平良いずみ監督
PFAS規制でも「ガラパゴス化」する日本
――映画では、米国やイタリアなど海外でのPFAS汚染についても取材されています。日本ではなかなか規制が進まないのが現状ですが、欧米では規制厳格化の流れが加速しているんですね。
平良 日本の環境行政は本当に規制に後ろ向きで、まず「これ以上の汚染は危険と見なす」という基準を作ろうとしません。基準がないから調査もしない、調査をしないから汚染の実態や健康への影響が分からない……という悪循環が続いています。
でも、世界に目を向けてみたら、PFASは相当毒性が高い、しかも次世代への影響が大きいというので、規制強化の波が押し寄せてきていることが分かって。これは取材しに行かなきゃ、と思いました。
――映画では、地元の人たちが調査や規制を求めて声をあげたことが規制強化につながったケースがいくつもあることも描かれています。状況を変えられないわけではないという希望が見える気がしたのですが、取材されていて特に印象深かったことなどはありますか。
平良 忘れられないのは、イタリアで出会ったお母さんたちの明るさです。
その地域では、地元の化学メーカーの工場から流出したPFASで水道水が汚染され、深刻な健康被害も出ていました。しかも、いわゆる企業城下町のような場所なので、最初に母親たちが情報公開などを求めて立ち上がったときには「気にしすぎだ」と批判を受け、周囲から孤立させられていったそうです。それでも彼女たちは緩い横のつながりを作りながら、みんなでどんどん力を蓄えていった。そして実際に行政を動かし、調査や規制を実現させていったんです。
それも、ただ感情に訴えただけではありません。一人のお母さんが「私たちは『母親』という立場から社会の感情を揺り動かしたけれど、それができたのはものすごい勉強をして、客観的なデータをもとに訴えたからよ」と言っていて、「かっこいい!」と思いました。
――沖縄のお母さんたちがやっていることとも重なりますね。
平良 きちんと客観的なデータを示して訴えることが一つの成功の鍵になるんだと、改めて教えてもらった気がしました。
ちなみに、タイミング的に映画には入れられなかったのですが、今年の6月には、そのイタリアのお母さんたちの訴えで起こされた刑事裁判で、化学メーカーの幹部――親会社だった日本企業の日本人幹部も含まれています――に禁錮刑を科し、環境浄化のための費用を払うよう命じる判決が出ました。お母さんたちの主張がほぼ認められた内容で、非常に画期的な判決だと思います。
――民事裁判ではなく刑事裁判で。それはすごいですね。
平良 化学物質と健康被害との因果関係を科学的に証明するには半世紀かかるともいわれていて、日本政府は今も「国内ではPFASによる健康被害は確認されていない」と主張しています。でもそれでは、「有害な可能性がある」ものが子どもの体に入っていくのを手をこまねいて見ているのか、という話になってしまいますよね。そこで、イタリアだけでなく多くの国々は、いわゆる「予防原則(化学物質などが人の健康などに深刻な影響を及ぼす可能性がある場合は、科学的な因果関係が十分に証明されていなくても未然防止のための措置を講じるべきだとする考え方)」に基づいて規制の厳格化に舵を切っているんです。
しかも、イタリアである科学者に取材したときには、「PFASに関してはどんどん各地で因果関係が立証されてきていて、もう予防原則なんていう段階ではないよ」と言われました。いかに日本がガラパゴス化しているかということだと思います。
――なぜ日本はそこまで規制に後ろ向きなのでしょう。
平良 やっぱり、経済優先の傾向が強いということだと思います。EUが水道水のPFAS基準値を厳格化する際にパブリックコメントを実施したのですが、そこには海外からも多くの意見が寄せられ、日本からは圧倒的に「反対」の意見が多かったそうです。
――規制を厳しくすると経済的なダメージが大きいから、ということでしょうか。
平良 そうです。PFASは、たとえば半導体製造にも使われているので、規制が厳しくなったら代替物質を使わなくてはならなくなる。人の命や健康よりも、そうした経済的なメリットが優先されるのが日本の現状なんだと思います。
ヨーロッパなどではそういうときに、環境に影響を与えない代替物質を開発するための研究に投資が行われたり、ビジネスチャンスに絡めた前向きな動きが出てくることも多いようです。でも、日本では既得権のようなものが大きいからなのか、そうしたこともなかなか起こってこないですね。
あきらめるよりも、声をあげよう
――タイトルの「ウナイ」は沖縄のことばで「姉妹」の意味だそうですが、たしかに映画に登場する、PFAS汚染と闘う人たちの大半が女性ですね。
平良 今はもう、男性・女性で括る時代ではないというのは重々承知しています。でも、実際に取材してみると、日本でも世界でもこの問題に対して声をあげているのは圧倒的に女性が多かったんですね。