私もメンバーとして加入しています。詩織さん、テレ朝の女性記者の勇気ある告発、そして、その後の麻生大臣や下村議員の発言に、「負けてはいられない」「もう傍観者でいるわけにはいかない」という思いがありました。
会のメンバーは、新聞社や通信社、テレビ局、出版社などの社員、フリーランスも含めて86人(記者会見時)です。会員には現役の記者も多くいますが、記者会見に出席したのは、フリーの二人だけでした。本来は、皆で顔を出して声を上げたいところです。しかし、これまで声を上げた、詩織さんやテレ朝の女性記者への誹謗中傷やネット上でのバッシングは凄まじく、最終的に現役の記者たちが顔出しすることは見送られました。
WiMNは、林さんと松元さんを中心に、今後は、シンポジウムの開催やSOSが出せるような受け皿作りを検討していくなど、様々な取り組みを進めていきたいとしています。まだできたばかりの団体ですが、メディアで働く女性たちが立ち上がり、組織を作り、声を上げ始めた意義は大きいと思います。セクハラやパワハラに苦しんでいる、メディアで働く人以外の女性や男性にも、良い影響が出てくるようになったら嬉しいです。
我慢しなくていい社会に
先ほど、社内でセクハラを受けたことはないと言いましたが、私の場合は、若い頃、千葉や横浜のサツ(警察)回りなどもしていて、外部からのセクハラというのはありました。おそらく支局時代にセクハラ・パワハラの洗礼を受けるというのは、若手の新聞記者は男女問わず、皆経験することになるのではないでしょうか。
私の場合は、千葉の方はまだのどかな感じでしたが、横浜では、赴任早々、警察幹部に「助手席で話そう」と言われて車に乗り込んだら、いきなり抱きつかれたのです。すぐに知人に相談したら、「相手は警察内で処分されるかもしれないけど、警察からの印象は悪くなり、取材がやりづらくなるかもしれない」と言われました。すっごく悩んで、結局、告発するのをやめました。
ただし、自分の中でどうしても納得がいかなかったので、その幹部のいる警察署へ行き、人の見ていない所で、はっきりと抗議しました。そうしたら「そんなに怒ってるとは思ってなかった」と平謝りされ、「ああ、この人、自覚がなかったのか」と納得し、相手が謝ったことで許すことができました。
その後も何度か同じようなセクハラには遭いましたが、取材に慣れていくにつれ、それを「受け流してきた」という面がありました。当時は、「取材のためだから仕方ないか」と思っていたわけですが、自分より若い世代の記者たちが、今、ひどい目に遭っているのを目の当たりにしたり、後輩たちから相談を受けたりすると、10年以上前に、私自身がもっときちんと声を上げていれば、後輩たちが苦しむことはなかっただろうと反省させられます。
これはきっと、記者という立場の女性だけではなく、他の業界でも、仕事のためだからとやり過ごし、我慢してきた人たちも同じ思いだと思います。私のように市井の声を拾える、人に伝えられる仕事に就いている者は、もっともっと声を上げていかないといけないと思います。
残念なのは、せっかく勇気を出して声を上げた女性を批判したり中傷したりする人の中に、同性の女性がいることです。自分たちは「若い頃、こうだった」と言うのならまだしも、「私は我慢したんだから、あなたも我慢しなさい」ではなかなか社会の意識が変わっていかないと思います。電車内でのベビーカーの使用について論争があったときも、高齢の女性たちが「自分たちはちゃんとおんぶしていた。ベビーカーは車内で使うな」という批判があったと聞きました。もしずっと我慢していたのなら、我慢しなくて済む社会、より子どもを育てやすい社会の方がいいですよね。それがセクハラに関連することなら、我慢しなくて済む社会の方がいいに決まっています。
声を上げられる力を
セクハラに関して声を上げるには、教育も大事かなと思います。
私には娘がいますが、彼女にはきちんと自分の考えを表現できる人間になってほしいです。先生の言うことに従って、黒板に書いたことをただ書き写して、丸暗記する。私の子ども時代は、そんな教育が当たり前でした。でも、それだけではクリエイティビティは育たないし、新しい価値観や創造力も生まれにくい。教師やお上の言うことが当たり前だと思わされ、声を上げられない人間になってしまいそうです。
アメリカでは、今年3月、高校生が中心となった銃規制の強化を訴えるデモに、首都ワシントンだけで約80万人、全米では約100万人が集まったといいます。海外のニュース映像だったかと思いますが、トランプを批評する4、5歳の女の子の映像を見たときには思わず笑ってしまいました。そうしたことができるのは、常に親や教師たちが、相手がどんなに小さな子どもであっても政治のことを語り合い、ディスカッションすることが身についているからでしょう。自分の考えや思いを伝えるために声を上げる、その力がはぐくまれているのではないかと思いました。
そのアメリカでさえ、#MeToo運動以前には、なかなか声を上げられなかったことを考えると、セクハラの問題はなかなか手強いとも言えますが。
オヤジ文化、体育会系のノリに「NO」
今一度自分を振り返ってみると、特捜部を担当していた頃、元特捜部検事の家にお正月集まるときは女性記者たちがみんな着物を着るということが慣習化していて、私も着物で行きました。女性であることを取材で利用したことがまったくないかと聞かれたら、女性だから取材のための飲みに付き合ってもらえたことも多かったと思いますし、否定はできません。
女だから、男だから、と性差を声高に叫び過ぎることも、それはそれでギスギスした社会になってしまう可能性もあります。ただ、これだけは言えるのが、当事者が嫌がっているなら、それだけでセクハラだということ。これを理解できていないことが、セクハラをしている側の自覚のなさにつながっているのだと思います。
これには、いわゆるオヤジ文化とか体育会系のノリ(!?)というものも影響している気もします。例えば男性記者の場合は、セクハラよりもパワハラが問題で、取材相手の言いなりに芸をするなど、「情報を取るために、ここまでするの?」という情景を見ることも少なくありません。今やスポーツ界でもこれまでは当然と言われてきた体育会系のノリが問題になっているのですから、女性に限らず男性も嫌なことにははっきり「NO」と言いましょうと言いたい。取材する側が、はっきりと声を出すことで、取材される側の意識も変わっていくことが必要な時代になったのではないでしょうか。
福田氏のセクハラ問題を受けて、政府は省庁幹部へのセクハラ研修の義務化など緊急対策を講じるようで、野田聖子男女共同参画大臣が取りまとめをしていて、会見をしました。しかし、その後も耳を疑うような政治家の発言が引きも切らずで、もっと厳しく対処してほしいし、研修を受けなければいけない人がたくさんいます。さらには、「セクハラ罪という罪はない」と麻生大臣が言いましたが、日本にセクハラ罪がないことは、国連からこれまで問題視されてきました。今回の#MeTooの動きを契機に、何より政府は、日本にもセクハラやパワハラへの罰則を作っていく道を模索していくべきです。