「どうしようもないと思いました」
梅松被告は軽蔑の滲んだ声で言った。そのような人も心失者に入るらしい。続けて「植物状態の人は?」と聞かれると、「絶対回復しないわけではないのですぐ殺すべきではありませんが、安楽死させるべきだと思います」。「名前、年齢、住所が言えない人は?」とさらに問われると、「安楽死させるべきです」と答えた。
このような時、植松被告の全身に「万能感」がみなぎっているのを感じる。あらゆる者の生殺与奪の権利を自分が一手に握っている、という陶酔感。そんな権利、植松被告には微塵もないのに、どのような人間を生かし、どのような人間を殺すべきかという話になると、端から見ても脳内麻薬が出ているのが分かるほどに高揚するのだ。
この「神目線」の快楽が、事件を読み解く一つの鍵のような気がする。何一つ思い通りにいかない若者(20代なんてだいたいそんなものだ)がすがった「自分が支配者だったら」という脳内ゲーム。すらすらと答える姿を見れば、誰もが「ずーっとこのことを考えていたんだろうな」と思うはずだ。
植松被告には一体、何が見えているのだろう?
さて、2月6日の裁判の終わり頃、裁判員の一人が、殺害方法に触れた。植松被告は最初、心臓を狙って刃物を刺していたという。が、刃物が骨に当たって曲がったりし、自身も怪我をしたことから首を狙うようになる。
「やわらかい首に変えました」
その「やわらかい首」という植松被告の言葉に、思わず自分の首を押さえそうになった。やわらかな首の皮膚に、刃物がスッと当たる冷たい感触。目の前の植松被告はあの日、無防備に寝ている43人を刺し、19人を殺害したのだ。刺し傷だけで100箇所以上。なのに、犯行当時、血の匂いはあまり感じていなかったという。
ゾッとしながら、もう一つ、背筋が凍ったことを思い出していた。1月30日の面会で、私は植松被告に真鍋昌平氏の漫画『闇金ウシジマくん』(小学館)について聞いていた。1月24日の法廷で「横浜に原子爆弾が落ちる」「6月7日か9月7日に落ちる」などと言っていた植松被告だが、それが「『闇金ウシジマくん』に書いてあります」と述べていたからだ。面会でそのシーンが何巻にあるか聞くと「最終巻です。それの一番最後のところです」と言うので入手して読んでみた。
しかし、『闇金ウシジマくん』の最終巻に、彼が言うシーンは存在しなかった。
彼には一体、何が見えているのだろう?
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2月7日の裁判で、植松被告の精神鑑定をした医師は、「意思疎通のできない障害者を殺す」という動機を「妄想ではない」とし、「病気による発想ではなく、園での勤務経験や世界・社会情勢を見聞きしたことにより形成されていった」と述べたという(神奈川新聞「被告の精神鑑定した医師が証言、事件への大麻の影響否定」、20年2月7日)。
私の謎はまた一つ、深まった。
判決は、3月16日に出る予定だ。
『闇金ウシジマくん』の最終巻
第46集、2019年5月