”と“無関心”が戦争に向かわせる
これまで日本は、海外から「金しか出さない」「自分たちの経済活動ばかり優先している」と言われてきました。しかし、それは国民の多くが「憲法9条を変えるなんて言っちゃいけない」「核兵器を持つだなんて口に出してはいけない」という空気を作ってきたからです。このことは、日本人の功績だと思います。それが逆に「核兵器があってもいい」「9条なんて絵空事だ」という空気になっていることはとても怖いことですね。
ただし、時代によって変わっていく空気感に対し、無理に歯止めをかけようとしても、一度回り始めるとなかなか変えるのは難しいものです。だからこそ、アプローチの仕方として、自衛隊の存在は認めつつ、あくまでも各国の仲介役になれる「中立軍」とするなど、新しい提案をしていくほうが現実的だと僕は思います。
戦争証言の中には、こんな内容もありました。、戦争の話は一切家ではしなかったし、戦争反対なんてうっかり口に出せない。ましてや外で言えば、共産主義者や社会主義者のレッテルを貼られてしまう。そもそもお国は、そんな悪いことはしないだろうと信じていた。
戦争のことをあれこれ考えるより、毎日を精一杯生き、自分の仕事をこなし、夢に向かって奮闘する日々、というのが現実だったのです。
統治機構が整っている国家であれば、市民がある程度怠惰であっても毎日の生活が保障されています。そうなると政治に無関心という状況が生まれやすい。この無関心さも重大な鍵を握っていると思います。
ですから、戦争を引き起こしたのは一部の独裁者だと思わないほうがいい。大衆の空気、無関心と無知が戦争に向かわせたというところに立脚したほうがいいと思います。
戦争の前には、巧みなプロパガンダが、一見正義を装って展開されます。たとえばヒトラーは、第一次世界大戦で疲弊したドイツを立て直すために、誇りを取り戻し強い国民になろうと唱えました。もし同じようなことを言うリーダーがいたとしても、「果たしてそうでしょうか?」と問えるだけの国民性を育てないと、簡単に利用されてしまいます。
戦争の記憶が薄れつつあると言いますが、今このときも世界のどこかで戦争は起きています。そこから目を背けてはいけません。
「戦争とは?」――とても大事な問いであり、世代間を超えた問題です。情報が簡単に手に入る今、一人ひとりが、無関心にならず、過去から学び、現在の状況を把握し分析することが大切です。