高裁判決の問題点 表現の自由と「敵意ある聴衆の理論」
2014年から裁判を見守ってきた、憲法学者で群馬大学情報学部の藤井正希准教授も、「日本国憲法における人権についての考え方を前提にするならば、更新不許可処分を取り消した前橋地裁判決から大きく後退したと言わざるを得ない。具体的には、表現の自由(憲法21条)や適正手続の原則(憲法31条)に対する配慮に欠けると考えています」と語った。
「まず東京高裁判決には、いくつか問題点があります。たとえ除幕式や追悼式において政治的発言がなされたとしても、追悼碑自体には何ら物理的改変が加えられていない以上、追悼碑が『都市公園の効用を全うする機能』を喪失したり、『中立的な性格』を失ったりすることはありえません。追悼碑の客観的価値・意義は不変だからです。
次に前橋地裁判決も明示している通り、『抗議団体の抗議活動や街宣活動の内容は、主として、本件追悼碑の碑文の内容が真実でないため、本件追悼碑は即刻撤去すべきであることを求めるものであった』のであり、『除幕式や追悼式における政治的発言』は抗議活動の単なるひとつの契機に過ぎません」
さらに藤井准教授によれば、追悼碑そのものが表現行為として、憲法21条の表現の自由で保障されており、表現の自由はさまざまな人権のなかでも、優越的な地位を占めているという。
「この表現の自由を安易に規制することは許されず、その制約は必要最小限でなければならないものです。それに追悼碑の設置にあたって、群馬県知事は、最初の碑文案にあった『強制労働』を『労務動員』にするなど、内容の修正を求めていました。設置団体側はそれに応じ、修正後の碑文の内容は相当であることを認めています。また碑文の内容は、政府見解である村山談話や日朝平壌宣言に沿ったものでもあるから、碑文の内容に関する抗議を県にすること自体が失当です。もし『追悼碑の碑文の内容が真実でない』というのであれば、抗議する相手は日本政府ですよ」
12年5月頃から、“保守”を標榜する団体による「追悼碑の内容が真実でない」などという抗議が群馬県庁に届くようになった。同年11月には在特会関係者らが公園に押しかけ、職員と小競り合いを起こしている。県は「追悼碑は、存在自体が論争の対象となり、街宣活動、抗議活動などの紛争の原因になっており、都市公園にあるべき施設としてふさわしくない」ことも、更新不許可の理由としていた。しかし藤井准教授は、県はこの反対者を規制して、碑の表現を守るべきだったと主張する。
「アメリカの連邦最高裁で主張されてきた法理論のなかに、『敵意ある聴衆の理論』というものがあります。これは正当な言論活動をしている人たちを、その言論に敵対する者(敵意ある聴衆)が存在するので混乱するという理由でむやみに規制してはならない、という原則のことです。2021年の夏に、東京と名古屋と大阪で『表現の不自由展』が企画されましたが、東京と名古屋は抗議によって、開催中止に追い込まれました。一方の大阪では、施設の指定管理者が『管理上の支障が生じる』と利用提供を拒否しましたが、実行委員会による提供拒否の停止処分を、大阪地裁は認めました。指定管理者は即時抗告したものの高裁は棄却、続く最高裁への特別抗告も棄却されましたよね。これがまさに、敵意ある聴衆の理論に該当するものです」
行政が表現の選別権を持つ危険性
2021年7月16日から18日にかけて、大阪府立労働センターのエル・おおさかで、『表現の不自由展』は予定通り開催された。大音響で叫ぶ黒塗りの街宣車が会場周囲を何度も巡回し、妨害行為が行われていたものの、連日多くの人がつめかけていた。施設職員による会場警備や警察のガードにより、衝突などのトラブルは起きず会期をまっとうした。群馬県も同様に、騒ぎ立てる排外主義者を抑える責任があったと藤井准教授はいう。
「群馬県が指摘しているような危険性があったとしても、違法な第三者の妨害行為の危険を理由に設置更新を不許可にすることは、違法な妨害行為を助長して、表現という正当な権利行使を弾圧することに該当します。県は都市公園内における抗議活動や街宣活動についての管理規定を策定して、警察が警備を行うなどの措置をすれば、衝突を回避して憩いの場としての都市公園の機能を確保できるはずです。ただ批判する側にも、表現の自由はあります。行政には双方の主張を、守る義務があります」
しかしその理屈では、歴史の事実と歴史修正主義が同等の価値を持つと見なされる可能性があるし、ヘイトスピーチも「表現の自由」として、認められてしまうのではないか。
「私自身は、ヘイトスピーチは法的に規制するべきだと考えています。しかしヘイトスピーチ解消法が2016年に施行されてからも、何がヘイトスピーチかという法的な基準はあいまいなままです。そんな状況で行政が『表現の選別権』を持ってしまうことは、とても危険だということなんです」