北海道警察裏金問題を総括する
三浦 すごいですね。いまのメディアの状況からはちょっと想像がつきにくい。高田さんも、北海道新聞記者として、北海道警察の裏金問題に関する調査報道で2004年に新聞協会賞などを受賞されました。改めてご自身が取材された「道警裏金問題」について、どのように総括をされていますか?
高田 道警が、偽造領収書を末端の警察官につくらせるなどして、組織全体で裏金をつくっていた事実を1年半にわたって追及しました。最も重要だったのは、われわれ取材班の調査報道によって、道警が組織的な裏金づくりを公式に認めたことです。それまでも全国各地で警察の裏金は散発的に報じられていましたが、いずれも「疑惑」止まり。警察が否定を貫き、報道も沙汰止みになるパターンでした。しかし、この時は道警トップの本部長が北海道議会で謝罪し、裏金に関与した約3000人の警察官・職員を処分し、9億円以上の資金を返上しました。なぜ北海道新聞は認めさせることができたのか。一つは警察記者クラブに所属する記者がすべての取材を担ったことです。「事件ネタがほしいから」などと言って擦り寄ることはせず、真正面のガチンコ勝負を貫いたのです。
そして、もう一つは北海道新聞が北海道最大のメディアだったからだと思います。マスゴミと揶揄されることが定番になってきましたが、大メディアの影響力は依然として相当に大きいのです。日本最大のメディアは現在、人員や影響力からいってNHKだと思いますが、仮にNHKがガチンコで調査報道を敢行し、権力と対峙したらどうなるか。その姿を想像してみてください。

三浦 地元紙だからできた、ということですね。地元紙の記者は全国紙の地方記者とは違い、その地域に根を張り、将来もそこで暮らし続ける。だから地域で暮らす読者の側に立って、地域のために報道する。その報道や声を、警察や役所や政治家たちは無視できない。きわめて健全なジャーナリズムのあり方だと思います。一方で、地元紙や地元テレビは地縁血縁などで地域権力との癒着も強く、いざという時に疑惑を深く追及できないという側面も残念ながらあります。高田さんのご著書『真実 新聞が警察に跪いた日』(柏書房、のち角川文庫)では、「道警裏金問題」の一連のキャンペーンをめぐって、高田さんがあずかり知らないところで、道警と所属新聞社との間で関係修復の秘密交渉が進んでいたことが克明に描かれていました。
組織のなかにいながら、高田さん個人として孤独な闘いを強いられていたのではないか思いますが、当時はどのような心境でしたか?
高田 私は、あんまりふさぎ込んだりしない性格なんです(笑)。道警の上層部とは揉めていたので、もちろん楽ではなかったのですが、「自分は間違っていない」という自分に対する信頼はありましたので、逃げる気も隠れる気もありませんでした。
私と似たような境遇の人から相談を受けた時には「(会社を)辞めるのは簡単だから、簡単には辞めるな」と言っています。ひとたび組織の外に出てしまうと、その組織を変えることはできません。だから、組織のなかで理解者を増やすことが大事なんです。
ただし――正解だったかどうかはわかりませんが――私はあまり人を巻き込まないように心がけていました。北海道新聞にいた時に、道警と会社側による不当な手打ちについて、私を含む4人で社内のコンプライアンス委員会に申し立てたことがあります。その時に若い後輩たちが何十人も「一緒に申し立て人になります」と言ってくれたんですが、すべて断りました。仮に実現していたら、会社に対してそれなりの圧力になったかもしれません。ただし、会社のコンプライアンス委員会なんて当時はいい加減ですから、申し立てても負ける可能性が高かった。そんな闘いに加わった若い人たちが、その後に人事などでどんな目に遭うかわかりません。彼らがほんとうに闘う場面は、きっと他にあるし、それは違う時期だろうと、私は思っていました。
三浦 その結果なのかどうか、高田さんは裏金追及キャンペーンのあと、東京支社やロンドン支局などに転属されて、2011年6月に北海道新聞を依願退職されました。
高田 「会社に切られた」とか「問題から逃げた」とか、そんな声にいちいち対応するのが面倒だったので公言してこなかったのですが、私が辞めたきっかけは裏金問題ではありません。裏金報道の方向性はまったく間違っていなかったし、成果も出せていた。会社と対立した際も社内では堂々としていたし、「辞めよう」とは少しも思いませんでした。
退社を決断したのは、東日本大震災です。東京電力福島第一原子力発電所が事故を起こした時です。
親しい後輩に原子力に詳しい記者がいました。本人も原発事故の取材をやりたがっていたのですが、当時は原発取材に直接関与できる部署ではなかった。それで編集局幹部に「札幌から東京に長期出張させて東京電力や原子力安全・保安院の取材をさせたらどうか」と進言したら、「あいつは高田派だろう?」といって相手にされなかったことがあったんです。日本が壊滅するかどうかという時、そんなくだらない理由を持ち出す姿勢が信じられませんでした。古い体質を引きずり、臨機応変に対応できない保守化の極まった組織運営。その象徴だと思いました。それとは別にこんなこともありました。ずらりと並んだテレビ各局のモニターが原発の深刻な状況を映し出すなか、先輩が大声でバカ話を始めたのです。その姿を見て、周囲の若い記者たちは追従笑い。呆然とし、力が抜けた。体育会のようなノリ。どれもこれも古臭く、耐えがたくなりました。ほかにも似たような、くだらないシーンが続き、何かがポキっと折れた。実際に辞表を出したのは2週間くらい後ですが、辞めると周囲に話したのはその夜のことでしたね。
三浦 そうだったんですか……。
高田 私自身のちっぽけな経験を報道界全体に当てはめることはできないし、北海道新聞社の内部も今は大きく変わったことでしょう。しかし、自分や自分の所属する組織が真っ当な仕事をやっているか、自らの保身を最優先していないか、自分の立場を守るために「これは会社の考えだ」とか言って都合よく“会社”を持ち出していないか。そういった自己点検は常に必要だと思います。ジャーナリズムを担う人が「ことなかれ主義」や「保身優先」に陥ったら、おしまいです。