この準用措置という形による保護は1950年に生活保護法が制定されてから70年以上行われ続けている。ただし、生活保護法制定当時は現在のように在留資格の違いによって生活保護から排除するか否かを判断していなかった。現在の運用に変化したのは1990年である。
多様化した「外国人」に国や自治体はどう対応したか
上図で示したように、戦後の外国人登録者数の推移について見てみると、1950年時点では59万8696人であったが、その後徐々に増加し、1980年代後半以降に急増、1990年には107万5317人となった。この外国人急増の背景にはいわゆるニューカマー外国人の増加があった。
戦後からしばらくの間、日本に暮らす「外国人」の多くは在日韓国・朝鮮人であった。これらの人たちは第二次世界大戦時に日本の植民地であった朝鮮半島出身者とその子孫であり、1952年まで日本国籍を有していた。その後、韓国・朝鮮人数は増加し、その一方で、それ以外の国籍の外国人も増加した。外国人登録者に占める韓国・朝鮮人の割合は、1950年時点では91%であったが、1990年には64%にまで低下した。また、この当時、非正規滞在者(超過滞在者)も増加しており、1990年7月時点で10万6497人の非正規滞在者が存在していた。
各自治体は、こうした1980年代後半以降の外国人の急増と多様化に対応する必要に迫られた。自治体によって対応は異なってはいたが、現在では生活保護から排除されている「就労系の在留資格を持つ外国人」や、留学生、非正規滞在者にも準用措置を行っていた。例えば、1990年3月21日、留学生であるスリランカ人男性が緊急入院した。4月13日に退院したが、医療費が162万円に上り、支払うことができなかったため、神戸市福祉事務所に生活保護を申請したところ、医療費を支給することが決定された(外国人の生存権を実現する会編『厚生省はゴドウィンさんに生活保護の適用を!資料集Ⅱ』1995年)。
しかし、1990年10月、厚生省(当時)は、永住者や定住者、配偶者ビザ以外の外国人や非正規滞在者などを生活保護から排除するように、各自治体に対して「口頭指示」を出した。現在まで繋がる外国人保護問題が生じたのである。また、こうした対応は生活保護法を改正することによって行われたのではなく、国会において議論されることもなく、厚生省の判断だけで行われていた。厚生省は「口頭指示」を発出した理由について、「1950年の生活保護法制定時から準用措置の対象者は制限されており、『口頭指示』はそれを確認するために発出したものであって制限するために出したものではない」という趣旨の説明をした。しかし、先に述べたように、各自治体はそれまで実際の運用において、留学生などにも保護を行っていた。この「口頭指示」は、こうした自治体の対応に変更を迫り、準用措置の対象者を制限するものとして、機能していた。
「本国が保護すべき」という国の論理の限界
そもそも、外国人に対して生活保護法の適用を認めない理由について厚生労働省は以下のように説明している。「外国人に対する保護については、こうした生存権保障の責任は、第一義的にはその方が属する国が負うべき」「外国人に対しての保護については、人道上の観点から、行政措置として行っている」(2018年4月18日衆議院厚生労働委員会)。厚生労働省は、外国人が困窮した際には、一定範囲の外国人については人道上の観点から準用措置を行うが、原則的には、外国人の本国が保護すべきであり、日本政府が保護する必要はないと示しているのだ。