2023年3月7日、出入国管理及び難民認定法(入管法)の改正案が閣議決定され、国会に提出された。この改正案は、国外退去を命じられた外国人の長期収容問題の解消を目的とすると謳われているが、内実は追い出しに拍車をかけたものであり、一昨年、国内外の強い批判の声もあり廃案となっていたものだ。その法案をほぼ踏襲した改正案が再び提出された。
一昨年の改正案から入管の問題を見つめ続けてきた小説家の木村友祐氏が、入管法に翻弄される当事者の実相に迫った。【全3回】
仮放免状態の夫と暮らす/暮らした日本人の妻たちのお話をうかがっていて、あることに気づく。彼女たちの思い、痛みは決して一様ではない。それでも共通して浮かび上がるものがあると気づかされる。
それは、国家および国家の意向に従う入管が家族の形を決めている疑いである。「疑い」と一応控えめに書いたけれど、ぼくの中ではもう確信になっている。
国家が上から家族の形を規定する。いわば「官製家族観」。その何が問題なのかといえば、そこから外れているという理由で、いつまでも夫に配偶者ビザも在留特別許可も出ないからだ。
今年の2月下旬、その苦しみにあえいできた1人であるなおみさん(50歳)が、スリランカ人である夫のナヴィーンさん(42歳)とともに原告となり、難民と認定しないことの取り消しなどを求める裁判を起こした。
こうした裁判では、通常は仮放免当事者だけが原告となるらしい。しかし、そこに妻であるなおみさんも「家族」の当事者として加わることで、国と入管が規定する「家族」の形に正当性はあるのかと、「官製家族観」を法廷の場に引きずりだしたのだった。
霞が関の東京地方裁判所。法廷に現れたなおみさんは、白いシャツに黒のスーツ姿だった。すらりと背の高い夫のナヴィーンさんは白いシャツにジーンズ姿である。担当弁護士にうながされ、2人で原告の席に座った。
なおみさんには取材の顔合わせをふくめて2回お会いしていたが、眼鏡をかけているのもスーツ姿も初めてだった。いつもの柔和な雰囲気と違って、背筋を伸ばした凛としたたたずまいに、ぼくは小さな感動をおぼえていた。
裁判の第1回となるこの日は、ナヴィーンさんとなおみさんと弁護士それぞれの、裁判に向けた思いを話す意見陳述があった。
はじめにナヴィーンさんが、原告席から中央の小テーブルのほうに移り、3人の裁判官に向かって立つ。そして、穏やかな人柄を感じさせる優しい口調で、自身が置かれた状況を日本語で切々と語った。
スリランカで父の政治活動を手伝ったことが原因で対立する政党の党員と思われる者から襲われ、日本に逃れてきたこと。「次のミャンマーになるのはスリランカだ」と言われているほど政治はグチャグチャになっていて、帰れと言われても帰れないこと。仮放免のため働けず、お金がないので、ジュース1本を買うにも妻に頼まなければならないこと。移動も制限されているため(自宅のある埼玉県と東京都の境である)荒川を隔てた向こうのお店に行くこともできない。働いて妻と家族の支えになりたくても、それもできない。貯金もなく、このまま何もできない状態で歳をとったらどうなるのかと将来に不安を抱き、そのせいで精神状態が悪化したこと……。
ナヴィーンさんは、書面から顔を上げて裁判長のほうを見、胸のうちから絞りだすように訴えた。
「人間として認めて、在留資格を出してほしいんです」
この時点でもうぼくの体は、小さく震えだしていた。切なかった。当然人間であるナヴィーンさんが、人間である裁判官や国側の代理人たち(結婚指輪をしている人もいる)、また傍聴席を埋めるぼくら人間たちに向かって「人間と認めてほしい」と訴えかけるなんて、これって一体どんな状況なのか。
次になおみさんが立った。裁判官に一礼し、意見が書かれた書面を読みはじめる。それはとても説得力に満ちた内容だった。ぼくが仮放免者の夫を持つ妻たちのお話をうかがうたびに感心したのはそこだった。何が問題なのかを言い当てる、彼女たちの言葉の的確さである。その言葉の高い密度と精確さは、入管や国の理不尽と向き合うなかで獲得し、磨かれてきたものではないのか。
「入管は、国に帰れと音を上げるまで精神的・肉体的に追いつめるやり方で人権や尊厳を無視し、まるで夫を支配するかのように人間として扱わず、日本国籍の私と6年以上結婚してともに暮らしていても、長期間、在留資格を認めません」
「なぜ、実子がいないとだめなのでしょうか。家族の一員というだけではだめなのでしょうか。真摯な夫婦関係というだけでは、夫は日本にいてはいけないのでしょうか。夫はそんなに悪い人なのでしょうか」
メモを取っていたぼくは、途中であきらめてメモ帳を閉じた。なおみさんの訴えに、思わず嗚咽をもらしそうになったからだ。
なおみさんとナヴィーンさんは、2005年の春に出会った。
フィリピンの品物を扱う会社に勤めるなおみさんは、ある日、職場の同僚であり友人でもあるフィリピン人の女性と一緒に、なおみさんの家の近くにあるショッピングモールに行った。買い物をしている途中で友人を見失い、店内を探す。友人は見つかったが、なぜか見知らぬ男性と英語で立ち話していた。友人に「知ってる人なの?」と聞くと、「知らない人。ここでいま会ったばかり」とのあっけらかんとした返事。なんとなく言葉を交わしただけというが、お互いの連絡先をすでに交換していた。
その男性がナヴィーンさんだった。通っていた日本語学校が近くにあり、ナヴィーンさんはたまたまそこで友人と待ち合わせしていたのである。英語が話せないなおみさんは、そのときはほとんどナヴィーンさんと言葉を交わさなかったが、職場の友人が後日ナヴィーンさんに連絡を取り、なおみさんと職場の友人、そしてナヴィーンさんとその友人男性の4人で会うことになる。
ご飯を食べに行ったり、カラオケに行ったりと、初めのころは4人で遊んでいた。だがその後、ナヴィーンさんから「今度は4人じゃなくて、2人で会いたい」と打ち明けられた。なおみさんは迷ったものの、ナヴィーンさんに悪い印象はなかったから2人で会うことに応じた。それが交際のはじまりだった。