ワイマール憲法がヒトラーを生み、ヒトラーがホロコーストをしでかして、とんでもない戦争で何千万人もの人を殺したと。そういうとんでもないことを、しかしそれに迎合し支持した国民がいたという……。それだけシビアな歴史観、民主主義観というのが常に彼らの中にはあって、その運用をいかに間違えないかということに対する意識が、常に一定のブレーキというか、必ず考えなければいけないプロセスとして残っているということなんですね。
──18歳選挙権や成人年齢の引き下げに伴って「主権者教育」の重要性を訴える一方で、民主主義の基礎を支える「異なる様々な意見に耳を傾け」「自分で考える」力を身に着けた、前川さんの表現を借りれば「目覚めた主権者」は困る……というのでは、まるで、一人ひとりの主権者を「自分たちに都合のいい一票」としか見ていないように感じます。
前川 最近の「公文書問題」などを見ても象徴的ですが、現実には「民はよらしむべし。知らしむべからず」みたいな社会に戻ろうとしていますよね。とにかく、真実を国民に伝えないようにしようと。その一方で、他国の脅威とか、ヘイトのような国民のネガティブな感情に訴えて、支持を勝ち取ろうという、ポピュリズム的な政治手法です。
基本的に、国民はバカだと思っているんですよ。だませると、最後までだまし通せると思っている。まあ、ここにきて国民も少し「あんまりバカにすんなよ」っていう感じになっていると思いますが、とにかく嘘も100回つけば真実になるみたいな話ですよね。そうやって、「そんなはずないじゃありませんか」と言ったら、「そうか、そんなはずないのか」って思っちゃう。大きな声で断定的に繰り返し言うと、みんなそれを信じちゃうっていう。これはヒトラーの手法ですが、最近の日本でもそれがまかり通ってきた。
僕自身、日本国民はもういっぺん戦争があってとんでもない目に遭わないと目覚めないのではないかという、極めて悲観的な思いに囚われることがときどきあるんですよ。
だけど、そうじゃないはずだと。今のドイツ国民だって、過去の歴史を学んで今の民主主義を守ろうとしているんだから、日本国民だって世界の歴史を学べばいいんだと。日本の歴史だって学ぶものがあるだろうけど、ドイツの歴史も日本人が学べばいいんでね。
ワイマール憲法からヒトラーが生まれてきた過程。全権委任法みたいな、反憲法的法律がまかり通っちゃったっていう。そうやって憲法が憲法の役割を果たさなくなってしまう、立憲主義がないがしろにされていくという過程があったわけですね。
学びの中からそういう視点を得ることで「それ、今、日本で起こっていることじゃない?」っていう気づきにつながる。そうやって過去を学ぶことから現在をちゃんと見ることができるという意味で、高等学校の新しい学習指導要領に盛り込まれた「歴史総合」は非常に大きな意味を持っていると思うんですけどね。
──最後に、公教育とは、そもそも「誰のため」にあるのでしょうか?
前川 私は「一人ひとりの個人が幸せに生きるため」だと思います。公教育というのは、国家の繁栄のためとか、国家を守り抜くためとか、そんなことのためにあるのではなくて、一人ひとりの幸せのためにある。もちろん「幸せである」ためにはまず、平和でなきゃいけないわけで、戦争が起きないようにするということが大事なわけですが、そういう「国民一人ひとりの幸せ」と平和を実現するためには、それを守る政治体制が必要で、それが憲法なんですよね。個人の尊厳というものを守るために国に対して一定の行為を禁じ、あるいは一定の行為を求めるという、そういう枠組みが憲法。
そして、憲法に記された思想良心の自由を侵すなとか、あるいは生存権を守れ、保障しろと。人を平等に扱えとか。そういう個人の、一人ひとりの幸せのために国はあるという考え方の先に、国が教育の機会をちゃんと提供するとか、最低限の生活ができる生活保護を出すとかっていう仕組みが成り立っているのが立憲政治だと思うんです。
自分たちの社会がこういうふうに成り立っている、その究極の目的は一人ひとりが幸せに暮らすことだと憲法13条に書いてある、個人として尊重され、幸福追求権があるっていう、そういう幸せを実現するための仕掛けですよと。ただし、それは自分たちで守っていかないと崩れるよと。そういうことを学ぶ必要があると思うんですね。
私は38年間ずっと「公教育」に携わる公務員として、公教育の行政や仕組みに携わる者としては、そういう考え方でやってきたんだけど、一方で、そうじゃないということを言う人たちがいるわけでね。「教育は国家のための営みである」と。教育というのは、国が人間を国のために教育するということだと。
これは、森有礼(もり・ありのり)はそうだったわけですよ。明治18年(1885年)に内閣制度ができて、伊藤博文が初代の総理大臣になって、そのときの初代文部大臣というのが森有礼という人ですね。
しかし、それ以前の明治になったばかりの頃は違っていた。文部省は明治4年(1871年)からあったけれども、それまでの間の文部省のトップの人は、文部卿といって、明治5年(1872年)に学制発布、それから太政官被仰出書(おおせいだされしょ)というのが出ていますけど。ここに出てくる思想は、国家のための教育じゃないんですよね。むしろ、どちらかというと福沢諭吉の『学問のすすめ』と同じような考え方。
「学問」という言葉は、今はなんか大学や大学の先生の専売特許みたいになっているけど、もともと学問というのは学習とか学びとかという意味で、学問するのは己のためであると。自分がその学問をすることによって、社会で身を立てていく。学問というのは、そのために必要なんだから勉強しなさいというのが『学問のすすめ』の考え方ですが、それと同じことが太政官被仰出書にも書いてあるんですよ。
「おまえら、学問なんかいらないと思っているかもしれないけれども、おまえのためなんだ」と。「勉強すると自分にとっていいことがあるんだぞ」ってね。
──それは、まさに「一人ひとりの幸せ」のための教育ですね。
前川 そうなんです。ところが、明治18年の森有礼のときからガラッと変わっているんです。森有礼は、戦前の国家主義的な教育体制の礎をつくったわけですけれども。小学校令、中学校令、師範学校令、帝国大学令というようなものを矢継ぎ早に制度として整えた。そして、その5年後(明治23年、1890年)には教育勅語が出ているわけですからね。
そうやって戦前の国家主義的教育の礎を築いたのが森有礼で、さらに、当時の山縣有朋内閣の法制局長官だった井上毅(いのうえ・こわし)、明治天皇の先生(御侍講)であった元田永孚(もとだ・ながざね)らが教育勅語を作った。だから、まあ、そういう考え方が戦争のあともしぶとく残っていて、今また、ジワジワと燃え広がりつつある。でも、公教育は「国」のためではなく、一人ひとりの「個人」のためにあるはずです。ひたすら強いものに付き従うのではなく「自分で考える力」を身に着けた「目覚めた主権者」の存在なしに、本当の民主主義などありえないのですから。