「国境なき医師団
洞窟に身を隠しての医療援助
白川優子(以下、白川) シリアでは、公立病院は政府支持者の患者以外を受け入れず、ほかの病院は政府軍の攻撃対象となっていました。MSFは再三にわたり医療援助活動の受け入れを要請しましたが、シリア政府はこれを許可しませんでした。MSFに限らず、シリア政府は統治地域以外での医療・人道援助活動をいっさい認めていません。この状況は今も続いています。しかしMSF は、多くの人々が医療を受けられない事態への対応が必要と判断し、緊急医療援助活動を開始します。政府の許可が得られないのですから、必然的に北部の反政府勢力支配地域に入るしかなく、そこに仮設病院を建てて、隠れて活動を始めました。当初は、洞窟やニワトリ小屋を活用した野外病院もあったと聞いています。
隠れているのは、見つかると政府軍に攻撃されてしまうからです。反政府デモそのものも攻撃対象でしたし、その負傷者を治療しただけで地元のシリア人ドクターが逮捕されるなど、かなり早い時期から医療の場が迫害の対象になっていました。私たちも普段なら、MSFのTシャツを着たり旗を立てたりして、これが人道援助活動であること、中立の立場であることをアピールして安全を確保するわけですが、シリアでは逆でしたね。
――白川さんご自身も、危険な目に遭遇されたのですか。
白川 念のために申し上げておきますと、MSFは安全管理を最優先しています。これは絶対です。それでも、どうしても危険を避けられないのが戦争の怖さで、それをシリアで実感しました。
隠れて活動していても、何カ月か続けていれば、口コミなどでわかってしまいます。実際、「ここに来れば、治療してくれると聞いて、5時間もかけてやって来た」というような患者さんがたくさんいました。住んでいる場所が近くても、検問を避けながら来るので、何時間もかかってしまうんです。
それで、政府側に拠点や活動内容が伝わってしまったのでしょう。恐らく医療施設だとわかっていて攻撃してきたのだと思うのですが、私が支援していた仮設病院にも爆弾が6発落ちてきたことがありました。あのときは、医療スタッフも患者さんも、病院中がパニックに陥りましたね。幸い、爆弾は建物の中心部には命中しなかったのですが、それがたまたまなのか、警告だったのかは、わかりません。
――騒乱に乗じて、過激派組織「イスラム国(IS)」がシリア北部の都市ラッカを「首都」とする国家樹立宣言をしたのは2014年6月です。医療施設はISからも攻撃ターゲットとされ、2015年にはMSFの支援を受けるシリア人医療スタッフ23人が殺害されて、58人が負傷。さらに、MSFの支援先病院・診療所63カ所が、合計94回の砲爆撃を受け、うち12カ所は全壊しています(国境なき医師団「活動ニュース」より)。
白川 そうした悲惨な出来事も、シリアで起こっていることのほんの一部にすぎません。シリア内戦が「今世紀最悪の人道危機」と言われるゆえんだと思います。
泣くのはいつでも一般市民
――悲惨な現地の状況を何度も目の当たりにして、今、どのようなことを感じていますか。白川 派遣されるたびに、「こんなに非人道的なことが、いまだに世界で起こっている」という事実に衝撃を受けています。日本にいると、戦争なんて、もうとっくの昔のことで現実味の薄い話ですよね。でも、世界ではそれが現実で、そこで泣いているのはいつも一般市民の人たちなんです。大切な人を殺されて泣き、生き残って虐げられて泣き……。
シリアに派遣されていたとき、アレッポの大学が爆撃されて、負傷した多くの学生が運び込まれたことがありました。彼らがベッドの上で、「自分にはこんな夢があった」「自分はこうなりたかった」と話す姿がとても印象に残っています。シリアが独裁政権で監視社会だったとしても、少なくともそれまでは爆撃はなかったし、学生たちは普通に勉強ができていたわけです。そうした日常が、戦争によって、ある日突然バシッと断ち切られてしまう。あれよあれよと言う間に始まってしまう戦争の恐ろしさと、それで苦しむのは戦争に関与も加担もしていない一般の人たちであることの理不尽さを強く感じます。
ただ、その一方で、新しい発見もありました。どんなに悲惨な状況でも、人はささやかな喜びを見出して笑顔になる、ということです。
例えば、シリアの子どもたちにアラビア語で話しかけると、すごく喜んでくれるんですね。「元気?」とか「名前は?」「何歳?」程度でも、みんな、きらきらした笑顔で、わーっと集まってきて。「遠くの国の人が、自分たちの言葉で話してくれるのがうれしい!」という思いがひしひしと伝わってくるくらい、もう、ぜんぜん表情が違うんです。
また、イエメンには「人をもてなす」とか「人と分かち合う」文化があるらしく、貧困状態にあるはずなのに、みんな「ユーコ、これ食べて」と、私に食べ物を分けてくれようとするんです。歌を歌ってくれたり、逆に歌えと言われたり、ジョークを言って笑ったり、ときにはダンスを踊ったり。どんなに虐げられても、人には前向きに生きようとする力があるんだなあと、そんなことも感じています。
それでも紛争地に赴く理由
――危険な目に遭うこともあるのに、それでも白川さんが紛争地に赴くのには、どのような思いがあるのでしょうか。白川 私自身は、紛争地を選んで赴いているわけではありません。長く憧れ続けてきたMSFの人道援助活動に参加しているに過ぎない、という認識です。ただ、結果として、現実には紛争地に派遣されることが多いので、今お話ししたような、現場で見たこと、感じたことをしっかり伝えたいという思いはあります。
MSFに参加した当初は、日本に帰ってくると、「世界はこんなに大変なのに、みんな、のんびりしている場合じゃないよ」と、すごく単純な怒りがあったんですね(笑)。でも、経験を重ねるうちに、紛争も現実なら、日本の平和も現実なのだと思うようになりました。日本で平和に生きている人が、遠い世界のことを知らないのは当然です。それならば、紛争の現実をしっかり証言し、発信していこうと考えています。
私が語ることによって、「そんなことが起こっているのか、じゃあ止めなくちゃ」と、動いてくれる人が出てくるかもしれないし、その動きが大きな渦になって、戦争を止めてくれるかもしれません。発信し続けることが、その一助になればと思っています。
もう一つは、子どもたちへの思いです。親を殺されたとか、自分が撃たれたとか、そこで子どもたちの中に生じる怒りや憎しみが、次のテロリストや次の戦争を生み出してしまうかもしれない。
国境なき医師団
Médecins Sans Frontières(仏)、略称MSF。
人種、宗教、信条、政治とは関係なく、貧困や紛争、天災などで生命の危機に瀕している人々に医療を届けることを目的とした、非営利の国際的な民間医療・人道援助団体。内戦状態にあったナイジェリアのビアフラに医療支援のため派遣されたフランスの医師と、ジャーナリストらによって1971年に設立された。その後、レバノン、ボスニア、エチオピア、アルメニア、北朝鮮、チェチェンなど、さまざまな国や地域、場面で活動を続けている。99年にはノーベル平和賞を受賞した。