政界では、1989年にマドンナブームが起き、90年代は女性議員が増え、社会党の土井たか子党首、新党さきがけの堂本暁子(あきこ)議員団座長、野田聖子郵政大臣などが誕生しました。それまでも労働省や同省の婦人少年局で女性官僚が縁の下の力持ち的に頑張っていましたが、1990年代には政府の「見えるポジション」での女性の活躍が増えてくるようになりました。
99年4月の統一地方選挙までに、女性議員養成のバックアップスクールが全国で22カ所でき、女性議員を輩出しようという気運が高まります。そのかいもあり、地方でも女性議員が増え、市民社会の女性たちが連携をしながら、国際人権基準に女性の権利を引き上げようと頑張っていたのです。
世代交代を困難にした「ジェンダー・バックラッシュ」
1995年9月、北京で開催された第4回世界女性会議は、開催地が近かったこともあり、日本からも女性の人権に関わる多くの女性たちが参加しました。北京会議で採択された「北京宣言」と「北京行動綱領」は現在に至るまで女性の人権に関する最も包括的で水準の高い国際文書と言えるでしょう。北京会議に参加した教員を中心に、教育現場で「ジェンダー・フリー」という言葉と実践が広がりました。それまでの「女らしさ、男らしさ」の固定観念から解放され、男女という性にとらわれないで、その人らしく生きていくこと、性教育も含めた教育の場からも改革していくことを主眼としました。
ところが、「男女という性にとらわれない」という言葉尻を捕まえて、「男も女もないなんておかしい」と言う人たちが出てきました。第二次ベービーブーム以降、子どもの数が増えたことから更衣室などの対応ができず、低学年は男女一緒に教室で体操着への着替えをしている学校もありました。そうしたことが「ジェンダー・フリー」と曲解され、非難されるようになりました。
週刊誌などでも面白おかしく書かれ、それが国会でも取り上げられ、画一的に男女の違いをなくし、中性化を目指すのが「ジェンダー・フリー」だという誤解が広まっていきました。最終的に、内閣府男女共同参画局は都道府県・政令指定都市の男女共同参画担当に以下のような通達を出しました。
これにより「ジェンダー・フリー」という言葉が公的文書から削除されることになりました。それだけではなく、公共の図書館からジェンダーに関連する図書が撤去される事態にまで発展しました。せっかく「これからは女性の時代だ!」という気運が盛り上がっていたところに、こうした言葉狩りをはじめとする「ジェンダー・バックラッシュ」が起きたのです。
1997年には歴史修正主義の人たちが「新しい歴史教科書をつくる会」を結成するなど、選択的夫婦別姓の実現、年金や配偶者控除といった専業主婦優遇の見直しなど、フェミニズム運動の掲げた課題への反対運動が広がります。中でも私は、1990年代にようやく政府が事実と認めた日本軍「慰安婦」問題に対する言動がフェミニズム運動に大きな打撃を与えたと感じています。そして、運動への攻撃や慰安婦問題や政府責任の否定の背景には、女性差別に加え、植民地差別や人種差別が絡んだ「憎しみ」が感じられます。
2000年代に入ると、フェミニズムやジェンダー関連の学会や講演会などに右翼の街宣車が押し掛け、講演がキャンセルになることもありました。若い世代には、フェミニズムは怖いもの、関わらないほうがいいものという印象を残してしまったかもしれません。国連の追い風を受けながら、女性たちが各地で男女共同参画社会の実現に向けて活動を活発化させたにもかかわらず、次世代にうまくバトンタッチできなかった大きな原因が、こうした「ジェンダー・バックラッシュ」でした。
新しい風「バッド・フェミニズム」
ところが2010年代に入って、ポップカルチャーを巻き込み、フェミニズムに新しい風が吹き始めています。歌手のビヨンセやレディー・ガガ、テイラー・スウィフトの楽曲の歌詞やパフォーマンス、ディズニー映画『アナと雪の女王』や『モアナと伝説の海』などのテーマといった例があり、海外では、こうした動きを第4波と呼ぶ人もいます。他にも、ファッションブランドのクリスチャン・ディオールが2016年に「WE SHOULD ALL BE FEMINISTS」というメッセージ入りTシャツを発表したことが話題になりました。これはナイジェリア出身でアメリカ在住の作家チママンダ・ンゴズィ・アディーチェのスピーチ(2014年に書籍化)の題名で、日本でも『男も女もみんなフェミニストでなきゃ(邦題)』が8月に出版されたばかりです。同じくアメリカで2014年に出版された『Bad Feminist』(日本では『バッド・フェミニスト(邦題)』として2017年出版)はハイチの移民を両親に持つロクサーヌ・ゲイのエッセイ集ですが、正しいフェミニストでなくてもいいというメッセージは大変話題になりました。エマ・ワトソンも、自分は「バッド・フェミニスト」と名乗っています。
「フェミニスト」というと、「正しく」女性の権利を主張しなくてはいけないというイメージがあります。フェミニストの間で論争があるのはいいことなのですが、それが敷居を高くしてしまい、きちんと勉強をしないと語れないものになっているとしたら、とても残念です。「バッド・フェミニスト」という開き直りは、それぞれが思うフェミニズムがあっていいということを再確認させてくれた言葉だと思います。
アメリカの第2波では、女性への抑圧から解放されるために、男性が好む服装や髪型、仕草などを捨てる選択をした女性たちがいました。一方、第4波の特色は、セクシュアリティーやもてたいという気持ちを否定せず、むしろ女性性を謳歌しようとしている点です。資本主義も頭から否定せず、ビジネスをうまく使いながらメッセージを浸透させようとしている点でも違いが見られます。
更に、性差別的な言動を繰り返すトランプ大統領の誕生をきっかけに、大規模なウィメンズ・マーチが実施されるなど、世界規模で新しい抵抗運動が始まっています。ややもすると中流階級の白人女性の権利主張と捉えられていたフェミニズム運動が、いまや人種、宗教、性的指向、階級、障がいに基づく差別との闘いとの連携をより積極的に意識するようになってきているのです。
差別は自分から遠い存在?
こうした流れが日本でも定着するかどうかは分かりませんが、フェミニズムを必要としている男女が大勢いることを実感しています。働く女性が増え、働き方や税制度、社会保障制度が時代遅れになってしまい、男女ともに既存の「男らしさ・女らしさ」の押しつけにやりきれないと感じる人が増えてきているからです。大学で学生たちに「性差別を感じることは?」と聞くと、ほとんど気づいていないのが実態です。男子学生から最初に返ってくる答えは「映画のレディーズデー」や「女性専用車両」で、逆差別だと受け止めています。女子学生も就職活動をするまでは、日本では既に男女平等が実現していると信じて疑わない人のほうが多いのです。
社会に出てから、特に共稼ぎで子どもを産んでから不条理に目覚めた女性によく出会います。「保育園がない」「ワンオペ育児で大変」といった悲鳴があちこちから上がっています。それまで差別という言葉を何か遠いことのように感じていたとしても、自分もいろいろ我慢をしてきたなと考え始め、抑圧の構造が見えてくるのです。そして「これは自分だけの問題じゃない。社会や政治の問題だ」と気付き始めるのです。セクハラやマタハラにも敏感になり、男女賃金格差や女性の貧困、管理職女性の少なさ、性暴力、性の商品化、男女で異なる性規範など、いろいろな問題が繋がって見えてきます。
それでなくても女性には「結婚しろ」「子どもを産め」などの押し付けがあります。いつからか言われ出した「女子力」も同様です。もちろん男性にも「稼がないといけない」「強くないといけない」といった性規範の抑圧があります。
こうした世間からの押し付けに違和感や圧迫感があるならば、その仕組みを解明しようとしてきたフェミニズムが解決策を見出すための手がかりになるはずです。