西村 ありがとうございます。でも実は、映画が撮影された当時の生活は、今に比べるとまだずいぶん時間的には余裕があったんですよ。あのとき、帆花はまだ3~4歳くらい。「何時間おきにからだの向きを変えて」とか「1日何回くらい吸引をして」とか、生後9カ月で在宅生活を始めるときに指導を受けた教科書通りの医療的ケアをそのまま続ける毎日でした。
ところがだんだん、そうしたケアだけでは帆花が元気に暮らせないということがわかってきたんですね。毎日ケアをしていても、すぐに痰(たん)が詰まって具合が悪くなり、年に1回は入院することになる。それで、私もいろいろ勉強したり、あとは何よりも帆花自身に聞きながら、「帆花に合ったケア」を構築していきました。結果として、今は一日じゅうひっきりなしに何らかのケアがあって、映画のときよりもずっと忙しいんです。
ただ一方で、この間いろいろと考え続けてきたことで、映画のときよりも帆花という存在をありのまま受け止められるようになって。逆に、心の余裕はかなりできてきた気がしています。
──「帆花さんに聞きながら」ということですが、映画の中でも理佐さんやお父さんの秀勝さんが、しじゅう帆花さんに話しかけ、会話している様子が印象的でした。言葉では自分の意思を伝えられない帆花さんと、どのようにコミュニケーションを取ってこられたのでしょうか。
西村 私は最初、帆花が人工呼吸器を付けているということで、「この子は自分では何もできなくて、機械に生かされているんだ」と誤解していたんですね。でも、呼吸の仕組みなどを知るうちに、帆花の肺はちゃんと機能してるんだということがわかってきた。ただ、空気を取り込む作業が自分でできないから、それを呼吸器にやってもらう。そうすればちゃんと肺は機能するのであって、機械に生かされているわけじゃない、「延命装置」じゃないんだときちんと理解するようになりました。
さらに、自宅で元気に過ごすことが最大のミッションだったので、とにかく一日じゅう帆花のことを観察していたら、からだについていろんなことが分かってきたんです。たとえば、風邪を引いて具合が悪くなった時は、鼻水が増え、気管内の痰も増えます。肺がうまく膨らまなくて人工呼吸器から送りこまれる空気が胃に流れてしまってお腹が張ります。苦しくて冷や汗をかきます。冷や汗をかく分、おしっこが少なくなります……という具合に、からだのあちこちに影響が出ながら、少し良くなってはまた悪くなって、という経過をたどるのですが、それを見ているうちに、一つの症状から一気によくなるのではなく、少しずつからだが全体のバランスを取り戻していく瞬間があることに気付きました。帆花のからだ自体が調和を取り戻そうとしている時、帆花自身が「生きよう」としていることが感じられ、いつもその力強さに圧倒されて、感動すら覚えるほどです。そして、人のからだは、たとえ機械がつながっていたとしても、一つひとつの臓器や器官の単なる集合体ではなく、お互いが影響を受けながらもカバーしあって調和を保とうとする素晴らしいものだ!と実感するようになりましたね。
最首 今の理佐さんの言葉で気づいたけれど、「延命」という言葉に対しては、私は怒りにも似た感情がありますね。ヒポクラテスの時代から、医療というのは人の生命力がなければ何もできないのであって、「医療で命を延ばす」とか「自分たちが命をつなげてやっている」なんていうのはひどい驕りですよ。相手を「患者」としてだけ見て、人として見ていない言い方だと思います。
初めての家族での外出。娘の顔が「にやけて」見えた
西村 はい。たしかに、帆花の命は現代医療によって救われたし、それがなければ今のような在宅生活もかなわなかったでしょうが、一方で「何のための医療や科学技術の発達なんだろう」と思うこともありますね。医療によって助かった命を大切に育んでいかないのなら、何の意味もないんじゃないか、という気がします。
在宅生活を始めてすぐのときに、帆花を車に乗せて、主人と3人でピクニックに行ったんですね。2人でお弁当を食べて、帆花にも栄養注入をして、それが家族での初めてのお出かけでした。その夜、いつものようにベッドに寝ているときに「ほのか~」って言いながら顔を覗き込んだら、なんだかにやけているというか(笑)、すごく嬉しそうな表情をしていたんですよ。「私、頭おかしくなった?」と思って、すぐに主人を呼んで2人で確認したら、やっぱり顔が緩んでいるよね、にやけているよね、ということになって……。
最首 「にやけている」! 星子の母親も、星子が寝ながら笑っているときなどに「にやけている」という言葉をよく使っていましたよ。多分、気のせいかと思ってしまうような微妙な表情の変化を指して出てきた言葉なんだと思うのですが、まったく同じ言葉を使われたのでびっくりしました(笑)。
最首悟さん
1936年、福島県に生まれ、千葉県にて育つ。東京大学大学院動物学科博士課程中退。同大学教養学部助手を27年間つとめた後、予備校講師、和光大学教授を歴任。和光大学名誉教授。東大助手時代から公害問題や、障害者と社会の在り方を問い続けている。主な著書に『水俣の海底から』(1991年、水俣病を告発する会)、『星子がいる』(1998年、世織書房)など。
西村理佐さん
1976年、神奈川県横浜市生まれ。大学時代は心理学を専攻し、心理カウンセラーを目指すも断念。同じ病院に勤めていた秀勝さんと院内の交流会で出会い、2003年、27歳の時に結婚。4年後の2007年、帆花(ほのか)ちゃんを授かる。自宅で育てることを決意して以来、病院で秀勝さんと「医療的ケア」の手技を学び、翌2008年の7月に帆花ちゃんが退院。家族3人、自宅での生活をスタートさせる。著書『長期脳死の娘とのバラ色在宅生活 ほのさんのいのちを知って』(発行:エンターブレイン、2010年)を上梓するなど、執筆活動や講演活動も。