新型コロナ 吹き荒れる自粛の風
地下鉄サリン事件から25年後のこの世界では、発生地の中国だけでなく、イタリア、スペイン、イラン、アメリカをはじめ世界規模で新型コロナウイルスの感染が広がり、自粛の風が吹き荒れている。現在の日本国内は、9年前の東日本大震災の際の福島第一原発事故直後の東北や関東地方の状況と似ている。
ウイルスも放射性物質も目に見えない。見えない敵に対する恐怖や不安は簡単にぬぐい去ることができない。
地下鉄サリン事件が起きた1995年3月下旬直後の首都東京も同じような状況だった。「教祖逮捕」のXデーに向け警視庁の捜査が進展する中、教団幹部たちは教祖を守るために抵抗を続けた。麻原が「4月15日に地震が起きる」と予言したため、オウム真理教が再び首都を標的とするテロを起こすのではないか、と不安が広がった。新宿の繁華街は厳戒態勢となり、休業する百貨店も出て、買い物客の姿が消えた。
実際に教団幹部は時限式の青酸ガス発生装置を仕掛け、5月5日、地下鉄新宿駅の男子トイレで発火した。ビニール袋は二つ置かれ、それぞれに顆粒状のシアン化ナトリウム(青酸ソーダ)と液体の希硫酸が入っていた。二つを混合すると猛毒のシアン化水素(青酸ガス)が発生する仕組みだ。駅員が消し止めたが、1万人分とされる致死量を有する青酸ガスがまき散らされる可能性も現実にあったのだ。さらに、同じころ、教団幹部は都知事を殺害するために都庁に小包爆弾を送り、都の職員の指を吹き飛ばした。
当時、新聞もテレビも雑誌もオウム一色だった。新型コロナウイルス一色の現在のメディア状況とよく似ている。オウムが今度は何をしでかすのかという不安感は、教祖の逮捕によって徐々に収まった。やがて連日のように開廷されたオウム裁判では、多くの弟子が教祖の犯罪や俗物性を告発、教祖の神秘のベールがはがされていくことで不安は薄れていったように思う。
文明論的に捉えれば、ウイルスの感染拡大は豊かさや効率性を極限まで追求してきたグローバル経済社会に対する「自然からの警告」と受け止める視点を持つべきだろう。必要以上に恐れてしまうのは、このウイルスにまだ分からないことが多いからだ。戦前には不治の病と恐れられた結核は、特効薬の開発で犠牲者を激減させた。人類の英知で地球規模の困難を乗り越えるしかない。
未来のテロリストへ
オウム事件に話を戻そう。地下鉄サリン事件で使われたサリンの生成や、坂本弁護士一家殺害事件にも関与し、2018年に死刑が執行されたオウム真理教元幹部の中川智正元死刑囚(執行時:55)が「未来のテロリスト」に向けて「自らの意思でテロを思いとどまってほしい」との願いを込めた英文のメッセージを残していた。
記事を配信した共同通信によると、英文に日付や題名はなく、「『未来のテロリスト』が、本当のテロリストにならないよう自らの意思でテロを思いとどまってほしい」と呼び掛け「テロ前の世界と後の世界を思い浮かべてほしい。絶望感にさいなまれるはずだ」と強調している。
教団に残るメンバーに向けてのメッセージなのか、国籍や宗教を超えた人たちへの普遍的なメッセージなのか、真意は分からない。が、破壊的カルトと呼ばれる組織の中で多くの人の命を奪ってしまった率直な反省から、メッセージを残したと想像できる。
中川元死刑囚だけではなく、教祖の道連れのような形で処刑された12人の弟子たちは、麻原元死刑囚を「師」に選ばなければ実直に生きて社会に貢献した人たちだと考えている。私は4人の元死刑囚と交流したが、彼らは裁かれるべき加害者であると同時に人生を狂わされた被害者でもあると強く思う。自らの死を覚悟しながら「テロリストにはならないで」と呼び掛ける中川元死刑囚の心根が切ない。
事件のことを知らない若い世代が、オウム真理教の後継団体に入信するケースが後を絶たない。公安調査庁によると、街頭でアンケートを装ったり、書店で声を掛けたりして接触し、誘い込む手法も使われているという。人生をいかに生きるかを真剣に考える純粋な若者はいつの時代もいる。そして、教祖への絶対的な帰依を求めるカルト組織は彼らを狙う。
オウム事件は後手に回った神奈川県警の捜査や警察庁長官狙撃事件の捜査の迷走など、警察組織が抱える問題点も多く浮かび上がらせた。事件は終わっていない。さまざまな角度から、この事件に光を当て教訓をくみ取る地道な努力を、私たちの社会は続けなければならない。長い道のりになるかもしれないが、それが遺族や被害者の思いを受け継ぐということなのだと思う。