三浦 安田さんの本を読んでいると、いままでの日本のメディアが作ってきたものとは少し違った印象を受けます。現在の日本の中国報道については、どのように感じていますか?
安田 実は、日本の大手紙の中国報道は総合的に見て水準が高いと思います。中国って、欧米メディアの報道とかで分かった気になってしまって、台湾有事とかについてもなんとなく語れてしまうんですよね。でも、中国のことを肌感覚で分かっているかどうかというのが、大事だと思います。漢字が分かる特派員が現地にいる強みはあるはずですよ。
三浦 やっぱり実際に現場に入って取材しないと、そういう肌感覚というのは身につかないのでしょうね。日本にいて、タクシー運転手や農家のおじちゃんの話なんかを飲み屋で聞いているときのほうが、政府の統計や発表よりもはるかに、この国の実情が見えてくるときがあります。
津波で亡くなった外国人の数は分からない
安田 三浦さんの『涙にも国籍はあるのでしょうか』(新潮社)は、東日本大震災の外国人犠牲者の政府統計に疑問を持って調べたものでしたね。涙しながら、夜中に一気に読みました。
三浦 ありがとうございます。この本のきっかけは、モンゴル人の青年と飲み屋で話していたときに、「東日本大震災で、外国人ってどれくらい亡くなったんでしょうね?」と聞かれたことでした。調べてみたら、厚生労働省の人口動態統計では41人、警察庁では33人と記録されていて、外国人犠牲者の数が全然違う。震災から10年以上が経過しているのに、正確な数字は誰も調べていなかったんですよね。それで、外国人犠牲者を一人ひとりたどっていくことにしたんです。
安田 本の中で個人的に共感したのは、津波で亡くなった中国人技能実習生のところでした。水産業者に技能実習生についての話を聞きに行ったら、まったく相手にしてもらえないっていう場面は、私も体験したことがあります。技能実習生を受け入れている日本の事業者にとって、当方がたとえ問題の糾弾を目的にしていない立場だったとしても、マスコミである時点で基本的にすべて「敵」なんですよね。技能実習生が東日本大震災で本当は何人亡くなったのか、気になります。
三浦 技能実習生についての取材も大変でしたが、実は今回一番難しかったのは、在日コリアンの方々への取材でした。津波で在日コリアンがどれだけ亡くなったかを調べるとき、まず民団(在日本大韓民国民団)などに問い合わせをするのですが、そうすると初めから「個人情報なのでお答えできません」と断られてしまい、それ以上はもう話を聞くことができないんですよね。
安田 そもそも、まず名前が分からないですしね。当然日本名になっている可能性も高いし、昔からいる在日コリアンの方であれば日本語がネイティブですから、なかなか分かりにくいと思います。
三浦 亡くなった方が「在日」であると公表されることを望んでいるかどうか、という問題もある。たとえば、お父さんが在日であれば娘さんもそうなんだっていうことで、排外主義的な人たちから、娘さんまで危害を加えられる可能性もある。今回の取材でも何人かの在日コリアンの方にお会いしましたが、結局取材を受けていただいたのは1人だけで、他の方には断られました。日本国内に深く根をおろしている人ほど、メディアの取材については神経質にならざるを得ない事情があるのだと改めて認識しました。
安田 やはり本の中に出てきた外国語指導助手の方とか、アメリカ人の足跡はたどりやすいんでしょうね。身分が明らかですし、アメリカ大使館が意地でも探し出そうとする。
三浦 その通りです。それでも、アメリカ人の外国語指導助手は2人亡くなっているのに、厚生労働省の人口動態統計には1人しか死亡登録がされていませんでした。調べてみると、登録されていなかったのは、アラスカ出身の孤児の方で、両親を亡くしたあと日本に派遣されてきていた方でした。受け入れ側の日本の市教育委員会でも多くの関係者が犠牲になっており、すぐには手続きがとれなかったのでしょう。アラスカの遺族も、日本の仕組みがわからなかったに違いありません。
安田 当時の状況では、それどころじゃないですもんね。
三浦 厚労省の統計では外国人犠牲者は41人になっていますが、取材した印象では、全部で60から70人ぐらいいても、おかしくはないような感じがしました。当時、東北沿岸部の港町には、東南アジアから来てパブで働いているような女性たちもたくさんいました。でも、彼女たちはビザが切れて不法滞在の人も多くいたから、災害で犠牲になってしまったとしても役所に届け出ることができないし、行政自体も彼女たちがどこにいるのか、詳しく把握できない状況だったんです。