30代の新米校長
――大森さんは生徒と教室で向き合った経験のまったく無い官僚出身でした。文科省から教授職に就いていますが、研究書もほとんど出ていません。北角さんも30代で現場経験の無い中でいきなり校長として赴任しました。生野区の巽中学校です。新聞記者時代とのギャップは当然感じたと思いますが、そこはどうだったのでしょう。
北角 そうですね。初めのころ、やっぱり戸惑いはありました。例えば、何かをやろうとして周囲に呼びかけます。新聞社は指揮系統がはっきりしていて、物事に締め切りがあるのが当たり前でそれまでになんとかしなければいけません。でも、学校の場合は先生方に何かをお願いしたときに、「これ、私のペースでやりたいんです」というようなことを言われるんです。物事に締め切りを意識しない仕事がある。僕にとってこれは非常にカルチャーとして今までにないことではあったんですね。ただ、今思えば、僕側の戸惑いより、きっと現場の実際の先生方の戸惑いのほうが大きかったかもしれないです。
学校の自治は守られなければならない。もし理不尽な政治的な圧力がかかってくるならば、校長はそれを跳ね返さなくてはならない。同様に教員もまた一つのクラスの受け持ちをやっている以上、そこには権利と義務と裁量が存在する。
――子どもたちに向き合っているとその相手の状態も踏まえないといけないので、トップダウンでいきなり締め切りを切られるのは違うと言うことですね。記者もそうだと思いますが、追っている事件があればそれについて一番分かっているのは現場の人間でデスクや管理職ではない。
北角 はい、そうだと思います。記者も自分が現場のことを一番知っているんだというプライドがあります。同じように、先生方は、生徒のことを理解しているのは私であるというプライドがあるんですね。それは、立場は違えど理解はできるところだったんです。そういう先生方の気持ちをやる気として生かしていきたいなと思っていたんですが、僕はそれがなかなかできなかった。
――最年少校長としての待遇面はどうだったのでしょうか。
北角 いわゆる等級で給料も決められていたので、校長という管理職でしたが、経験年数で計算されるためほかの校長より段違いに低い金額でした。ずっとシェアハウスで生活していました。
――それは人件費の削減という観点からの登用だったのかもしれませんね。民間から入っていきなり校長ですが、先生方が生徒のことを細かく見ておられるというのは、感じましたか。
北角 そう思いました。やはり子どものことをすごいよく考えておられる。プライオリティの一番に置いているというのは、本当によく伝わってきました。それは細かいところに現われるんです。クラス全体の話だけではなくて、ケアが必要な子に対して丁寧に向き合っておられました。結構しんどい家庭の子たちが多い学校だったんですが、お母さんが家を出ていっちゃって帰ってこないとか、そういうときに先生が、朝食に何か持って行ってあげるとかされていました。親御さんからネグレクト状態である子どもにとっては、もう先生方が最後の砦になっていて、ただその分、学校現場が疲弊しているのもよく分かりました。
――右も左もわからない義務教育の中に丸投げで校長として入っての苦労はどのあたりにありましたか。
北角 30代の若造がいきなり校長に就任ということで、先生方からの反発があるのかと思っていましたが、僕のことを信じて支援してくれる人がいたというのも事実です。それは職員室の中であったり地域社会であったり。例えば職員室の中でも、初期のころは僕のやりたいことを理解しようとしてくれて、共有してくれるような動きもありました。学校は人間関係が非常に重要なわけですけれども、「あの人はこういう人なので、こういう言い方をしたほうがいいよ」とか、「あの人には必ず事前に話をしておかないと、ややこしいよ」とか、そういうことをアドバイスして下さったんです。
――先生方もいきなりやって来た校長、それもベテランの先生からすれば年下の管理職にリスペクトを持って接して下さっていたのですね。それがどの様に変化していったのでしょうか。
北角 まず、教頭先生と意見が対立してしまったことが大きかったと思います。教頭先生は、学校はこうあるべきだという信念を固く持っておられる方でした。特にしんどい家庭の子が多い巽中の特性を考えると、秩序を守らないと学校が荒れると考えていました。そうすると、私が外からボランティアを呼んだり、図書室をリノベーションしようとしたりすることは、教頭先生にとってはリスク要因だと感じられたんだと思います。
――これまで学校を預かってこられた教頭先生と学校運営において意見の対立があった。そこで北角さんが教頭先生に土下座を強要したと聞きました。それはどういう経緯だったのでしょうか。
北角 私が強要したわけではないのですが、教頭先生にそんなことをさせてしまうような関係性しか築けなかったことを反省しています。校長室で議論をしていた際に、教頭先生の話した事実関係に誤りがあったため、「私は間違いがあれば謝ります」と告げたところ、教頭先生が床に膝をついて頭を下げる、いわゆる土下座をしたという経緯です。まったく必要ない行為なのですが、教頭先生からすると、そこまでしないと私に気持ちが伝わらないと考えたのかもしれません。いずれにしても、2人の信頼関係が築けていなかったために起きたことですので、申し訳なく思っています。
――ほかにはどのようなことが起こったのでしょうか。
北角 これは僕の責任で、僕のやり方に問題があったと思うのですが、時が経つにつれて、いろいろな摩擦が起こってきました。校長の僕と接することで、精神のバランスを崩す先生方が増えて来ました。1年目の後半はPTAの一部の方がたに校長の資質を問われて責められました。夜中の3時ぐらいに校長室で議論するみたいなことが行なわれました。
――それはどんな問題を指摘されたのでしょうか。
北角 修学旅行中の対応であったり、僕が朝礼で挨拶した内容であったり、非常にギスギスした感じになりました。あと地域が僕のせいで割れてしまった。要は校長のやっていることは良いのではないかという人と、いや、この校長は酷いからもう辞めてほしいんだという人たちがいて二つに割れてしまったんです。町内会長や保護者を始めとして、学校に協力してくれている方たちです。
また、校長が修学旅行を中止させようとしているという噂が出まわったり、保護者が作っていた僕を批判する文章が、子どもが同じパソコンを使っていたことで流出してしまったという事件も起こりました。生徒たちの方にも伝播していったことで、それを僕の立場から健全に戻すのは、なかなか難しいなと思っていました。
――トラブルが、教師、保護者との間に起こって生徒にまで伝播してしまったということですね。
北角 今、この話をしながらやっぱり思うのは、当初は校長としての僕を助けてくれて、うまく学校を一緒にやりましょうという姿勢だった方がいっぱいいたんです。本当に優秀な方たちです。そういう先生たちが、体調を崩されていかれた。その背景には、生徒への思いだとか、学校への愛着があったわけですね。それを全力で校長にぶつけているのに校長はなんか小難しいことを言って理解をしない。たぶんそういう感じだったんだと思うんです。僕の側も、それはそれとして、いや、先生方の考えに反することではないと思っているので、噛み合わなかったわけなんです。
