本能的であるがゆえに、被害者を苦しめる「迎合」
生き延びることは、動物にとって最大の目的だ。人間もそうであるから、そのための5Fはとても「本能的」だと思う。
「男は性欲を抑えられないから仕方ない」という言説はいまだに根強い。しかし、通行人の多い道で強引に襲う加害者はほぼいない。多くは、自分より弱い相手を狙い、誰にも見られない場所で加害する。ある意味、理性が働いている。
被害者の反応のほうが、よほど本能的ではないか。
だから、皮肉なのだ。
武井弁護士が言うように、裁判で「不自然、整合性がない」とされがちな被害者の言動こそ自然であり、「被害者らしい」と言える。にもかかわらず、日本の裁判では「被害者らしくない」とされるのだから、皮肉がすぎる。
留意しなければならないのは、この生存戦略は被害者にとって、たいへん過酷であることだ。
迎合をしたかったわけではない。それでも迎合したから、生き延びられた。周囲に知られることもなかった。しかし、加害者の目には「彼女から誘ってきた」「楽しんでいた」「恋愛だった」のように映る。そして被害は長期化する……なんと苦しい状態だろう。八幡さんは言う。
「私は支援者として被害者の話を聞いてきたので、迎合反応を10回、20回、100回……と回数を重ねたと聞けば、あぁこの方はひどい被害に遭いつづけたんだな、と思います。それだけ、命の危機がある場をくぐり抜けてきたということですから」
それが支援者にとっての“当たり前”だったが、自分が被害に遭ったのを機に、社会はそう見ないということを実感した。迎合すればするほど、「本当はイヤじゃなかったんだろう」と邪推される。
これは、性暴力に特有の現象だろう。
武井弁護士がかつて担当した別の事案でも、被害者は複数回にわたって加害者に迎合していた。あとからその問題を知った周囲の人は、当初、恋愛のトラブルと思ったそうだ。
「これが仮に職場でのパワハラであれば、それが1回でも複数回でも、その後で迎合的な反応をしたとしても、周りは『ほんとはイヤじゃなかったんだろう』などとは言いませんよね」(武井弁護士)
なぜ、性暴力だけ違うのか。
それは、被害者の生き延びるためのプロセスを“点”で見ているからではないか。被害を受けそうになっているのに友好的に振る舞う、イヤなのに逃げない、被害を受けたのにお礼を言う、呼び出されれば自分の足で会いにいく。一つひとつの行動を見ると、整合性がなく見えるてしまうものなのだろう。
それは、「加害者と同じ見方」だと言える。
裁判所も例外ではない。むしろ、その最たる存在だろう。
性被害の実態を知らず、被害者の生存戦略を正反対に読み取る司法の現状に、武井弁護士は強い危機感を抱いている。
「家庭裁判所でDVが争点になるときも、似たようなことが起こります。DV被害者にとっては、加害者=配偶者ですから、性加害より逃げられず、虐待をされながらも機嫌を損ねないよう迎合的なやりとりをすることが多々あります。そうすると裁判所は、『DVはなかった』という結論を下します」(武井弁護士)
迎合は常に、被害者から加害者、立場の弱い側から強い側に対して行われる。司法はどちらの視点に立って事件を見るかが問われている。
この課題は、国連・女性差別撤廃委員会(CEDAW)も指摘している。2024年10月に発表された日本への勧告では、現状の協議離婚制度ではDV被害があっても面会を優先することで子どもや保護者の「安全が損なわれる可能性」を懸念し、裁判官や調査官が親権や面会交流を判断する際に「ジェンダーに基づく暴力」を十分に考慮できるよう、研修の強化・拡大を求めた。
ジェンダーに基づく暴力とは、構造的な格差のなかで行われる暴力であり、被害者側には迎合的な反応が生じやすい。その理解がなければ、いつまでも被害実態にそった判断ができないだろう。CEDAWが司法関係者に対し理念の学習と実務への反映を求めたことは、DVに限らず、性暴力事件の捜査や裁判にも共通する課題を含んでいると、私たちは受け取ることができる。
武井弁護士は裁判には大きく失望したが、社会全体には希望の芽も見ている。
「著名人の性加害や、その土壌となっていたテレビ局の体質が厳しく批判されるようになりましたよね。性暴力についての実態を理解する人が増えてきたと感じます。実際、テレビ局の問題では世論を受けて局側が第三者委員会の設置を余儀なくされました。加害者と同じ視点で語る人が『それはおかしい』と言われる時代になってきていると思います」(武井弁護士)
過渡期ではあるのだろう。社会の側から変えていけるのであれば、悪くない流れだとも思える。しかしその間にも被害は発生し、フリーズや迎合したことを“被害者らしくない”と責められる被害者は増えつづける。なんとかその流れを速いものにできないものか。

解離
性被害のような極度のストレスや恐怖に見舞われたとき、現実から心が切り離される心理的な防衛反応のこと。
