2022年1月2日、映画『帆花』(國友勇吾監督)(URL:http://honoka-film.com/)が公開された。この作品は、分娩中に臍の緒が切れたことで、脳に損傷を負って生まれてきた西村帆花(ほのか)さんと、母の理佐さん、父の秀勝さんの暮らしを数年間にわたり見つめたドキュメンタリーである。帆花さんは脳と脳幹の機能を失って「脳死に近い状態」と言われており、自力呼吸が難しいため24時間人工呼吸器が欠かせない。それでも西村さん夫妻は在宅での生活を選んだ。映画は帆花さんの小学校入学を前に終わっているが、その後もさまざまな危機や壁を乗り越え、帆花さんはいま、14歳になっている。
障害のある子とともに生きるとはどういうことか。暮らしを支える法律や制度は機能しているのか。差別や排斥にどう対峙してきたのか。
ダウン症の娘・星子(せいこ)さんと40年以上ともに暮らし、障害のある人と社会とのつながりかたを模索してきた社会学者の最首悟さん(和光大学名誉教授)と、西村理佐さんに対話していただいた。
「機械に生かされている」という思い込み
──まず理佐さんから改めて、ご家族の記録でもある映画『帆花』についてのご感想をお願いします。
西村理佐(以下、西村) そうですね、私はやっぱりなかなか「映画」というふうに客観的には見られなくて……「帆花の呼吸器の回路が曲がってる」とか「このとき、私まだ吸引下手くそだったな」とか、そんなことばかりが目についてしまいました(笑)。
ただ、これまで帆花のことはいろんなところでお話しさせてもらったけれど、それはすべて母親である「私」というフィルターを通した言葉でした。そうではなく、帆花自身がその姿を通じて「生きている」ということを伝えられた映画にはなったのかな、と思っています。
──最首さんはご覧になって、いかがでしたか。
最首悟(以下、最首) まず、お父さんとお母さんが帆花ちゃんをすごく熱心に介護されていると感じました。こんなのは、映画を見た人は誰でも思うことだろうから、感想とも言えないんですが……理佐さんたちはいったいいつ寝ているんだろう、どうやって生活が成り立っているのか。その大変さは、想像するに余りあるという感じでしたね。
最首悟さん
1936年、福島県に生まれ、千葉県にて育つ。東京大学大学院動物学科博士課程中退。同大学教養学部助手を27年間つとめた後、予備校講師、和光大学教授を歴任。和光大学名誉教授。東大助手時代から公害問題や、障害者と社会の在り方を問い続けている。主な著書に『水俣の海底から』(1991年、水俣病を告発する会)、『星子がいる』(1998年、世織書房)など。
西村理佐さん
1976年、神奈川県横浜市生まれ。大学時代は心理学を専攻し、心理カウンセラーを目指すも断念。同じ病院に勤めていた秀勝さんと院内の交流会で出会い、2003年、27歳の時に結婚。4年後の2007年、帆花(ほのか)ちゃんを授かる。自宅で育てることを決意して以来、病院で秀勝さんと「医療的ケア」の手技を学び、翌2008年の7月に帆花ちゃんが退院。家族3人、自宅での生活をスタートさせる。著書『長期脳死の娘とのバラ色在宅生活 ほのさんのいのちを知って』(発行:エンターブレイン、2010年)を上梓するなど、執筆活動や講演活動も。