増える日本人の海外移住
海外に住む日本人は2019年に140万人を超え、そのうち海外永住者は2018年に50万人を超えた。外務省の海外在留邦人数調査統計(2021年版)によれば、2020年にはコロナ禍に伴う入国制限で長期滞在者はここ30年で初めて減少したものの、永住者に関してはまだ増え続けている。この数には国際結婚のケースも含まれているが、それを除くと先進国は基本的に高度人材を中心とした移民政策を採っているため、日本人永住者の増加は高度人材が海外に流出している可能性を示唆している。実際、潜在的な人の移動の可能性を測る調査(Gallup Potential Net Migration Index 2018)でも、日本は高度人材の純流出国(-8%)となっている。
2018年の国際比較調査(Gallup Worldwide Poll [堀内勇作氏提供])では、日本における大卒者の間で海外移住を希望する割合は23.2%と、他の先進国と比べて高いだけでなく、中国(13.3%)やインド(13.1%)などの新興国と比べても高いことが分かった。筆者とダートマス大学の堀内勇作教授が日本経済研究センターの研究奨励金を受けて行った大卒の日本人に対するオンライン調査(詳細後述)ではこれよりも更に高く、今後海外に「長期移住するための情報収集や就職・転職活動等を行う可能性がある」と回答した人は29.4%であった。この傾向は海外に住んだ経験のある人では56.1%と特に高かった。
大卒の日本人の3人に1人、海外在住経験者の2人に1人が海外移住を考えている背景には何があるのだろうか。「移住したい」ことと「移住する」ことは別の話ではあるが、実際、筆者の住むオーストラリアでは2011年の東日本大震災以降、長期滞在者と永住者が増加しており、現在ではアメリカに次いでオーストラリアへの日本人永住者の数が世界第2位となった。本稿ではオーストラリアに移住した日本人へのインタビュー、日本在住者への調査、そして既存の研究の知見も交えながら日本人の海外移住志向について探っていく。
日本人の海外移住の背景
これまでオーストラリアへの移住に関する研究では、日本人は「より高い収入」ではなく「より良いライフスタイル」を求めて移住すると理解されてきた。「より良いライフスタイル」とは、ワークライフバランスが確保できること、豊かな自然、子育てがしやすいこと、治安が良いこと、ジェンダー平等などが含まれる。
筆者を中心とするプロジェクトチームが 2016年から2018年にかけてオーストラリアで行った32名の日本人移住者へのインタビュー調査(1・2)では、2011年の東日本大震災以前に移住した人々は確かに「より良いライフスタイル」を移住の主な動機としていた。しかし、それ以降に移住した人々の動機は大きく異なっていた。震災後の移住者たちの多くに共通していたのは、ひと言でいうと「強い危機感とリスク回避志向」である。
これまで海外に住んだことがなかった人や、大手企業の管理職、医師、経営者など収入も高く日本で十分に満足できるキャリアを歩んでいたエリート層の人でも、震災を機に日本に住むことの長期的なリスクを真剣に調べ考え始めたという。その結果、日本で切迫しているとされる首都直下地震、南海トラフ大地震、富士山の噴火というリスク、原発への影響、それによる経済的インパクトなどを考慮し、海外移住という決断に至ったのだった。
こうした人々は、移住先を決める際に徹底したリサーチとリスク評価を行っていた。中には震災後の福島から流れた汚染水を含んだ海流がどう移動し、どの国に影響をより及ぼしているかまでを調査した人もいた。東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故をきっかけに「政府に頼らず自分で自分と家族の身を守らなければならないという意識が芽生えた」のだという。移住者たちがオーストラリアを選んだ理由としては、原子力発電所がなく放射能の影響について心配をしなくて良いこと、活火山がなく地震が少ないこと、英語圏であること、国家財政の健全性、高い食料自給率、治安の良さ、日本との時差が少ないこと等が挙げられた。
震災直後には子供の体への放射能の影響に不安を抱く子育て世代や、将来起こるとされる巨大地震・火山噴火やそれによる原子力発電所への影響などを危惧する人たちが多かった。しかしその後、日本政府による情報規制、メディアの忖度などの政治的状況に危機感を感じるようになった人が増えたことが同調査で分かった。
大手IT企業で管理職をしていた40代男性は、当初は子供たちへの放射能の影響だけが心配だったが、その後すぐ安保法制や憲法改正に向けた動きが加速したこと、またそれに対するメディアの反応にも失望し、将来に不安を感じたという。大手運輸会社に勤務していた30代男性もこう述べた。「情報が規制されてるっていうのが、そこでこう、あからさまに分かったわけじゃないですか。〔中略〕この国で子育てをしたいなとか、そういうのはちょっと思えなかったですね」。
また、特に重要な要因として、調査対象者の9割近くが「長期的な経済についての不安」を海外移住の理由に挙げた。少子高齢化が進む日本における経済の展望や、年金制度や医療制度などの持続可能性への不安も彼・彼女らを海外移住に駆り立てたのである。ある大手事務機器メーカーの管理職男性は「日本の年金制度は遅かれ早かれ破綻する」と感じつつ、今後どう制度を持続可能なものにしていくかという解決策が国民に示されていないことに苛立ちを感じていた。
高度人材
高度な知識や技能を有している人材